『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

里山ぶらり-超ミニ土柱

2011年01月16日 | 「廿日市地区」ぶらり


平良地区と宮内地区間の里山尾根筋脇にある高圧線鉄塔の基礎部分盛土が侵食されて超ミニ土柱が出来ていた。
阿波の土柱と同じような原理で風雨の侵蝕で削り取られてできた超ミニの切り立つ断崖の自然芸術である。直径3cm位のワッシャと比べてみると超ミニの土柱であることがわかるのである。

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里山ぶらり-山境

2011年01月15日 | 「廿日市地区」ぶらり


平良地区と宮内地区間の里山尾根筋を横道に向かっていると、山道脇に山境とみられる貝殻が散乱しているのがみられ脇にはプラスチック製の境界杭が打たれていた。
山境にはヒムロの木や芯を切った木などが見られるが、現在ではコンクリート杭やプラスチック杭が使用されている。また、かつては腐食しない貝殻や陶器片が使用されていたのである。

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里山ぶらり-鳥の巣状鉄塔

2011年01月14日 | 「廿日市地区」ぶらり


平良地区と宮内地区間の里山尾根筋にある送電線の鉄塔を下から見ると複雑に鉄骨が組まれておりチョット鳥の巣のようにみえる。
この鉄塔の下には宮園団地に隣接した廿日市変電所があり、多くの高圧線を変電所に架線しているためにこのような複雑な骨組みになったものとみられる。

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洞雲寺周辺の今

2011年01月13日 | 「廿日市地区」ぶらり


廿日市駅北土地区画整理事業の進捗状況について時々紹介しているが、佐方小学校付近の高台から見た洞雲寺門前の最新の状況である。
道路予定地の車道と歩道の位置がなんとなく分かるようになってきている。かつて弾丸鉄道(高速新幹線)の敷設計画があったところであるが、門前を弾丸列車でなく自動車が疾走しそうである。

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洞雲寺扁額-真常殿

2011年01月12日 | 「廿日市地区」ぶらり

洞雲寺の開山堂入口上に掲げてある扁額「真常殿」で、開山堂が新築された平成10年頃に補修されたもののようである。
文化10年(1813)頃に記された洞雲寺誌(長府功山寺蔵)によると筆者は宇治の興聖寺22世の奥龍玄楼である。奥龍玄楼は興聖寺に享和元年(1801)に入院して同3年(1803)に退院しているのでその間に記された扁額のようである。
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とんど祭り

2011年01月11日 | 「廿日市地区」ぶらり


極楽寺山を望む町内会の楽しい小正月の行事であるとんど祭りが小雪の舞う昨日行われた。おいしい竹酒を竹盃で頂き、おいしいぜんざいを頂くなど町内会の老若男女楽しいひと時を過ごした。
町内会で多くの人々が協力しあい、このように集って親睦を深め合う唯一の行事であり今後も末永く続けていきたいものである。

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洞雲寺扁額-方丈

2011年01月10日 | 「廿日市地区」ぶらり


洞雲寺本堂の入口上に掲げられている扁額「方丈」で、以前掲げられたものと木目など類似しておりこの扁額は近年補修されたもののようである。
下段が以前に掲げられていたもので、文化10年(1813)頃に記された洞雲寺誌(長府功山寺蔵)によると異朝の張即書と記されている。

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洞雲寺扁額-応龍山

2011年01月09日 | 「廿日市地区」ぶらり


洞雲寺本堂の向拝上に掲げられている山号額「応龍山」で、この山号額は近年新調されたもののようである。
山号の応龍山は当寺所蔵(県重文)の開祖金岡用兼頂相賛に「・・・闡化○於応龍山中・・・」とあり、これから山号が応龍山とされたものとみられる。文化10年(1813)頃に記された洞雲寺誌(長府功山寺蔵)には応龍山の扁額がみられるが、見かけたことがないので失われたものとみられる。

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あての木浦開拓地跡

2011年01月08日 | 「宮島地区」ぶらり


宮島の西端にあるあての木浦は戦後の昭和21年(1946)に広島県の開拓政策によって宮島に開拓団が入植したそのひとつのようである。
あての木浦の砂浜の奥部には潮汐湿原が形成されており、その湿原はミヤジマトンボの生息地のようである。それに続く小さな平地が開拓地であったものとみられ、井戸跡や建物の残骸などがみられる。

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洞雲寺々号標石

2011年01月07日 | 「廿日市地区」ぶらり


洞雲寺門前に建立されている寺号標石で、以前は山陽本線沿いの参道入口にあったものが現在地に移設された。
刻銘には「金岡禅師霊跡 洞雲寺 興福良慶書」とあるが、興福良慶が何時頃のどこの禅師なのか不明である。

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川末大歳神社跡の石鳥居

2011年01月06日 | 「廿日市地区」ぶらり


原川末地区の川末集会所がある地は大歳神社跡で、旧参道には石鳥居が残されており刻銘によると明治32年(1899)3月に建立されている。
江戸期川末地域の氏神であった大歳神社は明治42年(1909)に原村々社の伊勢神社に合祀されて鳥居のみが残されたようである。

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蔵飾り-旭日と霊亀

2011年01月05日 | 「廿日市地区」ぶらり


原地区の民家土蔵の蔵飾りで「旭日と霊亀」が着色した漆喰細工で表されている。
朝日が昇るように盛んな勢いと千年以上の年月を生きて強大な霊力を得たという霊亀にあやかって末永い繁栄を祈念して設けられたものであろう。

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速谷神社の献木石碑

2011年01月04日 | 「廿日市地区」ぶらり


速谷神社本殿脇の祓殿裏の樹木の根元に「献木 佐伯郡長 新居善太郎」と刻された石碑が転がっていた。
速谷神社は大正12年(1923)から造営工事が進められており翌年には国幣中社に昇格している。境内地の拡張に伴って樹木の献納を受けていたようであり、佐伯郡の代表である郡長新居善太郎の寄進樹木の脇に建立されていたものであろう。

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卯年(兎年)に因んだ蔵飾り

2011年01月03日 | 「佐伯地区」ぶらり


卯年(兎年)に因んで以前に紹介した兎に関する蔵飾りを再掲します。
飯山地区にある土蔵の蔵飾りで波に霊亀と跳び兎、三日月を表した彩色の描かれた像、佐方地区の蔵飾りでケラバの三角部分いっぱいに波文と跳び兎の漆喰細工が施されているもの、友田地区の蔵飾りで消滅寸前のもの、中道地区にある蔵飾りであり波に跳び兎が漆喰細工ではなく描かれているもので、何れの蔵飾りもこの家の繁栄と飛躍を表しているのだろう。

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三寺社初参り

2011年01月02日 | 「廿日市地区」ぶらり


元日には例年の如く近所の西蓮寺、速谷神社、二重原八幡神社へ初参りをした。西蓮寺では本堂両側余間の大襖か新調された仏前で初参りをし、速谷神社では多くの参詣者で行列が大鳥居付近まで延びており寒い中順番を待って初参りを済ませた。
このブログがいつまでも続けられますようにと・・・

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