宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ本論(四)「精神の史的叙述」3「現代(あるいは絶対知)」(その3-2):ヘーゲル『精神現象学』の史的意義(続)!フォイエルバッハとキェルケゴール!

2024-09-23 07:29:05 | Weblog
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(四)「精神の史的叙述」3「現代(あるいは絶対知)」(その3-2)(311-314頁)

(85)-3 ヘーゲル哲学において「ドイツ観念論」の完成に至った「精神革命」は、「観念論」的であって、他の2つの革命(「産業革命」・「政治革命」)と十分に相即しない憾みがある!
★近代ヨーロッパ文化はルネッサンス以来「人間が自然の所有者であり、世界の主人である」という意識をもって進んできた。この意識が「3つの革命」(「産業革命」・「政治革命」・「精神革命」)によって成就された。そして「精神革命」を担当したのが「ドイツ観念論」であり、ヘーゲルの哲学は「ドイツ観念論」の完成だ。(311頁)
★ヘーゲル哲学において「ドイツ観念論」の完成に至った「精神革命」は、「観念論」的であって、他の2つの革命(「産業革命」・「政治革命」)と十分に相即しない憾みがある。(311頁)
☆その原因としては(ア)「宗教改革」以後における「ドイツ民族の経済的政治的な立ちおくれ」ということも考えられる。(311頁)
☆だがさらに(イ)ヘーゲル哲学が、「クリスト教」との因縁浅からぬものであったことこそ、原因としてあげるべきだ。「絶対知」の成立も、「良心の立場」を「クリスト教」と比較して、「両者が根本的に一つである」ということによっているが、これは一面においては「『クリスト教』を『主体』のうちに解消する」ことだが、他面においては「『主体』を『クリスト教』によって権威づける」ことでもある。(311頁)

《参考1》16~17世紀:ドイツ「宗教改革」と「宗教戦争」の時代!
☆1517年、ルターによる「宗教改革」が開始され、その後ドイツは旧教・新教に分かれて激しく対立し、三十年戦争(1618-1648)という「宗教戦争」の時代に突入する。その過程で「神聖ローマ帝国」は事実上解体し、「プロイセン」と「オーストリア」の二大領邦が生まれた。
☆ヨーロッパの「17世紀の危機」と呼ばれた時期、ドイツの「三十年戦争」(1618-1648)では、新旧両派の内戦に対し、デンマークとスウェーデンが新教側支援、スペインが旧教側支援で参戦。フランス・ブルボン朝はカトリックだが、反ハプスブルクの新教側についた。「三十年戦争」は国際的な戦争となりドイツは荒廃した。1648年ウェストファリア条約で、①プロテスタントの信仰の自由が確認され、②ドイツの各領邦の主権が認められ、ハプスブルク家の皇帝権は著しく弱体化した。(この条約は「神聖ローマ帝国の死亡診断書」と言われる)。神聖ローマ帝国は300余の緒領邦の連合体とされ、ドイツの国民国家としての統合は遅れることになった。
☆当時ヨーロッパでは、イギリス(Cf. 1642ピューリタン革命、1688名誉革命)、フランス(1624宰相リシュリュー、1643宰相マザラン、ルイ14世親政1661-1715)が国家としての統一を強化したが、ドイツは多数の領邦国家(ラント)に分裂していた。その領邦の中で大きな力を持ったのがプロイセンとハプスブルク家のオーストリアだった。
《参考2》18世紀、ドイツはプロイセンとオーストリアという二大国を中心に、他にバイエルンやザクセンなどの領邦国家に分裂する状態が続いた。またプロイセンではユンカーという土地貴族が農奴を搾取した。ドイツにおける近代国家の形成と市民社会の成立は大きく遅れていた。
《参考3》18世紀後半、フランスではアンシャンレジームに対し、1789年フランス革命が勃発、一気に王政廃止・共和政に向かった。プロイセンとオーストリアは1791年、フランス革命政府と開戦するが、フランス軍がライン川を越えてドイツに侵入し、占領地では「主権在民」・「封建課税と特権の廃止」などの社会変革を宣言、革命理念がドイツ内に持ち込まれることとなった。ヘーゲル(1770-1831)が21歳の時だ!
《参考3-2》「フランス革命戦争」(1791-1802)、それに続く「ナポレオン戦争」(1803-1815)は、ドイツ国家の統合を促した。当時ドイツには300以上の領邦国家があり、神聖ローマ帝国は形骸化し「モザイク国家」状態だった。ナポレオンの征服によってドイツの「国民国家」形成は大きく進む。1803年、帝国代表者会議はナポレオンの同意のもとに諸領邦すべてを潰し、中核領邦に統合した。バイエルン、ヴュルテンベルク、バーデンなどの南ドイツ諸邦が大幅に領土を拡大し、オーストリア、プロイセンの二大領邦に対抗する第三勢力を形成した。
《参考3-3》「アウステルリッツの戦い」(1805年12月、露墺と仏の戦い)で敗れると、1806年、バイエルンなど西南ドイツの16領邦は、ナポレオンを「後見人」として「ライン同盟」を結成し、神聖ローマ帝国から離脱。かくて「神聖ローマ帝国」は消滅した。
《参考4》 1806年10月、プロイセンは「イエナの戦い」(普露と仏の戦い)で大敗し、ナポレオンはプロイセンの首都ベルリンに入城。翌1807年ティルジット条約で、エルベ川以西はヴェストファーレン王国(ナポレオンの弟ジェロームが国王)、旧ポーランド領はワルシャワ大公国と、いずれもナポレオン直属の傀儡国家に組み込まれた。プロイセンは国土を半減させ、15万人のフランス軍駐留を受け入れ、賠償金として国庫収入の3倍の金額を課せられた。オーストリアも1809年「ヴァグラムの戦い」で敗れ、広大な領土を失い、プロイセンを上まわる賠償金を課せられた。
《参考4-2》プロイセンの改革(1807-1820)(ヘーゲル37-50歳)!
☆ナポレオンの支配によって、「貴族の封建的特権の廃止」、「内閣制度」、「営業の自由」、そして「人権と自由」など近代社会の理念がドイツに持ち込まれ、ナポレオンはドイツにおいて「国民国家」形成の「触媒」の働きをした。
☆プロイセンではナポレオン戦争での敗戦(1806)後、哲学者フィヒテは「ドイツ国民に告ぐ」と題するベルリンでの講演(1807-1808)でドイツの国民国家としての自覚を促した。また1807年から「プロイセン国制改革」が、シュタインとハルデンベルクによって進められた。改革は「農民解放」をはじめ、「内閣制」の確立、「地方自治」、「営業の自由」、「国民軍の創設」、「教育改革」など多岐にわたり、ナポレオン没落後、ウィーン体制下の1820年代初めまで続いた。

(85)-4 ヘーゲル哲学は「『絶対者』は『主体』である」という近代哲学の基本的なテーゼを証明しようとしたものとして近代哲学の完成だ!ヘーゲルへの反抗、すなわち「『観念論』に反対する」!「『Dasein(そこに現にあるもの)』でなくてはいかなるものをも承認しない」という「リアリズム」の立場!
★ヘーゲル哲学は(もとよりヘーゲルという個人の個性からくる偏りがあるが)、「『絶対者』は『主体』である」という近代哲学の基本的なテーゼを明確に自覚し、これを証明しようとしたものとして、明らかに近代哲学の完成だ。(311頁)
★したがって、ヘーゲル(1770-1831)以後の哲学者のうちで、オリジナルな思想をもった才能のある人々はみな「ヘーゲルへの反抗」において自己の思想を形づくったが、いずれも「『観念論』に反対する」ことを主目標にした。(311頁)
☆すなわち「『Dasein(そこに現にあるもの)』でなくてはいかなるものをも承認しない」というのが、「ヘーゲル以後の哲学」の基本特徴だ。この態度が「リアリズム」である。(311-312頁)
☆文芸の方面において、1830-40年頃を限界として「ロマンティスィズム」から「リアリズム」に移るのと同じことが、哲学の方面にもあったのだ。(312頁)

(85)-4-2 「ヘーゲル以後の哲学」である「リアリズム」は「2つの方向」を持つ:①「ポジティヴィズム」(フォイエルバッハ)&②「ネガティヴィズム」(キェルケゴール)!
★「ヘーゲル以後の哲学」の基本特徴である「リアリズム」は「2つの方向」を持つ。(312頁)
★一つは、ヘーゲルの「観念論」に反対し「リアリズム」の立場をとりながら、しかし「絶対者は主体である」というヘーゲルの根本思想そのものは認め、これを「現実」のうちに「現実に実現し定立する」、即ち「ポジット」しようとするものだ。これを私(金子武蔵氏)は「ポジティヴィズム」と名づける。その代表者がフォイエルバッハ(1804-1872)だ。(312頁)
★もう一つは「リアリズム」の立場をとりつつ、かつ「絶対者は主体である」とのヘーゲルの根本思想をも否定する。これを私(金子武蔵氏)は「ネガティヴィズム」と名づける。その代表者がキェルケゴール(1813-1855)だ。(312頁)

(85)-4-3 「ヘーゲル以後の哲学」である「リアリズム」①「ポジティヴィズム」:フォイエルバッハ、マルクスとエンゲルス、ユーティリタリアニズム(功利主義)、プラグマティズム、実証主義(コント)!
★フォイエルバッハから出たのがマルクス(1818-1883)とエンゲルス(1820-1895)だ。マルクスとエンゲルスの思想は非常にヘーゲルと違うが、しかしヘーゲルの根本思想そのもの(「絶対者は主体である」)はこれを認め、ただこれを「現実」のうちに「現実的に実現しようとする」ところから相違がでてきたのだ。(312頁)
☆なぜならもし「共産主義社会」が実現されるならば対「自然」的にも、対「人間」的にも、「人間の自由」を拘束すべきなにものもなく、「絶対者はまさに主体(※人間)となる」べきはずだからだ。(312頁)

★さて「資本主義と社会主義との対立」はしばらく別とするならば、「ユーティリタリアニズム(功利主義)」、「プラグマティズム」、「実証主義(コント)」は、「絶対者が主体である」ことを「現実に実現しようとする」ものとして――ただし「革命的」にでなく「改良主義的」に「現実に実現しようとする」ものとして――やはり「リアリズム」①「ポジティヴィズム」の系統に属する。(312-313頁)

《参考1》「ユーティリタリアニズム(功利主義)」は近代イギリスに発達した倫理・政治思想の一つ。人間は利己的であるが、道徳・政治の理想として「最大多数の最大幸福」をめざせば社会は「進歩」すると唱えた。J. ベンサム(1748-1832)、またベンサムを修正したJ. S. ミル(1806-1873)によって唱えられた。

《参考2》「プラグマティズム」(実用主義)は19世紀末から1930年代にかけてアメリカで有力だった哲学。その称はギリシア語pragma(実践・行為)に由来する。C. S. パース(1839-1914)、W. ジェームズ(1842-1910)、J. デューイ(1859-1952)らが代表者で、論者により強調点に差異があるが、「認識の形而上学的な基礎づけ」を排し、「認識の妥当性」を「行為の効果」に求め、「真理と価値」の追求を「社会的協働」の中に求めるところに特質がある。
《参考2-2》論理実証主義、分析哲学などとの対話のなかで「ネオ・プラグマティズム」(R. ローティ、クワイン、グッドマン、パトナムら)も提唱された。伝統的なプラグマティズムは「経験」に焦点を当てるが、ローティは「言語」に重点を置く。例えば「自己」(the self)は、「信念と欲求から成る、中心を欠いた網目(web)」と見なされる。

《参考3》「実証主義」はコント(1798-1857)が標榜した。科学的方法と経験的事実に基づく知識の追求を重視する。 実証主義の基本原則は、観察可能な事実にのみ基づき、形而上学的な推測や神学的な説明を排除することだ。 コントは、科学的な方法で社会の法則を発見する「社会学」を唱えた。

(85)-4-4 「ヘーゲル以後の哲学」である「リアリズム」②「ネガティヴィズム」:キェルケゴールの実存主義!キェルケゴールは「絶対者は主体である」とするヘーゲル哲学に、したがってまた近代哲学の基本的動向に根本的に反抗するものだ!
★「ヘーゲル哲学」は「クリスト教」を「克服」するごとく見えて、またそれに「依存」するものだ。(313頁)
☆①フォイエルバッハ―マルクスが(「クリスト教」の)「克服」の方向をとらえて、ヘーゲルの根本思想(「絶対者は主体である」)をリアリスティックの発展させたのに対して、②「クリスト教」への「依存」の方向をとらえたのがキェルケゴールだ。(313頁)

★(「クリスト教」の)①「克服」の方向、いいかえるならば、「絶対者は主体である」ということがヘーゲル哲学にとって本来的であるというところからすれば、②キェルケゴールはヘーゲル哲学に、したがってまた近代哲学の基本的動向に根本的に反抗するものだ。つまりキェルケゴールは、ヘーゲル哲学の「クリスト教」への「依存」の方向をとる。(313頁)
☆ただしかしキェルケゴールの思索の態度はやはり「リアリズム」だ。即ち、ヘーゲル哲学によれば「『人間』はすべて『神の子』たるの権威を具える」が、しかし人間を「精神」として「全般的」にみた場合には、このことが成り立つとしても、「個々の人間の内面」をよくよく熟視するならば、人間に「『神の子』たるの権威」に値するものはなく、あるのはただ「不安・憂愁・倦怠・罪・悪魔的なものなど」だけだというのが、キェルケゴールの「実存主義」の出発点だった。(313頁)

☆つまりキェルケゴールは、ヘーゲル哲学の「クリスト教」への②「依存」の方向、いいかえれば②「人」の「神」への「依存」の方向をとらえ、これを「リアリスティック」な態度で極限まで推し進めようとした思想家であるということができる。

(85)-4-5 「ヘーゲル以後の哲学」である「リアリズム」の「2つの方向」、すなわち①「ポジティヴィズム」(「絶対者は主体である」という根本のテーゼを承認)(フォイエルバッハ―マルクスの系統)と②「ネガティヴィズム」(キェルケゴールに始まる実存主義の系統)を統合することこそが、現代哲学の課題だ!
★「ヘーゲル以後の哲学」である「リアリズム」は「2つの方向」を持つ。すなわち①「ポジティヴィズム」(フォイエルバッハ)と②「ネガティヴィズム」(キェルケゴール)だ。(312頁)
☆「リアリズム」の「2つの方向」のうち①フォイエルバッハ―マルクスの系統は、「絶対者は主体である」という根本のテーゼを承認し肯定して、これを「現実的」(Cf.「観念的」)に実現しようとした。この系統は「ポジティヴィズム」と呼ぶことができる。(広い意味では「実証主義」・「功利主義」・「実用主義」・「器具(道具)主義」もこのうちに含めることができる。)(313-314頁)

《参考》「器具(道具)主義」は科学理論を、観察可能な現象を組織化・予測するための道具・装置であると見なす。観察可能な「現象」の背後にある観察不可能な隠れた「実在」の真の姿は知りえないとする。(この点で「科学的実在論」と対立する。)「道具主義」は、「観察不可能な対象」について語ることは「形而上学」の役割であるとする。

☆「リアリズム」の「2つの方向」のうち②キェルケゴールに始まる「実存主義」は「絶対者は主体である」というテーゼに反抗するものだから、「ネガティヴィズム」だ。(314頁)

★「ヘーゲル以後の哲学」である「リアリズム」の「2つの方向」、すなわち①「ポジティヴィズム」(フォイエルバッハ―マルクスの系統)と②「ネガティヴィズム」(キェルケゴールに始まる「実存主義」の系統)の「結合」こそが現代哲学の課題だろうかと思う。(金子武蔵氏)(314頁)
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