宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

カフカ「人魚の沈黙」:「思い込み」の力は心理的錯覚をうむ!沈黙する人魚たちが、歌っているように見える!

2020-05-25 00:33:33 | Weblog
※カフカ(1883-1924)「人魚の沈黙」(1917)『カフカ短編集』岩波文庫(池内紀編訳)

(1)
オデュッセウスは人魚(セイレーン)たちの歌の誘惑から身を守るため、両耳に蝋を詰め、鎖で船の帆柱に身を縛った。だが、これは「子供だまし」にすぎないのだ。(実際には、両耳に蝋を詰めても人魚たちの歌は聞こえるし、また歌の誘惑は激しく本人が鎖を引きちぎり帆柱をへし折る。)
(1)-2
ところがオデュッセウスは、「子供だまし」の蝋と鎖を信じ切っていた。彼は、「蝋と鎖が役に立たない」というのは俗説にすぎないと意に介さず、人魚(セイレーン)たちにむかって、平然と船を進めた。
《感想1》「思い込む」というのは人間に力を発揮させるものだ。Cf.「鰯の頭も信心から」という諺がある。
(2)
だが人魚たちには、実は、歌より強力な武器があった。それは「沈黙」だ。人魚たちが歌わず無力と知ると、船乗りたちは「自力で人魚たちに打ち勝った」と慢心し、「こみあげてくる昂然とした気持ち」から油断する。船は岩礁にぶつかり木っ端みじんになる。船乗りたちは死ぬ。
(2)-2
オデュッセウスの船が漕ぎ進んできたとき、実は人魚たちは、オデュッセウスの裏をかき「沈黙」していた。
《感想2》人魚(セイレーン)たちが歌わないという話、つまり「人魚の沈黙」はカフカの創作だ。
(3)
しかしオデュッセウスは蝋と鎖を信じ切り、かつ「人魚たちが歌っている」とばかり思った。オデュッセウスには、実際、「人魚たちの喉がふるえ、胸がふくらみ、口が開く」のが見えた。だが蝋のおかげで歌は聞こえない。(※それはそうだ。人魚は「沈黙」していたのだから。)
《感想3》「思い込み」の力は心理的錯覚をうむ。見えないものを見させる。沈黙する人魚たちが、歌っているように見えた。Cf. 「プラシーボ効果」:偽薬を与えると症状が回復する。Cf.「ゲシュタルト崩壊」:全体性が失われ、各部分に切り離された状態で認識される現象。
(3)-2
人魚の「沈黙」は失敗した。オデュッセウスに慢心や油断が生じなかったので、彼の船が岩礁にぶつかり木っ端みじんになることはなかった。オデュッセウスは彼がめざす「遥かな方へと一心不乱に目を据えていた。」
(3)-3
このとき人魚たちは、実に美しかった。彼女らは「決意に満ちたオデュッセウス」、「遥かな方へと一心不乱に目を据えるオデュッセウス」に見惚れ陶然としていた。
(4)
ただし「智将オデュッセウスが煮ても焼いても食えないズル狐だ」という説もある。彼は人魚の「沈黙」に気づいていたが、船乗りたちの慢心と油断から、船が岩礁にぶつかり難破するのを避けたかった。そこで「両耳に蝋を詰め、鎖で船の帆柱に身を縛って」一連の芝居をやってのけた。
《感想4》これなら、さすが「智将」だ。Cf.「敵を欺くにはまず味方から」!
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« カフカ「禿鷹」:変形した現... | トップ | 空間は《時間》である!各々... »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事