旧宮内村は隣接する村境の7ケ所に村境界石碑を建立しており、この石碑は明石峠(汐見坂峠)の旧宮内村と旧三和村境に設置されていたものである。
この石碑には三和村の村名が刻されていないので明治24年(1891)5月に宮内村単独で建立したものとみられる。当時主要な道路であったので藤掛山先端部の村境石碑と同じ大きなものである。7ケ所の内これまでに紹介した4ケ所の村境石碑が残されている。
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