子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

54. 松の油とりと木の皮とり

2013年04月25日 | 疎開生活
麦刈りや田植えのほかにも勤労作業がありました。

ひとつは松の油とりでした。
戦争末期にはガソリンの代わりに松の根からとった油「松根油」を戦闘機の燃料にしようと各地で松を掘り起こした、とずーつと後で知りました。
わたしの疎開先では、高等科の先輩たちに引率されて、のこぎりを持って山に入り、松の立ち木に根元近くにのこぎりで筋目を何本も入れました。筋目はYの字にして樹液が集まるようにしました。

樹液を集めた記憶はありません。高等科の先輩たちが集めたのでしょうか。わかりません。

この記事を書くために「松根油」をネットで検索してみました。字のとおり松の根からとれる油で、何百年も経っている松を倒してまでもとっても実用化されずに戦争は終わったとのことでした。そして、わたしたちが集めようとしていた方法では、ガソリンの代用になる油はとれないそうです。

もうひとつは、木の皮を剥いで供出する作業でした。
共同の井戸や小川のほとりにある低木(かごのきと呼んでいたと記憶しています。これもネットで検索してみました。かごのきという木がありますが、別のものでした)を切り、水に浸しておいて、木槌で叩いて皮を剥ぎ、乾燥させます。これを供出しました。

これも個人では少ししか集められないので、集落でまとめて供出したかどうか、はっきりしません。

覚えているのは、暑い日のことだったということです。



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