子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

69. また食べものの話

2013年06月18日 | 疎開生活
飢餓世代にとって、食べもののことは忘れられません。

早朝、伯母さんの家の畑でのこと。畑にスイカが植えてありました。伯母さんは指でスイカを弾いていきました。音を聞き、ひとつのスイカのツルを切り、鎌でざっくり切り割りました。わたしは渡されたスイカにかぶりつきました。朝露に冷えてそのうまいこと!近ごろは冷蔵庫で冷やしたスイカを食べますが、この畑で食べたスイカには及びません。朝露は天然の冷蔵庫だったのですね。

トマトも朝畑で食べたのはうまかったです。テレビではレポーターが「ジューシー」と言った食べますが、まさに畑で食べたトマトはジューシーでした。
あるトマト農家に尋ねたことがあります。「スーパーで買って食べるトマトはジューシーと思うことがない」と。その人は言いました。「それは仕方がないです。ハウスで栽培したトマトはまだ青いうちに収穫して、家で整えてから青果市場に持って行き、その翌日セリにかかり、その日か翌日の店頭に並びます。その時に赤く熟れて新鮮に見えればいいのです」

スイカもトマトも完熟を畑で食べるのが一番のようです。

木や草に生ったものは以前書きました、さくらんぼ、桑の実、ススキの穂、椎の実のほかにいくつかあります。

今ごろでしたでしょうか、ヤマモモを木に登って食べました。伯母さんちの入り口にヤマモモの木がありました。そこに一人登って黒赤色の実を食べました。
秋にはむかごを採って、塩茹でにしたりご飯に炊き込んだりしました。
ウベやアケビを採りに連れて行ってもらったこともあります。これはなかなか採れませんでしたね。

椎の実は町で昭和30年代に売っていたことがあります。菱の実を茹で、椎の実を煎っていました。懐かしいので、1度だけ椎の実を買って食べました。椎の実は疎開生活の思い出です。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿