子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

ひでちゃんの顔の傷

2015年01月23日 | 小学生時代
近所にひでちゃんという遊び友だちがいました。

眉が濃く目が大きい、1年下の男の子でした。

今はひでちゃんよりも両親の顔かたちがよく思い出されます。
お父さんもひでちゃんのように眉も目もはっきりしていました。なによりも思い出すのはお腹が大きかったことです。シャツに包まれないような腹を出して、縁台に座っていました。だるまさんが座っているようでした。

お母さんはいつも泣いたような顔でした。お父さんのお腹は病気のために大きくなったような話をおっかさんはしていました。それでお母さんは悲しそうな顔をしていたのかもしれません。

ひでちゃんとは野球はしていないので、疎開から帰ったときにはひでちゃんの家族は近所にはいなかったと思います。お父さんが亡くなられて引越したと思います。

ひでちゃんの傷はわたしと遊んでいたときについたものです。このときもおっかさんにすごくおごられました(叱られました)。

近くに小さい神社があります。そこもわたしたちの遊び場でした。

ひでちゃんと遊んでいるときにひでちゃんがわたしのシャツの裾を握っていました。わたしは振り払おうと逃げ回ります。石造りのこま犬さんの周りを回っているときに石の角にひでちゃんが顔を打ちつけました。
顔から血が流れ落ちました。額が切れていました。

急いで帰り、お母さんから応急手当てをしてもらいました。
病院に行くことはしませんでした。
このころはたいていの傷では病院には行かなかったです(行けなかったというべきかもしれません)。
傷が残りました。

ひでちゃんに会うことがあれば最初に今も傷が残っているか、小さくなったか尋ねたいです。
ひでちゃんの傷がわたしの心にも傷として今も残っています。

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