ひまわりダイアリー

病気の事、松本山雅の事、日々の徒然日記

小布施へ

2011-09-24 00:00:00 | ドライブ
秋がやってくると、まったりした街並みと栗を求めて、小布施へ出掛けたくなる。
午前中の早い時間帯からどこの駐車場もいっぱになってしまうので、早朝に出発。

唯、ひたすら、まったりと歩いた。
紅葉こそまだだが、秋の気配を感じつつ、小路を好んで歩いたり、
通りのあちこちにあるギャラリーに入ってみたり、写真を撮ってみたり…。























お土産は地酒と栗とほんの少しの栗菓子と。
栗は夫と一緒に皮を剥き、栗ご飯や煮物に入れたりして美味しく頂いた。

大好きな夏が終わってしまうのは寂しいけれど、秋もまた良い季節。
観て食べて歩いて
楽しみ楽しみ


まだまだもっと心身ともにパワー付けないと!!

2011-09-20 00:00:00 | 病気
昨日はゆっくり起き、溜まってしまった洗濯物を洗ったり、
放ったらかしになっていた花の手入れをしたりと、
午後少し買い物に出掛けたくらいで一日家でのんびり過ごした。
夫も手伝ってくれた。

休日にのんびり一日中家で過ごすと言う事は、よっぽど悪天候以外ほとんどないのだが、
こんな風に過ごすのも悪くないね、なんて話したりした。

しかし、この日は何を食べても口がまずかった。
食欲はあるんだけど、元気もあるんだけど、口だけがね…。
動かないからお腹が空かなくて、そのせいかも…なんて思っていた。

夜中…
寒くて、ガタガタ身体が震えて目が覚めた。
薄いタオルケットのせい?と思い、横で寝る夫を見ると、
「タオルケットでも暑いぞ。」と言わんばかりの格好。
掛かっているのはお腹のみ。
「私だけ??」と思いつつも寒いんだから仕方ない。
厚い布団を出した。
しばらく横になって「いや・・・、これは寒いんじゃなくて寒気だ!!」
多分半分寝ぼけていたのかも、気が付くのが遅過ぎ。
とりあえず熱を測ってみたら何と39度近い熱があるじゃないの。
そのうち咳が出始め、大層辛い状態にになり、
う~~う~~唸りながら横になっていた。

時々水分補給に起きたりした。

明け方近くなってからまとまって眠れたようで、
目が覚めたら寒気も咳もなくなっていた。
熱は37.5度と随分下がり、少し安心。

いつも通り5時に起き、朝食の支度もできた。
とりあえず常備薬の風邪薬を飲む。
夫を送り出して、朝食の片付け後、お昼まで爆睡。
目が覚めた時にはすっかり平熱に戻っていた。

やれやれ・・

肉体面、精神面、両方からのダメージが一度にのし掛かったのが原因かな?
とにかく、病院へ行く前に復活出来て良かった。

こんな事で発熱するとは…まだまだ弱いな。。(まだまだ見せかけの元気か。。)
それに加齢が加わったせいか!?
そんな事を思った。




お葬式 ~二日目~

2011-09-18 00:00:00 | 日常
義母は、お葬式が始まる前、頭痛がして少しふらふら感があると言っていた。
火葬場までの車酔いやら疲れなどから来ているのかなと、少し心配していた。
が、精進落しが始まると、もくもくよく食べて、食欲バッチリで頭痛などどこ吹く風。
帰宅する頃はすっかり元気になっていてひと安心。

夜、松本の我が家へ戻った時、「これで本当にゆっくりできるかな~。」
そう思ったらどっと疲れが出た。
カンパイしようとグラスにお酒を注いで乾杯したけど、
私はほとんど飲めずぐったり。

あ~、明日こそはゆっくりするぞ~~~

つくずく思ったのは、叔父さんのお葬式に出席出来て良かったって事。
登山中じゃなくて良かったよ。
重なる時はいろいろ重なるけれど、台風の影響も受けず、
両日とも暑いくらいの良い天候に恵まれ山へもお葬式へも行けた事、本当に良かった。

お葬式 ~一日目~

2011-09-17 00:00:00 | 日常
昨日は帰宅してから「お疲れさま」カンパイができなかった。
正確には‘した’のだが、精神的にはとても‘した’と言う気分ではなかった。

「こう言う楽しい事があった時に限って大変な事が待ってたりするんだよね~。
いやいやそんな事ないない。」
登山から帰宅するまでの間、そんな会話を実は何度もしていたのだった。
何か予感めいたものを感じていたのか。。。

ルンルンで帰宅すると、留守電がたんまり入っていた。
全て、少々パニックに陥っていた義母からだった。
山に行く前に留守する事は連絡してあったんだけど、ショッキングな出来事があると、
全て飛んでしまうらしい(気持ちは良く分かる)

義母の弟が亡くなって、明日長野市にある葬儀会場にてお通夜との連絡だった。
私も何かとお世話になった叔父である。
先日お見舞いに行った時はまだこんな状況になるなんてとても考えられなかったのに・・。


お通夜は午後6時からだったが、午後いちでまず義母の元へ。
(午後で良かった。全身筋肉痛と寝不足で早くは起きれなかった。)
数年前からアクシデントがあると、その事が落ち着くまで軽いパニックを起こす義母。
喪服を着ているように連絡しておいたが、余所行きの支度をしていたので、
慌てて喪服を探し、着せ、明日も早いため今夜は式場に義母を泊めてもらうので、
その支度をした。
葬式用の靴のかかとが取れてしまったとの事だったので、靴屋へ。
靴を購入し、葬儀会場へ行く前に軽くお腹に入れる頃には、
義母はすっかり落ち着きを取り戻していた「(かなり)ほっ。」

明日、火葬場へ行かない私たちは午後2時からの葬儀に出れば良いので、帰宅。
かなり遅い時間だったので、シャワーを浴びてバタンキュ~


北アルプス・涸沢 ~二日目~

2011-09-16 00:00:00 | 山歩き

涸沢ヒュッテ発(7:51)~本谷橋(9:30)~横尾・トイレ休憩(10:34~10:45)~徳沢・昼食(11:40~12:38)

~明神(13:33)~バスターミナル着(14:25)


夜中は思いのほか暑かった。
寒いより遥かに良いのだが…。

夜中、おもむろに起き、半袖Tシャツの上に着ていた長袖Tシャツを脱ぐ。
その後もむっくり起き上がり、1番上に履いている厚手の靴下を脱ぎ、
しばらくしてまたまた五本指ソックスを脱ぎ、裸足に。

暑くてなかなか寝られず…と言うか、9時頃には就寝したので早過ぎて寝られないのも手伝って、
トイレに2度起きた。
トイレは外なので、その度に満月に輝く月や星をしばらく眺めたりした。

朝方になってようやくまとまった時間眠れる。

朝5時頃起床。
モルゲンロートが観れるまでにはまだ時間があったが、待ちきれずカメラを持って外へ出た。

外はまだ真っ暗。


そのうち白々してきた。


満月と星と、わずかに奥穂山荘の光。


青空が見え始めた。
今日もお天気が良さそうだ




6時近くになってようやく現れ始めたモルゲンロート


涸沢岳と涸沢槍をアップで。


前回ここへ来た時は土砂降りで、朝のこのご馳走はお預けとなっていた。
それだけに感動もひとしお。
いつまでもいつまでも、モルゲンロートが消えるまで眺めていたかったが、
朝食の時間を過ぎていたのでそうもいかず、
ヒュッテへ戻ったらその足で食事に向かった。



私の向かい側で一緒に食事をした女性と会話した。
その方は私より少し年配で、若い頃からあちこち登られていたようだ。
一人で来られていた。
昨日は奥穂に向かうべく登り始めたが、持って行った水がなくなりそうだったので、
途中で引き返したとの事で、今日再び登ろうか迷っていると言う話だった。

憧れの穂高岳。
お話を聞いていると、やっぱり挑戦してみたくなる。
でも、体力や相変わらずの高所恐怖症、
それと、山を制覇すると言うより、楽しみたい気持ちが強い私には
涸沢カールで穂高連峰を眺めつつ山での時間を楽しむ方が向いているかな~なんて思ったりした。


ヒュッテ入り口付近に『岳』の撮影風景などが飾られていたので撮ってみた。

下山準備を済ませたら、カールを散歩する事に。
せっかく来たんだから、時間が許される限り山を堪能したかった。


真っ赤な実を付けたナナカマド。
一週間もしないうちに葉が赤く染まり始めるんだろうな




雪渓。




夢中で穂高岳を撮っていたら、歩いている登山者を発見。


ヒュッテ側を振り返ると朝日が


テラスに朝日のシャワー。


夫の写真を拝借。
従業員をヘリで送ってきたみたい。
そう言えば今夜から涸沢は昨日とは比べものにならないくらいの人達が訪れるんだった。
従業員は大忙しだね、おつかれさま


年賀状用にと、あちこちカメラを設定し、穂高連峰をバックにツーショット写真を何枚か撮った。


さて、随分楽しんだので下山する事にした。
「また来るね。」とヒュッテ玄関から穂高岳を仰ぎ、バイバイ






「楽しい時間をありがとう。」
名残惜しくて、振り返り・・


振り返り・・


振り返り歩いた。


本谷橋。


本谷橋を渡ったところで昨日昼食を摂った河原をパチリ


徳沢には12時半頃到着。
下山してきた登山者、これから登る登山者と、昨日よりずっと多くの人達で賑わっていた。
具がごろごろ入ったカレーうどん、なかなか美味しかった。
その後外のベンチでソフトクリームを頬張る・ウマウマ


昨日はトイレ休憩などしていった明神も、今日は写真を撮っただけ。
ここまで来ると、帰宅してから夫と‘お疲れさま’のカンパイだけを楽しみに、
ほぼ平らな上高地をひたすらテクテク歩くのみ。

唯々楽しくて幸せな1泊2日の登山だった。