霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

徳佐八幡宮記36(近世編)

2006-10-31 10:21:57 | 郷土史
 元禄4年(1691)に宝亀山三原八幡宮祠官佐伯右近方のある文書に御裏書がありその内容に宝清山八幡宮のことが記されている。また佐伯右近方は宝清山八幡宮大宮司代をしばらくの間、あい勤めていたといわれている。

★覚書を以って申しあげ候事

一 徳佐本郷八幡宮御宝殿破損について、この度葺き替えその外お取り繕い仰せ付けられ候、それにつき下遷宮相調べ置き候、上遷宮御入目公儀より仰せ付けられ候様に御上げられ下され候、

 当社の儀は御国境と申し、第一ご祈願所の儀に御座候ゆえお取り繕い等の儀も時々公儀より仰せ付けられ、ご紋等をもお置きなられ候。

 しかるところに延宝7炎上について宮ご普請仰せ付けられ、遷宮の節は米10俵、錦地9尺、白衣1疋、大広3束、小杉7束、遣わされ候ご証拠物御座候、その節は御紋のお幕等お貸しなられ候。

 この度の儀はお取り繕いの儀に御座候間左様は申し上げられず候条、ご校了をもって遷宮仰せ付けられ下され候様にお上げられ下さるべく候、奉頼上げ候、以上

 元禄4年(1691)
    未の3月26日
                       大宮司代
                         佐伯左近
                       惣鼓頭
                         渡邊隼人
                       徳佐村庄屋
                         椿勘左衛門
                       同
                         藤田勘兵衛
                       同給領都合庄屋
                         太左衛門

    お手子の
       五右衛門殿

 右前書の分におことわり申し出候間、しかるべくが沙汰遊ばされ遣わされるべく候、以上
  同日                 お手子の
                         五右衛門(印判)
                    
     佐伯八郎右衛門殿

 右の分に申し出候間、何卒少なからずとも遷宮入目遣わされ候様にご沙汰遊ばされ下さるべく候、以上               
  同日              佐伯八郎右衛門(印判)(花押) 

 この裏書に
  表書きの趣き及びご沙汰、遷宮造さご了簡の上 米5俵遣わされの通り別紙ご奉書差し出され候、後年のためこの書につけ裏書調え置き候、以上
  未の
    卯月4月21日             佐伯八郎右衛門(印判)
       大宮司代
         佐伯左近殿
       惣鼓頭
         渡邊隼人殿
       徳佐村庄屋
         椿勘左衛門殿
       同
         藤田勘兵衛殿
       同給領都合庄屋
         太左衛門殿

 徳佐八幡宮の宝殿の葺き替えと修繕について昔から国境に接している第一祈願所として公儀から援助を受けていたが今回も少しでも援助をもらえないかと時の寺社奉行所の役人に願い書を出しているものである。結果として米5表の援助を得ている。毛利本藩の役人は私の推定では長沼五右衛門であろう。

※校了・・・考えおえること
※入目・・・品物を納める、入れる、献上する


参考文献 防長風土注進案

               

徳佐八幡宮記35(近世編)

2006-10-30 12:28:50 | 郷土史
 徳佐八幡宮の別当職について、草創の当時から神仏混交で神宮寺があり別当職が灯篭に火を絶やさなかったり般若興行を行っていた。宮中覚書作成当時{仁治元年(1240)}には中野氏が取り仕切っていたが、その後幾星霜を経ることによって変わっていったと言えよう。

★この度その方別当の座 出入りこれありに付いて、先年の書物並び吉田殿よりのご判物差し出され候について、杉備前殿へお目にかかり僉儀仕り候処に、筋目の儀候条先例に任され別当役相勤められるべくの由 備前殿仰せ出でられ候、五社内陣において殿様ご祈祷ゆるがせ無きように相勤められるべきこと肝要に存じ候、後日の為一筆件の如し。
  慶安5(1652)の
     5月2日             小野弥左衛門(花押)
     配川出雲太夫殿
            人々御中

 別当職について、社中(氏子仲間)の某とこと在りし時、いわゆる別当職の資格争いの時前の古証文があった配川氏が寺社司に詮議の為直談判をして、吉田家に許状をはじめ証文があるということで裁断を得て別当職をしなさいと決まったのである。配川氏の祖は久守氏であると系図が残っていたからでもあろう。

 この頃神宮寺はなかったのにやはり名誉職として欲しかったのであろう。やはり資金力があれば書物も残るし、後々の証拠物にもなるというわけである。

錦鶏の滝(きんけい)

2006-10-29 18:26:39 | 随想
 樹木学習。観察会の帰りに立ち寄ったが、最近雨が降らず。滝の水が細っている。白糸の滝というような感じで雄大さはなくなっていた。

 大内氏時代の頃は雪舟や京の公家や外交僧も滝を見たり歌をつくり、ときには連歌となったりしていたことであろう。

国境の碑

2006-10-29 18:19:22 | 歴史/古文書
 これは江戸時代の国境の案内の石碑である。周防・長門の国境の碑である。1760年ごろにはすでにあったといわれている。

 現在のものは1808年に作られ花崗岩製である。高さは2.1mある。地表からであって埋めてあるところからは何メートルかわからない。

板堂峠

2006-10-29 18:13:00 | 歴史/古文書
 この峠は萩往還道の中にあるが実は古くからあったのである。萩往還道は江戸時代萩藩の参勤交代のために萩城から三田尻の船倉までのことを言っている。その道幅は4mと昔では大道であった。

 板堂峠は1470年ごろ大内政弘によってこの峠の近くに板葺きで作ったお堂があったことから名がつけられた。萩往還道では一番高度が高いところである。

 案内板が大内政広となっており名前が間違っていた。

エゴノキ林

2006-10-29 18:01:00 | 随想
 エゴノキは別名チナイともいう。果実にはエゴサプリンといって渋い味がするものがふくまれている。果実に魚毒性があり魚が狂う。魚を採る時に使う。また石鹸の代用として樹皮は使われている。石鹸のようによく汚れが落ちるのである。

 幹は大内人形の材料に使われています。

 和名はロクロギといわれ、和傘の支えが集中しているところの道具に使われているなど用途は広かった。

樹木観察会

2006-10-29 17:51:00 | 随想
 今日は朝8時40分から21世紀の森の森林学習センターに行き、樹木医の先生を講師に県の林業事務所が主催する森林樹木の観察会に行った。

 参加者は19名と少なかったがみんなまじめな人々で熱心に話しや説明を聞いていた。

 山口県は平成17年4月から森林税を個人で500円、法人は資本金により1万円から4万円を納めている。

 主に荒れた山林の間伐や整備の費用。竹林が全国4位の面積もありその竹が一年間で20mも伸びる為、繁茂竹の伐採などに活用。など森林を守るために森林税を使わせてもらっているのとお話であった。

 森林があるからプランクトンが生まれ海の資源があるのであり、森林があるから二酸化炭素も急激に増えないのである。

 二酸化炭素は0.03パーセントであるがこれが増えればますます地球温暖化になっていく、森林を守る、緑化を広げる、砂漠化を避けることが、現代の動物・植物・菌類の生存にかかっているというのも過言ではないであろう。

 これからも森林資源の守る活動にエールを送りたい一人です。

2006-10-28 17:09:05 | 随想
 一週間前のこと朝の散策でみごとな虹を見た。近くに虹のふもとがあるのでそのふもとに行けば幸福になると信じて元気に歩いた。

 虹の橋の下をくぐったと思った瞬間虹は見えなくなった。

 うえに薄く二重に虹が生えていた。二段構えの虹は珍しい。

山口アーツ&クラフツ 06展

2006-10-28 17:01:28 | 随想
 中央公園で朝6時ごろから準備され10時から開催された。ガラス工房や陶器、あるいは木工細工、石造品、布による小物、など山口を始め西日本各地からの製作者が90ブースに分かれて作品の展示や即売会を11月28日と29日に両日行うので覗いてみた。

 かわいらしい陶器や人形などや飾り布などインテリアとして部屋を飾るといいものがたくさんあった。

 今から家を建てたい人、部屋の模様替えをしたい人、リホームをする人など必見でしょう。

NPOバンク

2006-10-28 09:23:47 | 経営/法律
 NPO法人を最近耳にするが発足以来年々NPO法人は増え続けているのである。
(1998年に制定され2006年6月現在26525法人と増えている。内閣府ホームページより)

 NPO法人といえば社会福祉や介護関係の事業でボランテア法人かなと錯覚するようであるがれきっとした株式会社のように株主への配当はできないが事業収益はどんどん挙げてよいのである。NPO法人で一般企業と遜色のない事業活動をやっているところもあるとこの前のテレビ報道でも見たが、そういったNPO法人があるのである。

 そのNPO法人向けに融資をするのがNPOバンクというものであるがまだわが国では5事業所ぐらいしかないらしい。なかなか一般金融機関としては小口融資のため(一件あたり平均融資額270万円前後が多い)コストにあわず融資活動は低迷しているなか、NPOバンク全体で年間60件から70件ぐらいの融資をしているこれらのバンク(形態は事業組合、任意団体、NPO法人など)はよく健闘しているのである。

 概して小規模で、財務基盤は脆弱性があるといわれているNPO法人で、その組織の定性面や、支援者がどのような人々か、バックについている影のオーナーはどういう人物か、地域にどれだけ馴染んでいるかなど数字に表れない情報で融資をしている為貸し倒れや不良債権は少ないという。

 またNPOバンクへの出資者の一人であるNPO法人が借りるケースが多く返済は遅れることは少ないといわれている。互助的な融資もある。

 いずれにしても今後も高齢化による福祉の需要や行政の官から民への移行に伴い法人数は増えていこう、それらの資金需要に対応できるNPOバンクの姿が求めれれよう。