宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

清少納言『枕草子』(1001?)「ありがたきもの」(めったにないもの)(72段)(その1):①姑に思はるる嫁の君、②主そしらぬ従者(ズサ)!

2020-03-20 11:20:45 | Weblog
(1)
「姑(シウトメ)に思はるる嫁の君」(姑にかわいがられるお嫁さんは、めったにない)
《感想1》平安時代中期は嫁入り=嫁娶(ヨメトリ)でなく婿取りで、男が女の家へ通い、3日を経た後、嫁方の両親と挨拶をかわす。その儀式「露顕」(トコロアラワシ)が結婚式だった。なお平安時代後期には嫁娶(ヨメトリ)へ移行する。
《感想1-2》清少納言が生きた平安時代中期、つまり婿取りの時代にも、婿の母親(姑)が、嫁を気に入ることは、滅多になかった。婿取りでも嫁入りでも、姑は、息子(の心)を嫁に取られ、面白くない。また嫁の実家の出自・政治力・経済力が嫁の地位を保証したから、実家の弱い嫁は姑からいじめられた。
(2)
「主そしらぬ従者(ズサ)」(主人の悪口を言わない従者は、めったにない)
《感想2》「従者(ズサ)」あるいは家人(ケニン)は、実は貴族である。彼らは諸大夫(ショダイブ)と呼ばれる四位・五位の貴族つまり地下人(ジゲニン)、または四位までしか昇進出来ない貴族の家柄の官人だった。彼らは上層貴族に奉仕し(奉公)、代わりに官職等の利益(御恩)(Ex. 現地赴任国司である受領)を得た。清少納言や紫式部もこの階層に属す。
《感想2-2》「従者(ズサ)」は中・下級貴族であり、自負も教養も、時には金力もあるから、「主」である上級貴族についてあれこれ批評するのも、当然だ。

※清少納言(966?-1025?)『枕草子』(1001?)(※《参照》角川文庫『枕草子』訳注:石田穣二)
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