宇宙そのものであるモナド

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「2010年代 ディストピアを超えて」(その4):有吉佐和子『恍惚の人』、耕治人『どんなご縁で』等、佐江衆一『黄落』、モブ・ノリオ『介護入門』、荻原浩『明日の記憶』!(斎藤『同時代小説』6)

2022-05-21 10:20:37 | Weblog
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(66)「少子高齢化時代の老人介護小説」:「気が滅入る」介護小説①(1970年代)有吉佐和子『恍惚の人』(1972)孤立していく主婦の悲惨な現実!
D 空前の少子高齢化社会は、新しい小説のジャンルを生み出した。すなわち「介護小説」だ。(229-230頁)
D-2 過去にさかのぼると、老人介護をテーマにした作品で有名なのは有吉佐和子(1931-1984)『恍惚の人』(1972年、41歳)で大ベストセラーになった。(230頁)
D-2-2  認知症(老人性痴呆症)の症状が進行した元大学教授の義父は、息子の妻(主人公)に生活のすべてを頼る。介護は妻に任せっぱなしの夫。「このくらいなら、ホームにいれなくても」と諭す社会福祉主事。孤立していく主婦の悲惨な現実が描かれた。(230頁)

《書評1》まだ介護保険制度が制定される前の、認知症の高齢者の介護を描く。とにかく主人公の昭子が立派だ。自分を散々いびってきた舅の介護に尽くす。夫は全く使えない。なんとか気持ちを保って前向きに奮闘する昭子。昔の日本にはこんな女性が多かったのかと思う。
《書評2》「いつまでこんな暮らしが続くのかという絶望感で一杯だった。茂造(義父)が死んでくれたらどんなに楽だろう。そんな考えに罪悪感も後ろめたさも、もうなかった」親孝行という美辞ではまかなえない現実。昭子は髪振り乱して、泣いてわめいて、くたくたになって、時々笑って、家族や関係者を巻き込んでふんばった。本当にすごい。最後は彼女と一緒に泣いた。
《書評3》認知症や介護をめぐる問題は今と共通するところが多く、40年以上前(1974年)ということに驚かされる。①施設は空き待ちでなかなか入れない、②家庭内介護を勧められる、③「被介護者殺すこと」を視野に入れる。この本が世間への啓蒙となり各制度の整備に繋がったと言われるが、令和になった今も解決していないことが多い。

(66)-2 「気が滅入る」介護小説②(1980年代)耕治人(コウハルト)の晩年の三部作『天井から降る哀しい音』『どんなご縁で』『そうかもしれない』(1986-1988)80代の夫婦の老老介護を描く!
D-3 耕治人(コウハルト)(1906-1988)の晩年の三部作『天井から降る哀しい音』『どんなご縁で』『そうかもしれない』(1986-1988、80-82歳)は、80代の夫婦の老老介護の姿を描く。気が滅入るような小説だ。(230頁)

《参考1》『天井から降る哀しい音』:「ことこと」、「がちゃがちゃ」、音がする。すると家内が立っている。「ご飯のしたくができたのよ。起きてちょうだい」空っぽの茶碗・皿・箸。午前3時だ。家内はきものを着ているが、こんろの口が真っ赤だ。いきなりなぐった。家内は「わたし、親からもなぐられたことないわ」と泣いた。「3時間もすれば夜があけるから、それからいただく」と私は言った。
《参考2》『どんなご縁で』:認知症が進み、夜失禁した妻の下の世話を耕治人氏がするのだが、その時妻が、夫がわからず「どんなご縁でこんな親切な対応をしてくださるのですか?」と言った。
《参考3》『そうかもしれない』:認知症になった妻が夫を認められなくなり、老人ホームの職員から「あなたのご主人ですよ」と繰り返し言われて「そうかもしれない」と答える。

(66)-3 「気が滅入る」介護小説③(1990年代)佐江(サエ)衆一『黄落』(コウラク)(1995)!
D-4 佐江(サエ)衆一(1934-)『黄落』(コウラク)(1995、61歳)は、60歳近い夫婦が、92歳の父と87歳の母の介護に疲れ果てるという、やはり気が滅入るような小説だ。(230頁)
《書評1》15年前、父親の介護に苦労していた時、上司から参考までにと贈られた本です。多くの場面で主人公の気持ちに共鳴でき、苦労しているのは自分一人でないことに救われました。
《書評2》①要介護者が「いい人」か「悪い人」か、②介護の負担が重いか軽いか、③介護者の子供・嫁・兄弟・孫など取り巻く周囲の人間の立場と取り得る態度、③自分が「老怪」(要介護者)となった場合の処し方、そういった様々のケースに、示唆を与えていると思う。
《書評3》1992年から95年くらいにかけての話であり、実話、私小説である。もう還暦近い、藤沢に住む作家が、近くに住む老いた両親の介護のために疲弊していく。母親は、父親の過去を呪い、自ら絶食して命を絶つ。しかしあとに残った父親は、90歳を過ぎてなお、入れられた介護施設で、80歳の老婆と恋愛ごっこを始める。その間、作家の妻は舅の仕打ちに耐えかねて愚痴を洩らし、あやうく夫婦離婚の危機すら訪れる。つくりごとの小説にはとうてい描けない(私小説の)真実がある。

(66)-4 「気が滅入る」系でない2000年代のヒップホップ調の介護小説:モブ・ノリオ『介護入門』(2004)(芥川賞受賞)金髪の若者が祖母を介護する!
D-5  「気が滅入る」系の介護小説に風穴を開けたのは、モブ・ノリオ(1970-)『介護入門』(2004、34歳)(芥川賞受賞)だ。この小説の新しさは(a) 若者が祖母を介護するという関係性と、(b)現実を笑い飛ばすヒップホップ調の文体だった。
D-5-2  語り手の「俺」は無職の自称ミュージシャン。金髪で、大麻はやるし、親戚からはディス(disrespect)られている。でも「俺の命は祖母の襁褓(オムツ)を新たに敷き直すため。熱めのタオルで尻を拭うため、寝汁で湿ったメリヤスの下着を脱がして更に着せ替えるためだけにある、そう言い聞かせなくては、俺はこの夜から復讐を果たすことができないんだ、朋輩(ニガー)」。(230-231頁)

《書評1》愛に溢れた婆孝行がラップ調で語られる、ユーモアがありハートフルな前衛的小説だ。本当に介護で起こりうるリアルな怒りが、この文体だからこそストレートに吐き出され、清々しい。
《書評2》主人公がおばあちゃんを 愛していて、この主人公も 愛されて育てられたんだろうな と思った。
《書評3》働かず、ドラッグにまみれて歌う反社会的青年が、反社会ついでに「寝たきり老人に冷たい世間の常識」から祖母を守り抜く話。現代のヒロイックファンタジー。

(66)-5 2000年代の「認知症のイメージを変えた」介護小説:荻原浩『明日の記憶』(2004)    !
D-6 認知症のイメージを変えたのは、荻原浩(1956-)『明日の記憶』(2004、48歳)だ。「私」(佐伯雅行)は広告代理店の営業部長。その「私」が50歳にして「若年性アルツハイマー」と診断される。受け入れ難い事実と向き合い、記憶が失われていく恐怖と戦う「私」の内面が、ていねいに描かれる。ただし「悲惨なだけではない結末」に救いがある。(231頁)

《書評1》人生は「記憶の重なり」である。忘れることを受け入れれば、穏やかな日々を過ごせるのか。だが①「共有した思い出」を失っていくことは他者を失う(共に生きた時間を失う)こと、②「今の自分を作り上げた過去(記憶)」の喪失は自己の喪失になる。佐伯の「二人で痴呆か」という言葉に、枝実子の「案外、それもいいかも」という呟きが忘れられない。
《書評2》主人公と同世代として、身につまされる内容。実際、私自身も「何年か前に出張した海外の町」の名前や、「その時に流行っていたけど今は見なくなった物」の名前を忘れる様になった。これだけでも多少ショックなので、「記憶が急激に欠落していく」のは、とても恐ろしいと思う。
《書評3》「記憶が消えても、私が過ごしてきた日々が消えるわけじゃない。私が失った記憶は、私と日々を過ごしてきた人たちの中に残っている」。そうだとしても、私は「無」となっていく。

(66)-6 2010年代:「介護小説」の急成長!
D-7  2010年代に介護小説は質量ともに急成長を遂げる。原因は①高齢化の進行で要介護老人が増えたこと、②介護保険制度の導入などで、介護を客観的に考えられるゆとりが作者と読者に生まれたこと、また③80年代~90年代にデビューした作家が40~50代の介護年齢に達したことなどだ。介護は今やみんなの問題。あの作家もこの作家も自身の体験が入っているだろう「介護を題材とした小説」を書いている。(231頁)

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