※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書
(62)「村上春樹も渡辺淳一も殺人(テロ)を肯定していた!?」:村上春樹『IQ84』(2009)「DV男は処刑すればいい」という村上春樹には「テロを肯定する思想」が流れている!
N 村上春樹(1949-)『IQ84』BOOK1, BOOK2(2009、60歳)は、さまざまな解釈が乱れ飛んだが、意外に2000年代的な作品だった。(215頁)
(ア)舞台は1984年。ジョージ・オーウェル『1984年』(1949)を意識しつつ、オウム真理教事件(1995)や「9.11」米同時多発テロ(2001)への連想を誘いつつ進む物語。(215頁-216頁)
(イ)予備校教師「天吾」(男性)が、宗教団体「さきがけ」の教祖の娘「ふかえり」(深田絵里子)(17歳)の小説『空気さなぎ』のリライトをする。(215頁)
(ウ)スポーツジムのインストラクター「青豆」(女性)は「プロの殺人者」という裏の顔を持つ。夫のDV(ドメスティック・バイオレンス)で自殺した親友のDV夫を「処刑」。(215頁)
(エ)娘が夫からのDVで自殺した老婦人・緒方静恵は、DVの夫から逃げて来た女性をかくまう施設「柳屋敷」を運営する。「青豆」は「柳屋敷」の一員となり、DV加害者の暗殺(「処刑」)の担当となる。(215頁-216頁)
(オ)こうして「青豆」は「さきがけ」教祖の処刑に向かう。(216頁)
N-2 天吾とふかえりの物語は広義の「少女小説」(1980&1990年代)のトレンドに乗る。青豆と柳屋敷の物語は「殺人(テロ)小説」(2000年代)のトレンドに乗る。(216頁)
N-2-2 「DV男は処刑すればいい」という緒方夫人や青豆の認識は、復讐の仕方としては最低最悪で、「現実を見誤る」という点では有害ですらある。村上春樹がいかにこうした問題に「不注意」かを示している。(斎藤美奈子氏評。)(216頁)
N-2-3 ここには「テロを肯定する思想」が流れている。「殺人」が日常茶飯事の村上龍じゃあるまいし、通常の意味では「連続殺人犯」の女性(「青豆」)を主人公にするなど、かつての村上春樹ではあり得ないことだった。(斎藤美奈子氏評。)(216頁)
N-2-4 村上春樹までが主人公に「殺害」をさせ、それに肯定的な意味を持たせる。2000年代はそういう時代だった。(216頁)
《書評1》「謎が多く、しかしそれの明確な答えがない」という作風のため、好き嫌い分かれるんだろう。個人的にはわりと好きだが、苦手とする人の気持ちもわかる。「物語としてはとても面白くできているし、最後までぐいぐいと読者を牽引していくのだが、我々は最後までミステリアスな疑問符のプールの中に取り残されたままになる。」
《書評2》「何なの?」「なぜ好評?」単純に長いだけの幻想的なファンタジー。異世界で苦悩するだけの話。
《書評3》「出版当時はBOOK2で終わりの予定だった」と後で本人が語っている。初読時はBOOK3を心待ちにした記憶があるが、再読してみると「BOOK2で終わり」で良いんじゃないかと思ってしまう。
《書評4》「『IQ84』のあらすじ」①青豆という女が宗教団体のボス「さきがけ」の殺害を依頼される。②宗教団体から逃げてきた女の子「ふかえり」が天吾といっしょに本『空気さなぎ』を書いてベストセラーになる。③女の子「ふかえり」のお父さんが、殺害された宗教団体のボス「さきがけ」で、青豆は命を狙われるようになる。④その捜査をするのが牛河。⑤最後は青豆と天吾がくっついて終わり。
《書評4-2》「読んだ?面白いか?」と聞かれた場合の返答の例。「青豆と天吾が結ばれてよかったです」と言う。
《書評5》いままで村上春樹を読んだことがなく、物語に「起承転結」を求めるのでしたら、「おやめになったほうがいい」と思います。
(62)-2 渡辺淳一『愛の流刑地』(2006):主人公に「殺害」をさせ、それに肯定的な意味を持たせる2000年代らしい作品!
N-3 渡辺淳一(1933-2014)『愛の流刑地』(2006、73歳)も主人公に「殺害」をさせ、それに肯定的な意味を持たせる。2000年代らしい作品だ。(216頁)
N-3-2 『愛ルケ』(愛の流刑地)も例によって渡辺淳一の不倫小説だが、バブルの残り香を引きずった『失楽園』(1997)と大違い。『失楽園』のカップルは美食や豪華旅行にいそしんだ。だが『愛ルケ』のカップル(村尾菊治、入江冬香)は、村尾の部屋で性行為にふけるだけ。(216-217頁)
N-3-3 そして村尾は、冬香の求めに応じ、性交の絶頂において彼女を絞め殺す。愛人の絞殺が「愛」だと強調される。(217頁)
《書評1》「セックスにおけるエクスタシーで死を希望する」というのは無理がある。少し「男のエゴ」があるのでは?多分に渡辺氏の主観が入っている。
《書評2》「愛し合っている人を絞殺してしまう」ことなんてあるのかなあ?「 裁判」で他の人たちにわかってもらうのは無理だろう。
《書評3》冬香が亡くなるシーンでは息を呑んだ。性的な描写の連続の果てに、その肉体が動かなくなる。取り返しのつかなさが、恐ろしく悲しかった。2人(村尾と冬香)の間では豊かに通じ合っていたことが、取り調べや裁判の場では一般化された言葉に集約され、空疎になっていく。
(62)-3 赤木智弘「『丸山眞男』をひっぱたきたい:31歳、フリーター。希望は、戦争。」(2007):「希望のない日常」か、「戦争による流動化」か!
N-4 赤木智弘(1975-)「『丸山眞男』をひっぱたきたい:31歳、フリーター。希望は、戦争。」(『論座』2007年1月号)が論壇を騒然とさせた。(217頁)
N-4-2 赤木智弘は訴える。「我々が低賃金労働者として社会に放り出されてから、もう10年以上たった。それなのに社会は我々に何も救いの手をさしださないどころか、『GDPを押し下げる』だの、『やる気がない』だのと罵倒を続けている。」(217頁)
N-4-3 「平和が続けばこのような不平等が一生続く」。「若者たちの右傾化」!「日本が軍国化し、戦争が起き、たくさんの人が死ねば、日本は流動化する。」(217頁)
N-4-3-2 「〈持つ者〉は戦争によってそれを失うことにおびえを抱くが、〈持たざる者〉は戦争によって何かを得ることを望む。」「もはや戦争はタブーではない。」(217頁)
《『論座』原文をweb上に公開した赤木の意図(2007)》「希望は戦争」という、安直な要約ばかりが流通し、それが誤解を招いていることもあり、原文をアップすることにしました。読んでいただければ、私がいかに「戦争を忌避しつつも、しかし、戦争にしか期待を込めることができない諦念」を表明しているかが分かっていただけるかと思います。
《書評1》「希望は、戦争。」では、赤木は東大卒の丸山眞男が陸軍二等兵として召集され、中学に進んでいない上等兵や下士官から繰り返し殴られたことを挙げ、フリーターでも丸山眞男をひっぱたけるような変化を「希望」として求めた。
《書評2》赤木にとっての親世代は、「中流意識」そして「向上の実現可能性」という観念(「庶民の夢」)を年少世代に注入した。赤木の世代は、親世代によって「庶民の夢」という願望を注入されながら、その願望が充足される条件の崩壊を経験したのだ。
N-5 赤木智弘の書き方は挑発的だが、「若い世代」がどれほど逼迫した状態にあるかを訴える力があった。(218頁)
N-5-2 「日本が軍国化し、戦争が起き、たくさんの人が死ねば、日本は流動化する」という赤木の言葉は、「2000年代の小説」(若者たちがテロや犯罪に走り、市民がいつのまにか戦争に巻きこまれる)と響き合う。フィクションの世界は「希望のない日常」か、さもなければ「戦争」か、という段階にとっくに入っていた。(218頁)
N-5-3 「美しい死」をともなう「難病モノ」や、「ケータイ小説」の流行はその反動とも言える。(218頁)
N-5-4 「小説」は弱者や敗者に敏感なのだ。(218頁)
(62)「村上春樹も渡辺淳一も殺人(テロ)を肯定していた!?」:村上春樹『IQ84』(2009)「DV男は処刑すればいい」という村上春樹には「テロを肯定する思想」が流れている!
N 村上春樹(1949-)『IQ84』BOOK1, BOOK2(2009、60歳)は、さまざまな解釈が乱れ飛んだが、意外に2000年代的な作品だった。(215頁)
(ア)舞台は1984年。ジョージ・オーウェル『1984年』(1949)を意識しつつ、オウム真理教事件(1995)や「9.11」米同時多発テロ(2001)への連想を誘いつつ進む物語。(215頁-216頁)
(イ)予備校教師「天吾」(男性)が、宗教団体「さきがけ」の教祖の娘「ふかえり」(深田絵里子)(17歳)の小説『空気さなぎ』のリライトをする。(215頁)
(ウ)スポーツジムのインストラクター「青豆」(女性)は「プロの殺人者」という裏の顔を持つ。夫のDV(ドメスティック・バイオレンス)で自殺した親友のDV夫を「処刑」。(215頁)
(エ)娘が夫からのDVで自殺した老婦人・緒方静恵は、DVの夫から逃げて来た女性をかくまう施設「柳屋敷」を運営する。「青豆」は「柳屋敷」の一員となり、DV加害者の暗殺(「処刑」)の担当となる。(215頁-216頁)
(オ)こうして「青豆」は「さきがけ」教祖の処刑に向かう。(216頁)
N-2 天吾とふかえりの物語は広義の「少女小説」(1980&1990年代)のトレンドに乗る。青豆と柳屋敷の物語は「殺人(テロ)小説」(2000年代)のトレンドに乗る。(216頁)
N-2-2 「DV男は処刑すればいい」という緒方夫人や青豆の認識は、復讐の仕方としては最低最悪で、「現実を見誤る」という点では有害ですらある。村上春樹がいかにこうした問題に「不注意」かを示している。(斎藤美奈子氏評。)(216頁)
N-2-3 ここには「テロを肯定する思想」が流れている。「殺人」が日常茶飯事の村上龍じゃあるまいし、通常の意味では「連続殺人犯」の女性(「青豆」)を主人公にするなど、かつての村上春樹ではあり得ないことだった。(斎藤美奈子氏評。)(216頁)
N-2-4 村上春樹までが主人公に「殺害」をさせ、それに肯定的な意味を持たせる。2000年代はそういう時代だった。(216頁)
《書評1》「謎が多く、しかしそれの明確な答えがない」という作風のため、好き嫌い分かれるんだろう。個人的にはわりと好きだが、苦手とする人の気持ちもわかる。「物語としてはとても面白くできているし、最後までぐいぐいと読者を牽引していくのだが、我々は最後までミステリアスな疑問符のプールの中に取り残されたままになる。」
《書評2》「何なの?」「なぜ好評?」単純に長いだけの幻想的なファンタジー。異世界で苦悩するだけの話。
《書評3》「出版当時はBOOK2で終わりの予定だった」と後で本人が語っている。初読時はBOOK3を心待ちにした記憶があるが、再読してみると「BOOK2で終わり」で良いんじゃないかと思ってしまう。
《書評4》「『IQ84』のあらすじ」①青豆という女が宗教団体のボス「さきがけ」の殺害を依頼される。②宗教団体から逃げてきた女の子「ふかえり」が天吾といっしょに本『空気さなぎ』を書いてベストセラーになる。③女の子「ふかえり」のお父さんが、殺害された宗教団体のボス「さきがけ」で、青豆は命を狙われるようになる。④その捜査をするのが牛河。⑤最後は青豆と天吾がくっついて終わり。
《書評4-2》「読んだ?面白いか?」と聞かれた場合の返答の例。「青豆と天吾が結ばれてよかったです」と言う。
《書評5》いままで村上春樹を読んだことがなく、物語に「起承転結」を求めるのでしたら、「おやめになったほうがいい」と思います。
(62)-2 渡辺淳一『愛の流刑地』(2006):主人公に「殺害」をさせ、それに肯定的な意味を持たせる2000年代らしい作品!
N-3 渡辺淳一(1933-2014)『愛の流刑地』(2006、73歳)も主人公に「殺害」をさせ、それに肯定的な意味を持たせる。2000年代らしい作品だ。(216頁)
N-3-2 『愛ルケ』(愛の流刑地)も例によって渡辺淳一の不倫小説だが、バブルの残り香を引きずった『失楽園』(1997)と大違い。『失楽園』のカップルは美食や豪華旅行にいそしんだ。だが『愛ルケ』のカップル(村尾菊治、入江冬香)は、村尾の部屋で性行為にふけるだけ。(216-217頁)
N-3-3 そして村尾は、冬香の求めに応じ、性交の絶頂において彼女を絞め殺す。愛人の絞殺が「愛」だと強調される。(217頁)
《書評1》「セックスにおけるエクスタシーで死を希望する」というのは無理がある。少し「男のエゴ」があるのでは?多分に渡辺氏の主観が入っている。
《書評2》「愛し合っている人を絞殺してしまう」ことなんてあるのかなあ?「 裁判」で他の人たちにわかってもらうのは無理だろう。
《書評3》冬香が亡くなるシーンでは息を呑んだ。性的な描写の連続の果てに、その肉体が動かなくなる。取り返しのつかなさが、恐ろしく悲しかった。2人(村尾と冬香)の間では豊かに通じ合っていたことが、取り調べや裁判の場では一般化された言葉に集約され、空疎になっていく。
(62)-3 赤木智弘「『丸山眞男』をひっぱたきたい:31歳、フリーター。希望は、戦争。」(2007):「希望のない日常」か、「戦争による流動化」か!
N-4 赤木智弘(1975-)「『丸山眞男』をひっぱたきたい:31歳、フリーター。希望は、戦争。」(『論座』2007年1月号)が論壇を騒然とさせた。(217頁)
N-4-2 赤木智弘は訴える。「我々が低賃金労働者として社会に放り出されてから、もう10年以上たった。それなのに社会は我々に何も救いの手をさしださないどころか、『GDPを押し下げる』だの、『やる気がない』だのと罵倒を続けている。」(217頁)
N-4-3 「平和が続けばこのような不平等が一生続く」。「若者たちの右傾化」!「日本が軍国化し、戦争が起き、たくさんの人が死ねば、日本は流動化する。」(217頁)
N-4-3-2 「〈持つ者〉は戦争によってそれを失うことにおびえを抱くが、〈持たざる者〉は戦争によって何かを得ることを望む。」「もはや戦争はタブーではない。」(217頁)
《『論座』原文をweb上に公開した赤木の意図(2007)》「希望は戦争」という、安直な要約ばかりが流通し、それが誤解を招いていることもあり、原文をアップすることにしました。読んでいただければ、私がいかに「戦争を忌避しつつも、しかし、戦争にしか期待を込めることができない諦念」を表明しているかが分かっていただけるかと思います。
《書評1》「希望は、戦争。」では、赤木は東大卒の丸山眞男が陸軍二等兵として召集され、中学に進んでいない上等兵や下士官から繰り返し殴られたことを挙げ、フリーターでも丸山眞男をひっぱたけるような変化を「希望」として求めた。
《書評2》赤木にとっての親世代は、「中流意識」そして「向上の実現可能性」という観念(「庶民の夢」)を年少世代に注入した。赤木の世代は、親世代によって「庶民の夢」という願望を注入されながら、その願望が充足される条件の崩壊を経験したのだ。
N-5 赤木智弘の書き方は挑発的だが、「若い世代」がどれほど逼迫した状態にあるかを訴える力があった。(218頁)
N-5-2 「日本が軍国化し、戦争が起き、たくさんの人が死ねば、日本は流動化する」という赤木の言葉は、「2000年代の小説」(若者たちがテロや犯罪に走り、市民がいつのまにか戦争に巻きこまれる)と響き合う。フィクションの世界は「希望のない日常」か、さもなければ「戦争」か、という段階にとっくに入っていた。(218頁)
N-5-3 「美しい死」をともなう「難病モノ」や、「ケータイ小説」の流行はその反動とも言える。(218頁)
N-5-4 「小説」は弱者や敗者に敏感なのだ。(218頁)