宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

乙川優三郎(1953-)「散り花」(2003年、50歳):江戸時代の銚子が舞台の小説だが、今の性産業労働者のひとつの心理的正当化だ!凄惨な「散り花」!

2020-12-29 00:45:07 | Weblog
(1)
舞台は江戸時代の銚子。漁師の父が2年前に海で遭難した。残された一家6人は生活できる状態でない。「どうにもならない暮らし」。働けない祖父、弟妹3人を養うため、母と長女「すが」14歳が、懸命に働く。すがは海に潜ってカイソウ採りをしたが、まだ慣れずたいして採れない。加工場(イサバヤ)で一日中働いても稼ぎはわずかだ。いわしの大群が来てもいわしを運ぶ仕事しか出来ない。母も似たような仕事だ。弟が一人前の漁師になるまで、母と長女すが、二人の力で凌ぐしかない。
《感想1》母の再婚の可能性はないのか?長女14才なら母親はまだ30歳代だ。しかし6人家族を養ってくれる奇特な男はいないだろう。
(2)
そんな時、「『いなさ屋』の孝助さんというひとに相談してみるといい」という話を、すがは聞いた。彼女は母に言わず「いなさ屋」の孝助を訪ねた。孝助は桂庵(ケイアン)つまり口入れ屋(雇い人・奉公人の斡旋 をする)だ。すがが14歳だったので、孝助は、彼女が苦界に堕ちることを望まなかった。孝助はすがを、自分の飲み屋「いなさ屋」で夜の手伝いに雇ってやった。
《感想2》このような「桂庵」(口入れ屋)がいるとの想定は、小説的=非現実的だ。現実の世では、カネ以外の目的のため商売することは、普通ない。
(3)
すがは、夜、「「酒と男の匂いの中で働くうち」、少しずつ場慣れしていった。やがて彼女は、「忙しく働いたところで、給金が少しも変わらない」ことを癪と思うようになった。そして、「翌日、上方に立つ」という水夫に、初めて体を売り、金を手に入れた。
《感想3》この小説では、すがは「処女」だとの想定だが、これも小説的=非現実的だ。多くの者は性産業労働者になる以前に、初の性体験を済ましているだろう。
(4)
男がくれた金は「いなさ屋」で一月働いてもらえる金と変わらなかった。たった一夜の辛抱で金はできる。彼女は、半分を母に渡し、残りで下駄と腰巻を買った。こうしてすがは、自分で次々と男をとって金を稼ぐようになる。娘すがのもたらす金が一家6人のよりどころだった。
《感想4》性産業への従事は、差別を受ける。病気、暴力、隷属の危険が極めて高い。「自助」が全ての世界だ。「共助」・「公助」はあてにならない。「たった一夜の辛抱で金はできる」との著者の見解は、危険を無視し、無責任すぎる。
(5)
すがはある日、父の霊が祀られている千人塚で、一切を父に報告した。「いまさら死んだ人間を恨んでもはじまらない」。すがは「父に洗いざらい告げてしまうと怖れるものはもう何もないように思われた。」「あてどなくさまようかわりに、年月(トシツキ)求めてきたもの(※つまり金)を彼女は自力で手に入れた。」
《感想5》江戸時代の銚子が舞台の小説だが、今の性産業労働者のひとつの心理的正当化だ。だが残酷な正当化だ。「怖れるものはもう何もない」とは地獄を受け入れる覚悟だ。凄惨な「散り花」だ!
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 浮世博史『もう一つ上の日本... | トップ | 浮世博史『もう一つ上の日本... »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事