『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

台風一過ハゼ転倒

2014年10月15日 | その他


台風一過、田んぼに行ってみるとみごとにハゼが転倒しており呆然となった。石垣近くに立てた他の田んぼのハゼは大丈夫であったので風の通り道判断が甘かったようである。
ハゼ杭やナルは親が作ったものであるが虫食いや腐朽で脆くなっておりハゼ杭はアルミ製三脚を補充している。秋の風物詩であるハゼもアルミ製三脚では絵にならないが木杭を作る馬力もない。
今日も元気で徘徊。。。。~~~

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尾浜浦厳島神社

2014年10月14日 | 廿日市関連


先日、温泉津方面への途中で江津市尾浜浦にある厳島神社に参詣したが由緒など定かではない。尾浜浦の地名から漁業関係者によって安芸国厳島神社が勧請され祀られたものではなかろうか。
拝殿の棟中央部分は見たことがないような棟の納まりで、幣殿からの棟がT字交差しているために遊び心で装飾瓦(鬼瓦)を設けたものとみられる。
今日も元気で徘徊。。。。~~~

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秋祭り-俵もみ

2014年10月13日 | 「廿日市地区」ぶらり


昨日は秋祭りで秋の収穫を喜び氏神に奉納していた伝統行事の俵みもが、上平良地区の子供会の児童、幼児、父兄や平良木遣保存会の人達などにより行なわれた。
速谷神社では神輿神幸が行なわれ境内には1区から3区までの子供会の俵みこしが鉢合わせて大賑わいで神様もさぞかし大忙しであったろう。
今日も元気で徘徊。。。。~~~

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ヨゴロの奉納神楽

2014年10月12日 | 「廿日市地区」ぶらり


本日は秋祭り、ヨゴロの昨晩は速谷神社の本殿では桃祓祭が斎行され、続いて神楽殿に於いて奉納神楽が催された。
小河原火舞保存会、あさひが丘神楽団の人達により「薙刀」「日本武尊」「大鬼小鬼」「悪狐伝」「土蜘蛛」「紅葉狩」などの演目が12時頃まで演じられた。
今日も元気で徘徊。。。。~~~

 

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安楽寺ケラバ飾り

2014年10月11日 | その他


一昨日紹介した小浜厳島神社近くにある安楽寺本堂のケラバ(大屋根下の三角部分)に設けられている龍の漆喰細工(鏝絵)である。
大きな本堂のケラバいっぱい迫力ある龍で明治22年(1889)に地元の左官さんによって施されたようである。
今日も元気で徘徊。。。。~~~

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奉納注連縄に至るまで

2014年10月10日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

時折新春の速谷神社に奉納する注連縄用のモチ米栽培について紹介しているが、昨日もち米とうるち米を植えている田んぼの稲刈りをした。
注連縄用の稲藁は青刈りが良いのであろうがこれは今後の課題である。大型台風が来襲しそうであるが稲ハゼが倒れなければよいのであるが・・・
今日も元気で徘徊。。。。~~~

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小浜厳島神社

2014年10月09日 | 廿日市関連


温泉街の町並みを離れたJR温泉津駅近くの宮山にある厳島神社で、戦国時代に毛利元就が石見銀山を掌握の後、積出港であるこの地に安芸国厳島神社を勧請して祀ったようである。
看板
表示によると2月14日に行なわれる神事「御日待祭」は氏子が夜明けまで社殿に籠り初日を待つ鎮火祭で、「寝たらおこせ、王子や王子、五郎さんの王子」と叫んで町を練り歩くというユニークな神事のようである。
今日も元気で徘徊。。。。~~~

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温泉津町屋の蔵飾り

2014年10月08日 | その他


温泉津の町並みにある内藤家屋敷の土蔵に今まで見たことがない蔵飾りがみられた。
通常は漆喰で表されているのであるがここの場合苗字の「内」の字をデザイン化し木で作られた珍しいものである。雨樋の集水漏斗にも同じように表示されている。
今日も元気で徘徊。。。。~~~

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温泉津温泉薬師湯

2014年10月07日 | その他


温泉津町に行って温泉の素通りはなかろう・・・ 温泉街を例の如く徘徊し薬師湯に入って心身ともにリフレッシュ!
薬師湯の旧館は大正ロマンあふれる木造の洋風建築で、特徴あるアーチや排気塔、現在はカフェ・内蔵丞とギャラリーとされている内部にも天井や階段など重厚な造作で温泉街が賑わっていた当時を彷彿とさせる。
今日も元気で徘徊。。。。~~~

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ヨズクハデ

2014年10月06日 | その他


先日、大田市温泉津町西田地区で伝承されている秋の風物詩「ヨズクハデ」をと石見路を探訪した。
湯里川沿い西田地区の数ヶ所でヨズクハデがみられ、すでに脱穀が終わってハデ杭のみ残っている所もあった。4本のハデ杭を四角錘に立てて1m位の所に横棒を渡しそこから稲束を積み上げてあるが上部への積み上げは大変であろう。
今日も元気で徘徊。。。。~~~

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針山地区の商店跡

2014年10月05日 | 「佐伯地区」ぶらり


昨日紹介した中道小学校跡付近の針山集落には昭和49年の戸別地図をみると20数軒が居住されていたが現在は2軒しか居住されていないようである。
ここには中道地区と針山地区の人達が利用されていた元商店とバイク店であったとみられる民家がみられる。バイク店であったとみられる民家にはスズキ・コレダ-セルペットとある看板が残されている。
今日も元気で徘徊。。。。~~~

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中道小学校跡

2014年10月04日 | 「佐伯地区」ぶらり


針山集落の三叉路上にある中道小学校跡であるが雑草が茂っており学校があったことを示すものは見当たらなかった。唯一当時のものであろうか大きなイチョウの木があるのみである。
この地には中道中学校のちに分校もあったようであるが昭和35年(1960)に本校に統合され、昭和58年(1983)に中道小学校・飯山分校は廃校となって一時沖政学園の合宿場となっていたようである。
今日も元気で徘徊。。。。~~~

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中道河内神社三十六歌仙額

2014年10月03日 | 「佐伯地区」ぶらり


中道河内神社の拝殿には三十六歌仙額が掲額されているが吹さらしのために剥落して判読が出来ないような状態で多くが失われている。
唯一、在原業平の歌仙額で古今和歌集「ちはやぶる かみよもきかず たつたがは からくれなゐに みずくくるとは」の歌であることがかすかに判読できるのである。
今日も元気で徘徊。。。。~~~

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中道地区戦役記念碑

2014年10月02日 | 「佐伯地区」ぶらり


先日紹介した中道河内神社境内に建立されている中道地区の戦役記念碑で大正6年(1917)に建立されている。
この石碑には日清、北清、日露、日独戦役に従軍した人達と入隊死亡者の名前が刻されている。この石は針山地区にあったものとみられ集落の下端から上端まで針山地区民たちが運搬したようである。
今日も元気で徘徊。。。。~~~

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中道地区災害復旧記念碑

2014年10月01日 | 「佐伯地区」ぶらり


昭和26年(1951)10月14日に来襲したルース台風により各地で甚大な被害をもたらし、可愛川の各所での氾濫や小学校の屋根被害を受けたことなどかすかに記憶している。
当時、戸数が60戸の中道地区でも家屋の全壊、半壊、埋没など17戸、死者、重傷8名、田畑流失、埋没、道路損壊など多くの被害を受けており、これらの災害復旧を記念してこの石碑が建立されたようである。
今日も元気で徘徊。。。。~~~

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