犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

佐野洋子著 『私はそうは思わない』より

2009-11-29 00:59:27 | 読書感想文
p.104~ 「せめてこれ以上、誰も何も考えないで」より

私は、もはや欲しいものなどない。あればいいな、などと考えたくない。もう充分である。いや充分すぎるのである。雑誌を見ても、テレビを見ても、へえーと感心する便利なものや、なるほどと深くうなずくものや仕事があるので、驚くことがある。デパートへ行っても街を歩いても、びっくりすることが沢山ある。

もう考えるな。我々は人間である。本来人間はトータルな能力があるものであった。科学や文明は人間のトータルな能力をうばったのである。それぞれの人間の中の、ある種の突出した能力を異常に発達させて、エキスパートというものを作ってしまった。ぼうっとしている凡人は、エキスパートが作ったものを、金を出してありがたく使うだけになってしまった。自らは手足を動かさないで。この現代日本で、それらを拒否して生きるのは難しい。私だって、今さら、たらいと洗たく板で洗たくするのは嫌である。

山へ行って薪を集めて来て、ごはんなどたけはしない。人間は限りなく怠惰なものである。怠惰を助長させるものがあればとびついて行く。そして、せかせかと忙しい。インディオの女たちは、毎日つれ立ってかめを持って水をくみに行き、毎日川べりですべってころんで笑うそうである。文明人は、何故滑車をつけて水をくみ上げないのかイライラするが、イライラして不機嫌なのは文明人で、彼女たちはすべってころんで笑い合う事をやめず、毎日機嫌がいいそうである。


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これは、今から23年前の1986年(昭和61年)の文章です。現代社会の歪みが問題になるたびに、「今さら昔には戻れない」という言い回しが聞かれますが、これは単に「昔に戻りたくない」という人が多数派であるというだけの理由でしょう。時間が戻らないというならば、これは時間が前方に流れているという前提に立てば当たり前のことを述べているだけで、時間を戻せるわけがありません。これに加えて、昔はもっとゆっくり時間が流れていたと言うならば、これは時間が同じ速さで流れているという前提を破っているわけで、人間のほうで流れる速さを変えていることになります。人間のほうが時間の中を流れているならば、過去が「古き良き時代」となるのは当然のことで、懐古趣味と言って済ませられるほど安いものではないと思います。