教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

阪神・淡路大震災から12年…中学生のボランティア活動(改訂)

2007年01月19日 | 自主活動
《95年春から始めた長田区での炊き出し》
避難所になっていた前任校から転勤した私は、1995年の春から週末ボランティアに参加するようになりました。行き先は長田区の焼け野原に立つ真陽小学校避難所でした。避難所で驚いたのは、小学校玄関横の下足室がダンボールで仕切られ住居スペースになっていたことです。子どもたちはその横を通って登下校していました。そんな生活が地震から3ヶ月もたつのにまだ続いていたのです。

《続く公園でのテント生活》
真陽小学校の近くにある南駒栄公園では、避難所からあふれたベトナム人被災者がテント生活をしていました。長田区は零細なサンダル工場が多く、たくさんのベトナム人労働者が働いていたのです。ブルーシートのテントは頼りなく、台風がきたらひとたまりもないように見えました。これら避難所の様子を中学校の文化祭で展示すると生徒たちはすぐに一緒に行きたいと言い出しました。それがきっかけとなり東町中生のボランティア活動が始まりました。

《95年秋から中学生のボランティア始まる》
炊き出し場所は、東灘区の岩屋公園避難所にしました。交通費1280円と米2合(1合は自分用、もう1合は避難所の方のため)と野菜1品を持ち、月に2回の炊き出しが1995年9月から1996年7月まで続きました。(1996年にO-157食中毒事件が堺市で起こり炊き出しは中止した)中学生にとっては高額な交通費だったと思います。しかし毎回20人を超える中学生が炊き出しに参加していたのでした。学校では掃除をサボってしまう子どもたちも、避難所ではよく働きました。人は本当に必要とされていると自覚したとき変わるんだと思いました。ある生徒はこんな感想を書いていました。

《生徒の作文》
私にとっては二度目のボランティアです。二度目とはいえ、やっぱり緊張しました。一度目の時はボランティアについて色々と教わりました。被災者の方に掛ける言葉の難しさについても教えてもらいました。そして今回、私は初めて地震と日本の政府について知りました。私は今までずっと被災者の方への義援金の支給などは政府が中心になって行っているのだとばかり思っていました。しかし家が全壊しても25万円の見舞金が支給されただけと聞き、ショックでした。地震から8ヶ月もたつというのに公園では未だテント生活をしている被災者の方もいました。ここまでほったらかしになっていたなんて・・・。私は9月24日の話を聞き、まだまだ行政がやり残していることがあるように思います。

神戸の街を焼き尽くす煙を遠く眺め、ニュースを見ては歯ぎしりし、涙を流すことしかできなかった私は、あの時できなかった神戸の街への支援を中学生と一緒に取り組むことができたのです。