ひまわりダイアリー

病気の事、松本山雅の事、日々の徒然日記

尊い贈り物

2016-01-22 13:13:08 | 日常
昨日の最低気温は氷点下10.6度。
今朝は氷点下9.9度。

今冬は冬らしくない陽気が続いていた分、寒さが堪える。
1番、体調を崩しやすい時季。
気を付けないと・・・。



先日の事。

東京に住む叔父や叔母からメールやら電話があった。

「写真を送ったから・・・。」
「写真は届いた?」と。


叔母の手元に「珍しくて懐かしくて、とても良い写真」が届き、
たまたま会う機会があった叔父にその写真を見せたら、
「是非ひまわりのところへ送ろう」と、
昔の小さな白黒写真を複写して送ってくれたのだ。

その写真にはまだ1~2歳の私がしゃがむ母の横で写っていた。
他には同い年の叔母の長男や遠い親戚に当たるお姉さん二人。

実はこの写真、私のアルバムの中に収まっているものと一緒。
見覚えのある写真と思いつつ、久し振りに見る幼いころの写真に懐かしさを覚えた。

早速叔母にTEL。

叔母はどれだけ私がびっくりして喜ぶだろうかと、楽しみにしていたのかもしれない。
しかしそれに反し「これうちにあるよ。」の私の一言(冷たいよね;)に随分がっかりしたらしい。

しかし私にしてみると、嬉しい嬉しい尊い贈り物♪

母は、私が小学校へ上がる前に亡くなったので、子供の頃のアルバムを開いて、
母と思い出話に浸る…なんて事はなかった。
考えてみたら、父ともそんな機会はなかったな~。
それでも、写真によっては母がその時のエピソードを添えている写真も結構あり、
いろんな事を想像して眺めたりしていた。

送ってくれた写真は何も添え書きがなかった。

そう言う写真に限って、どこで撮ったのか?、写っているのは誰なのか?、
分かっているのはいとこと母と私、それと、多分うちの車、、それだけ。

分からない事だらけの写真はそんなに多くはなく、
そのせいで、この写真の印象は強く残っていた。

写真の説明を叔母がしてくれた。
私が持っていたのは父が撮ったからだろうと。

確かに物心ついた頃から父は常にカメラを胸にぶら下げていた。

車はやはり我が家のもの。

この車に乗った記憶はなかったが、車に乗って写っている私の写真があって、
その時の車と一緒だったから、多分そうかな?と思っていたけれど、
やっぱろそうだったか。

撮った場所なども聞く事が出来た。

そして母の思い出話も聞かせてもらった。
「世話好きでいろいろお世話になったのよ。」と。

叔母と母はよく我が家で会っていたようで、買い物にも一緒に出掛けたらしい。
その時に買ったスカーフは外出中に落としてしまうつい数ヶ月前まで使っていた事。
叔父の事に話は及び、母が中学生の叔父に、受験勉強をみた事もあったのだとか。

そう言えば、母のそう言ったエピソードって誰からも聞いた事がなかったんだ。

知らない母の側面などを知り、感慨深かった。


最後に、「こうやって私の事を気に掛けてくれて嬉しかった。」と叔母に話すと、
「頭のどこかにはいつもあって、ひまわりの事を忘れた事はないのよ。」と。

涙・涙・涙。。


大病をした時も震度5強の地震があった時も、心配してTELをくれる叔母である。

本当に有難い事である。



その後、写真を送ってくれた叔父にお礼のTELをしようと思っていたのだが、
涙が止まらず、話がちゃんと出来そうもなかったので、
失礼ながらお礼メールを送った。


不安に思ったり、投げやりになったり、‘負’の連鎖に陥りそうになる時もあるけれど、
たくさんの愛情に包まれ、普段会えずとも、こうして気に掛けてくれる人たちがいる事を改めて感じた。

こうやって生かさせてもらっている自分を、大事に大事にしないとな。


叔母さん、叔父さん、本当に有難うございました。

感謝。



叔父の、いろんな思いのこもった、大切に育てているモミジの木の押し葉と共に
写真が送られてきた。