子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

糒(ほしいい)の思い出

2014年01月06日 | 小学生時代
1月4日夜のNHKの「大航海ごはん」を見ていると、昔々日本では大航海に出るときには糒を持って行ったといいます。糒とは「蒸して乾燥させた保存用の飯のことで、湯や水に浸して食べ、古くは旅の携行食」です。

テレビを見ていて思い出したことがあります。
わたしが記憶しているので、太平洋戦争が始まった前後ごろと思います。行軍の途中で2人の兵隊さんがわが家に泊まりました。一般家庭に分散して宿泊させたのでしょう。
兵隊さんが宿泊の朝、糒を置いていきました。このとき初めて糒を知りました。確かに兵隊さんの携行食だったのでしょう。

この糒を忘れられませんでした。

戦後、米が豊富になって夏ご飯が残ったときに「ほしいい」を作ることがありました。糒と音は同じですが、「干し飯」と書くほうです。
方言で「ねまる」(腐る)前のご飯を天日で乾かして保存用にしたものです。煎っておやつに食べた記憶があります。

糒をもう1度食べたいと思い続けていました。ずっとあとで旅行先の熊本県のどこかで(場所の記憶がありません(-_-;)。買ってきて食べました。砂糖が入っていて少し甘かったことは覚えています。

日本でも毎年餓死する人が出ます。世界でも食料不足です。
でも、コンビニの消費期限切れの弁当はすごく捨てられています。これを糒にすることはできないのでしょうか。飢餓世代のわたしはそう思います。糒ならどこの国、地域でも食べられます。もったいないです。


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