宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

「2000年代 戦争と格差社会」(その12):「キャリアも結婚も遠い夢」青山七恵『ひとり日和』、柴崎友香、山崎ナオコーラ、長嶋有、川上未映子『乳と卵』! Cf. 林真理子!(斎藤『同時代小説』5)

2022-05-07 11:53:40 | Weblog
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(60)「キャリアも結婚も遠い夢」:青山七恵『ひとり日和』(2007)千寿(チズ)は清掃会社の事務職という正社員の口を得て、吟子さんの家を出て行く!
L 2000年代にデビューした女性作家はみな、現実を直視していた。(208頁)
L-2  青山七恵(1983-)『ひとり日和』(2007、24歳)(芥川賞受賞)はもうじき20歳になる女性の物語だ。「わたし」三田知寿( チズ)は埼玉の実家を出て、東京の年配の知人(吟子さん)の家に居候している。(ア) 知寿の母は離婚後、私立高校の国語教師で娘を育ててきた。(イ)千寿は母から「大学に行け」と言われているが、(イ)-2 千寿に「大学」に行く気はない。(ウ)千寿は週3回コンパニオンのバイト(2時間で8000円になる)、(ウ)-2 夏からは週5回、朝6-11時、私鉄の駅の売店で売り子のバイト。(208-209頁)
L-2-2  (エ)「どうでもいいけど、ちゃんとしてよね」と言う母。しかし(エ)-2千寿は考える。「ちゃんとするってなんだろう。学校に行ったり、会社に勤めたりすることを言うのだろうか」。(209頁)
L-2-3  (オ)1年後、千寿は「清掃会社の事務職」という正社員の口を得て、吟子さんの家を出て行く。自律譚だが、地味で静かな自立だ。(209頁)

《書評1》不器用だけど純粋なんだろうな。私は年齢も同じで「生きてていいことあるのかな」なんてふと思う時もある。彼女が「不器用ながらもどうにかして生きていかなきゃいけないんだ」ってことに気づいて独り立ちしていく姿に、ちょっぴり泣いてしまった。同世代の女の子が自分なりに頑張ろうとしている。「私も自分なりに、不器用なりに出来ることからやってみよう」なんて勇気づけられた。
《書評2》20歳の知寿ちゃんと71歳の吟子さん、2人で暮らした春夏秋冬。ゆるゆるとした日常。知寿ちゃんが、絶妙に性格が悪く、手癖も悪く、若さしか取り柄がないのに、まわりを見下していてどうにも好きになれなかった。短い季節のなかでいろいろな出会いと別れを経験し、過去と訣別して自立への道を歩み始めた知寿ちゃん。「彼女なりに成長したのかな」と思いきや、不倫の恋に片足突っ込んでて「ダメだこりゃ」って感じ。私にはあんまりしっくりこなかったなぁ・・・・。
《書評3》知寿にとって、盗品は「時の形見」なのだ。電車が行ってしまったら、電車が間違いなく其処に居たことを証明する物が無い。見送ってばっかり。人も電車のように過ぎていく。「個の痕跡」、「時の形見」、そういうものが慰めになるのは、解る気がする。

(60)-2 柴崎友香『その街の今は』(2006):5年間勤めていた繊維卸の会社が7カ月前に突然倒産!
L-3  柴崎友香(トモカ)は、保坂和志(カズシ)(1956-)風の「何も起きない小説」でありながら、人間関係と街の情景を同じくらいの比重で描く点で「風景画家」と呼びたくなる作家だ。柴崎友香(1973-)『その街の今は』(2006、33歳)は細部に2000年代らしさが織り込まれている。(209頁)
L-3-2  主人公の「歌」は大阪在住の28歳。(ア)5年間勤めていた繊維卸の会社が7カ月前に突然倒産。(イ)現在は知り合いが経営するカフェでバイト中だ。(ウ)10社受けた会社は全て落ちた。(エ)かくて「ちょっと休んでいるだけ」なのか「仕事に戻れない」のかはわからない。(エ)-2 それで「歌」は口にしてみたりする。「会社って潰れるもんやねんな」「ほんまは、もっと焦って仕事探さなあかんねんけど」。(209頁)

《書評1》「ここが昔どんなんやったか、知りたいねん。」28歳の歌ちゃんは、勤めていた会社が倒産し、カフェでバイトをしている。初めて参加したのに最低最悪だった合コンの帰り道、年下の良太郎と出くわした。二人は時々会って、大阪の古い写真を一緒に見たりするようになる。過ぎ去った時間やささやかな日常を包みこみ、姿を変えていく大阪の街。温かな物語。
《書評2》何か劇的な事が起るわけでもない、過ぎていく日常の淡々とした描写。相い入れない人や物事も、とりあえず受け入れる。(Cf. 「ネットにおいて反応が激しすぎる人が多い」ので、そういうのに疲れている。)

(60)-3 山崎ナオコーラ『浮世でランチ』:「仕事」で「成功しよう」とも、「自己実現をめざそう」とも思わない!「キャリア」か「専業主婦」かという選択肢が彼女たちにはない!
L-4  山崎ナオコーラ(1978-)は39歳の女性と19歳の男性の恋愛を描いた『人のセックスを笑うな』(2004、26歳)で鮮烈にデビューした。(209頁)
《書評1》美術専門学校に通う「オレ」は、教師のユリとの恋愛に身を焦がす。明るく穏やかな秋の陽気のような、目を逸らしたら消えてしまいそうな彼らの関係。恋愛にはふたつのかたちがあるのかもしれない。「花火のように熱くて華やかですぐになくなるもの」と、「コタツのようにじんわり温かく安心するもの」と。ユリにとって「オレ」と夫はそのような2人だった。
《書評2》オビに田中康夫さんが 「思わず嫉妬したくなるほどの才能」と 書いてたけど 、私もスゴイなって感じた。 誰もが惹かれて当たり前の「 外見の美しさ」でも 「優しい心」でも「 快活さ」でもなく、 もっと他のものに 、どうしようもなく惹かれ、愛する感覚。切なさがたまらなかった。人を愛した時の「あの感覚」 思い出させてくれる。 読みやすいけれど とても深い。
《書評3》ずっと一緒にいる気はしないし、今後別の誰かと付き合うこともあるだろうけど、かといって別れの想像はつかないし、別の人を好きになる気も今のところない。そんな話だと思った。

L-5 山崎ナオコーラ(1978-)『浮世でランチ』(2006、28歳)は、会社を辞める女性を描いている。(209頁)
L-5-2 主人公の丸山君枝(25歳)は、人とべたべたするのが嫌い。入社以来ランチはひとりで食べる。君枝にはミャンマーに生きたい理由があって会社を辞める。(209-210頁)
L-5-2-2  君枝は出発にあたって振り返る。「時間が、指の間からダラダラとこぼれていく。私の時間は、ゴミのようだった。あの会社では、毎日、深夜まで残業をしていたのだけれども、長時間労働が自分の成長に繋がるということはなかった。」(210頁)

《書評1》小さい頃から社会性がなく、皆の輪に入り込めず、それでも自分を曲げず、大多数に静かに反抗している彼女。自分が好きな人以外と付き合うのは面倒で、好きな人とだけ好きな方法で付き合っている彼女。会社の人とランチするのが面倒で、うららかな公園で一人でランチしているほうが気楽な彼女。自分の今に疑問をもち、突然会社を辞めインドへ旅立った彼女。
《書評2》「目的から離れて人と関わることに、 意味ってあるのかな? ―あるのだろう。 この世界で生きているとき、 話してみたいという純粋な欲望だけで、 人と関わるときがある」という言葉が印象に残った。
《書評3》友情とも恋愛とも名づけられないデリケートな感情や、固まらない関係を描くのがうまい。ひとりでランチするOLは、如何にして世界とふれあう回路を見つけるのか?

L-6  『ひとり日和』の千寿(チズ)(「清掃会社の事務職」の口を得る)、『その街の今は』の歌(会社が7カ月前に突然倒産)、『浮世でランチ』の君枝(会社を辞めミャンマーに行く)、彼女たちに共通するのは、「仕事」で「成功しよう」とも、「自己実現をめざそう」とも思っていないことだ。かくて「キャリア」か「専業主婦」かという選択肢が彼女たちにはない。(210頁)

(60)-4 長嶋有(ユウ)『猛スピードで母は』:一見パワフルだからこそ、シングルマザーのリアルな生活感がにじみ出ている!
L-7  長嶋有(ユウ)(1972-)『猛スピードで母は』(2001、29歳)(芥川賞受賞)は少年の目から見た母子家庭の物語だ。舞台はおそらく1980年代。「僕」こと慎(マコト)は小学5年生。(ア) 慎が小学校に上がる前に両親は離婚。(イ)母は深夜までガソリンスタンドで働いて慎を育てた。(ウ)その間に母は保育士の資格をとった。(エ)母は現在は、市役所の社会福祉課に非常勤待遇で勤める。(オ) 母はパワフルで、愛車のシビックのタイヤ交換も自分でやり、慎の忘れ物を取りにアパートの外壁を4階までよじのぼる。(210頁)
L-7-2 物語は母が再婚すると言い出し、結局はふられるまでの1年弱を描く。一見パワフルだからこそ、シングルマザーのリアルな生活感が、にじみ出ている。(210-211頁)

《書評1》表紙の絵、すごいな。「猛スピードで母は何するんだろう?」って表紙を見て思った。男にまっしぐらなのかと思ったら、それほど情熱的には描かれてなく、母親であり女である母は、ちょっと格好良くてちょっと寂しい感じにみえた。
《書評2》仕事も交際相手もすぐ変わる猪突猛進気味な母と、その淡白な感情の息子の話。この作品で子どもが大人を見上げる視線は冷静でどこかユーモラス。そして子どもは寂しさも納得して受け止める。時に子どもは帰ってこない母親のベッドで眠る。
《書評3》人と人には「関係」というものがあって、それは続いたり、盛り上がったり、だらだらしたり、ときには終わったりするのだと慎(マコト)は知った。

(60)-5  川上未映子『乳(チチ)と卵(ラン)』:家計は母子家庭の補助もあることはあるが、そんなものは焼け石に水!
L-8 川上未映子(ミエコ)(1976-)はいじめを描いた『ヘヴン』(2009、33歳)等の話題作で人気作家となった。(211頁) 
《書評1》①中学で凄惨な苛めを受けている「僕」。②同じように苛めを受けている少女「コジマ」と手紙のやり取りを通じて心を通わせていく。コジマは言う。苛めを受けている自分たちは、「何が起こっているのか、きちんと理解している強さがある」と。③そんな彼女を心のよりどころにしている「僕」に、苛めを静観する「百瀬」は、言い放つ。「苛めに理由なんかない。したいからするんだ」と。
《書評2》「ねえ、神様っていると思う?」というコジマの問いかけ。いじめグループに属する傍観者的な「百瀬」は、人生には「意味」や「普遍的な善悪」など存在せず、まず「欲求」がありそれを満たす状況があれば遂行するだけのことだという虚無的なスタンスをとる。

L-9  川上未映子(1976-)『乳(チチ)と卵(ラン)』(2008、32歳)(芥川賞受賞)も母子家庭の物語だ。(211頁)
L-9-2  東京でひとり暮らしをする「私」のアパートに、大阪に住む姉の巻子と姪の緑子が上京してくる。(ア)巻子は39歳。夫とは10年前に別れ、娘の緑子を一人で育ててきた。(イ)三日間の東京滞在の目的は豊胸手術。(ウ)「家計は母子家庭の補助もあることはあるが、そんなものは焼け石に水もええとこ」で、スーパーの事務、工場のパート、レジ打ち梱包、などなどの仕事をするも「そんな賃金では生活はどうにもならん」と巻子。(エ)そこで「それにくわえてホステスの仕事もするようになった」。(211頁)
L-9-2-2 まだ初経前の緑子は、そんな「母」も「自分の身体の変化」もイヤでイヤで仕方がない。「お金のことでお母さんといいあいになって、なんであたしを生んだん、って」いったこともある緑子。「胸をおっきくして、お母さん、何がいいの?」「あたしは、お母さんが心配やけど、わからへん。」(211頁)

《書評1》思春期とコンプレックス。女として生まれたこと、歳を取ること。娘と母、それを見つめる叔母。三人が実はそれぞれを想っていて、巻子と緑子が言い合うシーンでは涙が出た。一文一文の長さが長い独特の文章が読み難くて難儀したが、その人間臭さや生々しさにも徐々に慣れた。読後感が良かった。
《書評2》初潮を迎える年齢の女の子の気持ちがよく出ている。「子ども」から「女」になることへの戸惑いとか嫌悪感とか。身体の変化に心がついていけなくてぐちゃぐちゃしちゃうし、母親ってのはあくまで「母親」であって「女」ではない。
《書評3》気持ち悪くなるほど生々しい描写。 人間って気持ち悪いな。 何に心を動かされたのか明確に分からない。 暗い話ではないはずなのにとても重い気持ちになった。

(60)-6  2000年代の小説で目立つのは「戦って敗れた女たち」「戦いに疲れた女たち」が、それでも前を向いて生きようとする姿だ!
L-10  どれもごくごく個人的な狭い世界の話である。しかし、2000年代の彼女たちがいる場所はまちがいなく「戦場」だ。(a)ある者は傷ついて倒れ、(b)ある者はPTSDに陥り、(c)ある者は逃亡をくわだて、(d)ある者は自失して先が考えられなくなっている。(211頁)
L-10-2 1990年代の主人公には「自立願望」や「キャリア幻想」があった。(211頁)
L-10-3  しかし2000年代の小説で目立つのは「戦って敗れた女たち」「戦いに疲れた女たち」が、それでも前を向いて生きようとする姿だ。(211-212頁)

(60)-7 林真理子『下流の宴』(2010):2000年代の格差社会の困難は「がんばれば報われる社会」ではないことだ!「一念発起してなんとかなる」なら、話は簡単なのだ!  
L-11  2000年代の格差社会の困難は「がんばれば報われる社会」ではないことだ。上り坂の時代に時代に青春時代を送った人にはそこが理解されにくい。(212頁)
L-11-2  その一例が、林真理子(1954-)『下流の宴』(2010、56歳)だ。(ア)医師の娘として中産家庭で育った専業主婦の福原由美子(48歳)は、高校を中退してフリーターになった息子の翔(20歳)が心配でたまらない。(イ)その翔が同棲相手の宮城珠緒と結婚したいと言い出した。珠緒は高卒、沖縄出身の自由人。由美子から見れば完全な「下流」だ。(ウ)由美子から見下された珠緒は一念発起。バイトをしながら、大学の医学部めざして猛勉強を始める・・・・。(212頁)
L-11-3 これは、古典的な「立身出世」ないし「階級闘争」の物語であって、同時代の「格差社会」に対応していない。「高度経済成長やバブルを経験した人」と、「そうでない人」とのジェネレーション・ギャップは深い。「一念発起してなんとかなる」なら、話は簡単なのだ。(212頁)

《書評1》中流家庭の子ども、可奈と翔。「高校を中退し、大学にも行かず、フリーター生活」の翔と、「常に見た目や金を持った男にしか興味がない見栄っ張り」の可奈。一方で、沖縄の飲み屋の娘の翔の恋人「珠緒」は置かれた状況を変えようと、決死の努力を計る。落ちぶれていく2人と珠緒の対比により、「下流」とは持って生まれた地位ではなく、自分で努力が出来ないこと、と伝えてくれる。
《書評2》頑張るたまちゃんにはすごく共感できた。「頑張ると人が助けてくれる」のもすごくよくわかる。
《書評3》翔の無気力さは、どこからくるのだろう? 今時は、こんな若者が多いのか? 母の由美子の気持ちは、とてもわかる。 言葉にしないだけで、親は同じことを思っているものだ。 珠緒は、うまく行きすぎ。

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