宮内地区にある専念寺は江戸期の地誌によると、前身は真言宗の龍口山神福寺であったが弘治元年(1555)真宗に改宗して南光山専念寺と改めたようである。
明治44年(1911)の宮内村治積調書には速谷神社の供僧十二坊として神福寺が記されている。神福寺は中世文書にみることができ厳島社との関わりのあったことはわかるのであるが、供僧十二坊との根本史料がなく定かではない。 速田神社供僧十二坊関連
goo blog お知らせ
プロフィール
最新コメント
- hera/廿日市鋳物師の鋳造作品⑨-湯の山神社の釣燈籠
- hera_001/広電宮島線の架線電柱
- 平田政司/広電宮島線の架線電柱
- nk/廿日市鋳物師の鋳造作品⑨-湯の山神社の釣燈籠
- hera/河野原大歳神社の今
- nk/河野原大歳神社の今
- hera/神戸ポートタワー
- hera/神戸ポートタワー
- saneyuki/神戸ポートタワー
- hera/のうが高原廃墟遠望