宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

「2010年代 ディストピアを超えて」(その2):「ブラック企業と真性プロレタリア文学」浅尾大輔、今野晴貴、黒井勇人、新庄耕、広小路尚祈、北川恵海! Cf . 伊井直行!(斎藤『同時代小説』6)

2022-05-17 13:37:18 | Weblog
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(64)「ブラック企業が生んだ真性プロレタリア文学」:浅尾大輔『ブルーシート』(2009)リーマン・ショック(2008)後、派遣労働者への通告「1週間後、解雇、その3日後、寮から出て行ってもらう」!
B  2000年代 の「プレカリアート(不安定雇用の労働者)文学」の続きは、2010年代の「ブラック企業が生んだ真性プロレタリア文学」だった。(222頁) 
《参考》2000年代の「プレカリアート文学」:萱野葵『ダンボールハウスガール』『ダイナマイト・ビンボー』、絲山秋子『イッツ・オンリー・トーク』、津村記久子『ポストスライムの舟』、本谷(モトヤ)有希子『生きてるだけで、愛』、青山七恵『ひとり日和』、柴崎友香『その街の今は』、山崎ナオコーラ『浮世でランチ』、長嶋有(ユウ)『猛スピードで母は』、川上未映子『乳(チチ)と卵(ラン)』等々。

B-2  浅尾大輔(1970-)『ブルーシート』(2009、39歳)は、2008年のリーマン・ショック後を描いた小説だ。語り手のヒロシは、高校卒業後、電気設備会社に正社員として10年勤めたが3年前に辞め、今は派遣労働者として大手自動車メーカーの組み立てラインで働く。母は病気、兄は精神病院に入院中、恋人ともしばらく会っていない。(222頁)
B-2-2  リーマン・ショック後の2008年12月、ヒロシは突然、通告された。「悪いけど、1週間後の25日で解雇ってことで。そんで派遣(ウチ)との契約書通りに3日後、えっと、28日には寮から出て行ってもらうから、いいかな?」ヒロシが解雇されたのは「百年に一度の世界金融危機」が理由だった。(222頁)

《書評1》がんばってもがんばっても先が見えない。一度ころんだら、二度と起きあがることが出来ない。ほんと、難しい嫌な時代だ。2008年の『蟹工船』ブームは、まだ記憶にあたらしい。この本も、若年貧困層が抱く不満や、連帯への渇望を表している。
《書評2》重かったです。私には知らない世界があることを学びました。普通に生きていけること、幸せです。
《書評3》作中に「村上春樹のようなPOPさはない」と自称。現代に横たわる現実を取り扱うということは、読者にかなりの重量を強いる。重いだけあって読後に感じることはいろいろとある。
《参考》浅尾大輔略歴:しんぶん赤旗記者や日本共産党職員、その後、国公労連の専従職員。1995年民主文学新人賞で「ラウンド・ツウ」が佳作入賞。日本民主主義文学会に所属。2003年「家畜の朝」が新潮新人賞を受賞。『論座』2008年9月号にて吉本隆明との対談。雑誌『ロスジェネ』2010年の終刊まで編集長。

(64)-2 「ブラック企業」という危機:今野晴貴(コンノハルキ)『ブラック企業――日本を食いつぶす妖怪』(2012)、黒井勇人(ユウト)『ブラック会社に勤めているんだが、もう俺は限界かもしれない』(2008)!
B-3  2010年代、危機に直面したのは、ヒロシのような「非正規雇用者」だけではなかった。「過労死」や「ブラック企業」も問題として浮上した。(222頁)
B-3-2  今野晴貴(コンノハルキ)(1983-)『ブラック企業――日本を食いつぶす妖怪』(2012、29歳)(2013大佛次郎論壇賞受賞)は、「若い正社員を極限まで搾取する悪質な企業」の実態を告発した衝撃のノンフィクションだった。(222-223頁)

《書評1》「職場の過酷な労働環境」に悩む若者の相談にのる活動を行う著者が、「ブラック企業」に関し実例を交えつつ論じる。本書は、ブラック企業が労働者「個人」だけでなく、日本の「社会」に害悪をもたらすと指摘する。たとえば、本来なら自社で責任を取ってケアすべき「労働によって傷病を受けた労働者」を、ブラック企業は強制的に解雇し、責任を日本社会に転嫁する。ただし(a)非正規雇用の増大、(b)社会保険料の増加、(c)若者の非婚化といった社会問題の原因を、丁寧な論証なく「ブラック企業」のみに求める点は安易だ。社会問題は普通、複数の条件が複雑に絡み合って生じる。
《書評2》過剰な「サービス残業」を強いて精神を病んだ社員の自殺。残業代が払われず、「サービス残業」がのさばる。これは「法制度」の不備であり、人を安く使いたい企業側がその法制度の隙間を突いてくる。また「ブラック企業」は脱落者(退職者)が出ることを前提にし、最初から「異常なまでの大量採用」を行う。社会人になったばかりの新卒は、社会の常識も法的な知識もなく「ブラック企業」の異常な就労形態を「そういうもの」と思ってしまう。そして真面目な人間ほど「自分の責任である」と思い込み、さらに自分を追い込み、体調を崩し、精神を病んでしまう。
《参考》今野晴貴(コンノハルキ)略歴:労働運動家。学位は、博士(社会学)。労働社会学や労使関係論を専門とする。2013年、諸政党関係者に対し講演・対談、また厚生労働事務次官から勉強会の依頼を受けるなど、「ブラック企業」問題に精力的に取り組む。『ブラック企業 ――日本を食いつぶす妖怪』の記述に関し、ユニクロを運営するファーストリテイリングから、法的措置を窺わせる「警告状」が出された。「ブラック企業」が新語・流行語大賞の「2013トップテン」に選ばれる。

B-4  さて「ブラック」という語を冠した最初の本は、黒井勇人(ユウト)『ブラック会社に勤めているんだが、もう俺は限界かもしれない』(2008)だ。これはネット上の掲示板から生まれた「スレッド文学」(Cf. 『電車男』)で、黒井勇はハンドルネームである。(223頁)
B-4-2  主人公「俺」は高校中退し、10年近くニートだった。母の死を機に就職を決意。猛勉強して基本情報技術者試験に合格、ようやく1社にプログラマーとして採用される。だがその会社はパワハラ上司と徹夜のサービス残業が横行するブラックな会社だった。(223頁)

《書評1》母親の死をきっかけに中卒で10年以上NEETだった男の仕事の話。すっごいブラック企業で私なら初日の午前中で辞めるレベル。こんな上司ついてけない。それでも辞めなかった主人公はすごいし、母親の存在の大きさを思い知らされた。この会社で頑張れるなら、学校生活楽勝だと思った。極限状態なのに、コミカルな発言が出来るのがすごい。
《書評2》最終学歴「中卒」、ニート歴10年だったという男による「2ちゃんねる」の書き込みから、物語は始まる。母親の死で一念発起したこの男「マ男」が入社したのは、ひどい環境の「ブラック会社」。重労働で体力、気力を削られ、さまざまなトラブルにも襲われるマ男。だが先輩である「平成の孔明」こと藤田さんに支えられながら彼は成長していき、またイヤな曲者(クセモノ)揃いと見えた同僚たちも、ともに過酷な仕事に取り組むなかで思わぬ心意気や情(ナサケ)を見せる。現実はこんなに甘くはないかもしれないが、それでも、これは現実を戦う勇気を得られる一冊だと、私は信じる。
《書評3》タイトルにインパクトがあり、気にはなっていたけれど、あまり「2ちゃんねる」に興味がなくてスルーしていたが、今回読んでみた。 次々に起こる事件の展開、上手な文章構成、予想以上の面白さに大満足。 自分も過去にプログラマーの経験があり、100時間以上の残業、仕様変更により突然の土日休み返上、徹夜があったが、それでも「残業代は0円」というところに勤めていたことがあった。この本の内容ほど不条理ではなかったが、あの頃の自分がリンクされる部分もあった。

(64)-3 「正社員」こそ命の危機にさらされている:新庄耕(コウ)『狭小邸宅』(2013)、広小路尚祈(ナオキ)『金貸しから物書きまで』(2012)!
B-5  「正社員」になっても安泰ではない。「正社員」こそ命の危機にさらされている。純文学(Cf. ノンフィクション、スレッド文学)にも「ブラック企業」が登場する。(223頁)
B-5-2  新庄耕(コウ)(1983-)『狭小邸宅』(2013、30歳):「僕」(松尾)は大卒で戸建て住宅販売の不動産会社に就職した新米営業マン。血ヘドが出るほどのノルマと激務。上司からの日常的な罵倒と暴力。30人の同期のうち残ったのは6人だけ。そして「僕」は非人間的な販売の極意を身につける。ある日、大学時代の先輩に「僕」は言われる。「お前染まりすぎてるよ。驕りや欺瞞が顔に表れてる。」(223-224頁)

《書評1》なんの志(ココロザシ)もなく入社した不動産会社は超ブラック企業。 退職勧告をされながらも残り、「運」が手伝って会社のお荷物案件を販売して一旦評価されるものの、上司からはやはり退職勧告。営業に同行した上司からの指摘をきっかけに「やり手営業マン」に生まれ変わるも、プライベートは逆の結果に。どんな職であれ、「やりがい」は生まれるというのがわかる反面、何かが「犠牲」になるというのがわかる。なお、この中に出てきた「やり手営業マン」は、やり切って「起業」している。
《書評2》私は業界人。僕は「課長」(上司)と同じ考え方なので、こんな風に「向いてない奴がしがみついて芽が出る」ような展開は、現実にはないと思ってる。
《書評3》最近マンション購入を検討中なので「不動産屋の心理状態が分かる」と聞いて手に取った。多少の誇張はあるだろうが、プレッシャーにさらされた「営業マン」の活動は鬼気迫るものがある。口から出まかせのセリフの数々には身に覚えも多数。まぁ「営業マン」からしたら客の人生に責任は持たないし、売れればOKだ。彼らの話は「差っ引いて聞く必要がある」ことを再認識。そして、本当にここまでパワハラが横行してるのだろうか?「売れば勝者、売らねば敗者」の世界で徐々にその世界に染まり壊れていく主人公を見るのは、なんとも言えぬ気分になった。

B-6  広小路尚祈(ナオキ)(1972-)『金貸しから物書きまで』(2012、40歳):「おれ」(広田)33歳は消費者金融会社支店(5人)で働く。ねちねちと返済取り立て、違法すれすれの新規貸し付け。精神的ストレスと不規則な生活で体重増加。高校卒業後、これまで設備工事会社、不動産会社、商工ローンなど転職するも長続きせず。今の会社に入ったのは完全に妻と幼い息子のため。「今日もやる。お前たちの為なら、とうさんは死ねる。」彼にとって仕事は「死ぬ」と同義だ。(224頁)
《書評1》「壮大な愚痴と言い訳」を延々と読まされた気分。とは言いながら、「ばっくれ癖」のある主人公にうんざりしながらも、退屈せずに読めてしまった。特に最初の消費者金融に勤めているあたりの描写は、実際に働いていた著者の経験が生きているのか、とても面白かった。地蔵のような、出来すぎの奥さん、彼女の存在が偉大すぎる。
《書評2》主人公はストーリーの中で、「金貸し」と「物書き」しかしていない。しかも「物書き」は始めたばかり。「逃げてばかり」と卑下する主人公だが、「金貸し」の仕事ぶりは優秀。そして、奥さんが魅力的。旦那をやさしく包み込む包容力がある。これは著者の願望も含まれているのでは?
《書評3》半生を綴った自伝的小説のようだ。ダメ人間が、妻と子供を拠り所に、死なないために生きていく様が痛快だった。他の作品も読みたいと感じた。
《参考》広小路尚祈(ナオキ)略歴:高校卒業後、音楽活動をしながら職を転々とする。ホテルマン、飲料水メーカーのセールス、タクシー運転手、不動産会社、消費者金融会社などを経験。2007年「だだだな町、ぐぐぐなおれ」が群像新人文学賞の優秀作。2010年「うちに帰ろう」芥川賞候補。2012年「まちなか」芥川賞候補。

B-6-2  2000年代の「プレカリアート文学」は「労働市場からオチコボレた女たち」が主役だったので、仕事のディテールはほとんど出てこない。(224頁)
B-6-2-2  一方、「ブラックなホワイトカラー労働者」を描いた上記2作は、上司の罵倒、客との会話を含め業務内容の記述は詳細を極める。24時間、ほぼ仕事しかしていないので、ほかには頭がまわらないのだ。(224頁)

(64)-4 ライトノベルにまで進出したブラック企業:北川恵海(エミ)(1981-)『ちょっと今から仕事やめてくる』(2015、34歳)!
B-7  北川恵海(エミ)(1981-)『ちょっと今から仕事やめてくる』(2015、34歳)は、ライトノベルだが、ブラック企業を扱う。主人公の「俺」(青山隆)は、電車に飛び込もうとしたところ、見知らぬ人物(ヤマモト)に腕をつかまれて助かる。(224頁)
B-7-2  「俺」は印刷会社の営業マン、就職して半年、6時起床、サービス残業をこなし退社は21時過ぎ。土日出勤は当たり前。「ここで辞めたら次はない」と思って会社にしがみつくが、疲弊しきっている。(225頁)
B-7-3  ところが「俺」を救った男「ヤマモト」は、その後、たびたび「俺」に辞職・転職をすすめる。「会社を辞めることと、死ぬことは、どっちが簡単なわけ?」と「ヤマモト」が言う。(225頁)
B-7-4  この小説が人気を集めたのは、やられっぱなしで終わらないためだった。山本のチョッカイによって、あれほど固執して会社からの脱出に「俺」は成功する。表題「ちょっと今から仕事やめてくる」は、その際の「俺」の台詞だ。(225頁)

《参考》ワーキング・ホリデーの制度でオーストラリアやカナダで就労した経験をもち、日本と海外の働き方の違いを強く感じたことが執筆のきっかけになったと著者は述べる。(西日本新聞2017/9/26 )
《書評1》職場の人間関係で苦しんでる人は絶対読んでほしい。(若い人は特に。)私は、最近職場で特定の人からパワハラを受けている。会社の倫理というかガバナンスがボロボロで、「この会社オカシイ」ってみんなが口を揃えて言っている。この会社に見切りをつけて辞めていった人が多数いる。パワハラ、モラハラ、セクハラが横行し、精神を病んで辞める人もいる。イライラして丸二日半寝れなくて、睡眠薬を医者に処方してもらい、流石に「そろそろやめた方がリスク低いんだろうな」とか思いながら、この本を買った。今の日本では、この小説の「フィクションの話」が現実に至る所で起きている。「人の心を必要以上に追い込み死へと追いやる」、こんな事が会社で日常茶飯事だ。「景気が悪い」こともあるが、「イジメ」なんて大人も子供も同じ。陰湿で狡猾に執拗に行われる。そして誰もが関わりたくないので見て見ぬふり。そんな状況が「ブラック企業」を大量に生み出している。この本の最後に主人公が上司にキレる場面があるが、社員が言いたい事を押し殺し、不当に扱われていてはダメだと思う。「働いている人たちが本音を言わず、諦めてしまっている」気がする。今の日本人にはこの小説の主人公の「勇気」もしくは「ちょっとした勇気」が必要だと思った。この本はフィクションだけどフィクションではない。今の日本の「リアル」だ。
《書評2》仕事が辛いという方は読むべき。話がシンプルで、とても読みやすくサクサク進んだ。私は就活を終えて来年から新社会人になるのだが、既に社会人になっている友人から薦められてこの本に出会った。この本を通して伝えたいことは次の3つだと思う。「①大前提として、死ぬな。②自分のことを大切に思ってくれる人のことを思いだし、その人達のためにも生きろ。(本書では主人公の両親だった。)③会社辞めたら次が無い、なんてことは絶対にない。」きっと真面目で仕事に誠実な人ほど視野が狭くなって、いつの間にか「会社に行くか」、「辞めるか」、「死ぬか」の3択くらいになってしまうのだと思う。自分のことだと思って、自分の状況と重ねて考えながら読むと良い発見があると思う。
《書評3》全体的に幼稚でレベルが低い。まず、(ア)作者に就労経験があるのか知らないが、「ブラック企業」での勤務にあまり具体性がない。(イ)小説のメインは一人の病的な上司からの叱責だ。だが実際に過労死レベルで働いた経験がある人間として言わせてもらうと「ブラック企業」は、経営陣だけでなく、そこで働く上司、同僚、部下、社内文化、クライアント、取引先、同業他社などあらゆる物が狂っている。ゆえに、一人のパワハラ上司だけでなく複数の頭痛の種が舞い込んできて、「死」が現実的になるのはそこからだ。また、(ウ)そのブラック企業の上司に対して、最後は演説して終わるというのは、いかにも「いじめられっ子の最後っ屁」的な感じであり、何のカタシルスもない。それに代わる何かを提案すべきだった。

(64)-5 戦後、「純文学」で狭義の会社員生活を描いた作品はきわめて少ない:伊井直行『さして重要でない一日』(1989)はその少ない部類に入る作品だ!
B-8  伊井直行(1953-)は『会社員とは何者か?――会社員小説をめぐって』(2012、59歳)で、戦後、「『純文学』は会社や、会社員をほぼブランクにして眠りこんでいた」と述べる。出版、宣伝、放送などフレキシブルに働ける表現関係の業種を除外すると、狭義の会社員生活を描いた作品はきわめて少ない。(225頁)

B-8-2  その少ない部類に入る伊井直行(1953-)『さして重要でない一日』(1989、36歳)は、営業部の「彼」(佐藤)が、ミスをして、迷宮のような会社の社屋に閉じ込められる話だ。全体像が把握できない会社組織の不気味さを描く。ただし21世紀(※2000年代、2010年代)の会社員小説に比べると、呑気というか優雅な印象は否めない。(225頁)
《書評1》自分の存在の不確かさを嘆くでもなく、怖れるのでもなく、諦めているのでもない。人間のおぼろげなありようを、ただそこにあるものとして描くこと。その平熱な感じが心地よく、こちらの心持ちにぴたっときました。いわば“よく働く元気なニヒリスト”が主人公。
《書評2》会社の怖さと不思議がよくわかる作品。自社ビル持ってる会社に勤めた人は、うんうん頷いちゃうんじゃないかな。私は前職時代を思い出した。いつの間にか特定の部署の社員から嫌われたり、謎の制度があったり、地下に仮眠室やシャワールームがあるという噂があったり、多分似たようなことはどこの会社にもあるのだろう。けど、そんな小さなエピソードをよく小説にできるなぁ。すごい。
《書評3》この小説は私が大手の印刷会社に勤めていた頃を思い出させてくれる。その会社は工場と事務所棟がつながっていて、まるで迷路だった。朝からインクの匂いのする工場の中をぬって出勤。当然フレックスタイム。社員食堂も工場と一緒。外回りが多くてたいてい夕食に使っていた。プレゼン。外線電話。喫茶店でサボリ。同期の飲み会。社内便が間に合わなくてタクシーで届けるお間抜け。そしてコピー室。ありましたね!繰り返す重要でない毎日。それが1989年の「のどか」だった新入社員のかけがえのない想い出だ。

(64)-6 「資本の論理が剥き出しになった21世紀初頭の日本」は、「労働争議が頻発した昭和初期」、すなわち「プロレタリア文学の最盛期」と似る!
B-8-3  なぜ、この時期(※2000年代、2010年代)に過酷な労働を描いた会社員小説が増えたのか?背景は、もちろん労働環境の悪化だ。(226頁)
B-8-3-2 「資本の論理が剥き出しになった21世紀初頭の日本」は、「労働争議が頻発した昭和初期」、すなわち「プロレタリア文学の最盛期」(※1920年代後半、1930年代前半)と似たところがある。「ブラック企業」は一周回って、ついに「真正のプロレタリア文学」を生んだ。(226頁)

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