霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

厳島神社

2008-10-31 10:10:09 | 歴史/古文書
 防府市鞠生町にあります。県内に厳島神社は22社あってそのうちの一つです。いわれ書はなくいつ頃のものか分かりませんでした。しかし古いものでしょう。

合掌

2008-10-30 18:25:20 | 仏教/宗教
「合掌
   あなたは仏様です
           礼拝」

 これは強烈な言葉ですね、なかなか仏様になれないから人間は思い煩っているのです。しかし多くの煩悩を忘れ去る術を身をもって習得しまえば「悟り」を開いたことになるのです。

 嫌なことはすぐ忘れてしまうことこれができれば凡人は仏様のようになってしまうのでしょう。この言葉は気持ちの持ちようで仏様になれますよと励ましてくれているのだと思いました。

天保の倹約令の思う

2008-10-27 20:03:28 | 歴史/古文書
 最近の世界恐慌的な株式市場の動きや金融市場の混乱など国際経済の動きを見ていると天保の大飢饉時代を思い出してみたくなりました。

 先人たちはどのように克服してきたのかまた辛抱してきたのかを探ってみました。

 今をさかのぼること166年前、天保13年いまだ借銀が増えればすれど減らない萩藩財政にたいし萩藩は倹約令を出して緊縮財政を断行したのです。

 一般的には4つ成りといわれて4公6民の配分だと思うのですが、実際には当時の農民は米作1反歩あたり籾殻率0.55の割で出来米を算出しその99.9パーセントを「物成4つ(正租)と付加税や郡村費」で占め租税として収めていたのです。

 農民は米作では食べていけず。裏作として麦を作りわずかばかりの畑で野菜を作り飢えをしのいでいたものと云われている。

 しかし徳佐村史では「物成=4つ成+口米+石貫+延米+種子利米+作飯利米+浮役銀+門役銀+ご馳走米+郡配当米+勘場小貫+地下小貫」と多くの税を負担しているのが分かります。

 貞亨3年(1686)の検地では公5.5民4.5に当たり、小村では公6民4を上回る公の負担があったといわれているが、天保時代は前述のように多くの租税があってそれらをさらに上回る租税負担があったといえよう。

 天保11年(1840)萩藩の仕組み(財政のしくみ)が組直しされ、天保12年には「蔭切り」の沙汰が出て田畑に蔭を作る樹木は神社の樹木であっても南5間・東西3間の間は伐採されて作物の生育に妨げないよう沙汰を出している。

 ついに天保13年(1842)にはお上より倹約の沙汰ありて絹布一切、婦人の髪かざり、簪(さん)、櫛、かんざし、水牛、真鍮、鉄等まで使用差し止めとなる。当然藩主一族に対しても倹約をすることが求められたとは思います。下々の農民たちに対して厳しいことを求めるうえは藩主一族も当然厳しい生活が求められなければならないと思うにですが??どうでしょうか。

 家臣が藩主に対して倹約をせよと言えないですよね。・・・・・それがこの時代いえたのです。すごいですね、藩主一族に対する年間予算を半減にしたのです思い切った削減策を採ったものです。藩主一族たちもよくも我慢をしたものですね。

 しかし下々の農民たちはもっと厳しく、こうした天保時代に大一揆がおこるのもうなずけます。しかし萩藩は「御借銀八万貫余の大敵」と言われながら、借銀帳消しや借銀踏み倒し、延べ払い(37年払いなど)、金利減免などの策を用いて借銀6万貫余に減らしたのです。

 いずれにしても藩士や農民を犠牲にして藩財政を立て直し幕末の戊辰戦争に備えることができる礎となったわけです農民の辛苦の賜物であったことが良く分かります。農民は我慢強いですね。幕末維新は農民の我慢が石礎となっているといっても過言ではないでしょう。

 現在でも一般国民の人々が低い預金金利に我慢しながら金融システムを支えていることとあまり変わりはないのですね????

カンナ

2008-10-27 19:33:49 | 園芸
 日曜日(10月5日)は農園に行きジャガイモの種を植え付けたり、ごぼうの種を補充したりして過ごしました。

その後雨が降り出しましたのでご飯を炭で炊いたり、栗を炭で焼いて焼き栗を作ったり、読書して昼寝をしたり、ゆったりと過ごしました。

 このカンナの花はお隣さんからもらった球根を植えたものです。こんなに綺麗に花を咲かせてくれました。

 嬉しい一日でした。

人生は出会い

2008-10-25 19:26:00 | 仏教/宗教
「人生はであい
  人間はふれあい
   世間は助け合い
    そしてみ仏にめぐりあい
       ・・・あいこそあれば」

 人生は精子と卵子のであい、1億の精子のひとつが卵子とであって人生は始まるのであるが、人と人の関わりの中で社会生活を営んでいくわけですが、そういった人とのふれあいの中で人間性を高めていき社会のながでお互いに助け合ながら人生を豊かに送っていきます。

 最後は御仏にめぐり合って安心立命を成し遂げて浄土の世界へと旅たつことになりますがそこの根底には【愛】こそ人生の根底ですよといっておられます。「愛」という言葉はキリスト教の教えにもありますように人生普遍の想いなのですね

思い煩い

2008-10-24 17:55:58 | 仏教/宗教
「思い煩いは
    何もかも神に
    おまかせしなさい
     神があながたたのことを
     心にかけていてくださるからです」

 本当に生きていくということは思い煩い生きていくということは得心できるのですが、それを何もかも神にゆだねていいものか、しかし上記の言葉は神にお任せしなさいと命令的です。

 その命令にしたがい神のいわれるままにしたがうということは大変安らかに生きていけることと思います。

 他力に頼るか自力に頼るかいろいろ生きかたはあると思いますが、人生、黒白で考えなくて適当に生きるのが一番いいではないかと考えるのです。

植物魂

2008-10-23 19:27:55 | 随想
 この写真は私の仕事場の近くにある路地にこのように生えているのです。見て分かるようにコンクリートのちょっとした割れ目から芽を出してこんな小さな花を咲かせているのです。

 すごい根性物です。良くタウン誌とか新聞に根性植物の記事が載っていますがまさにそれと同じものです。

してあげる世界

2008-10-22 19:16:50 | 仏教/宗教
「してあげる世界から
     させていただく世界へ」

 老人介護とかお年寄りに対するお世話に対してちょっとした買い物とか、ちょっとした介護とか、ちょっとした話し相手とか、してあげるとお年よりも非常に喜んでいただけるのであるが「してあげる」という心根は、「あんなにしてあげたのに」と、どこかにそういった心が残って気まずくなってくるのが尋常らしい。

 本当は「してあげる」ではなく、させていただくという心根であればあんなにしてあげたのにという後悔や羨みも生じてこないのです。

 何事も人々に親切にしてあげることはいいことですが心根は【させていただく】といった無償の愛による奉仕の心根がないとだめなんですねーー。

 まだまだ修行が足りません。

クラインガルテン記54

2008-10-21 21:46:08 | 園芸
 27日土曜日は一人でクラインガルテンに宿泊をしてしまいました。ちょうど気温が下がった夜でしたので電気カーペットをつけて寝ることになりました。スイミングにいって程よく疲れもあったので良くスイミンが取れました。

 朝は寒くなり電気ストーブを出してストーブに当たりながら朝食を作ったりして一人で食べました。何もかも一人でやることは楽しいものです。

 朝食後はひとりで読書をしたり農園へ出かけては少し農作業をしたりと何か気ままに過ごしていました。10時過ぎに家族のものが来ましたので、畑を耕しそこにニンニクを植え付け、別の畑にはチンゲン菜や白菜の仲間の野菜の種を蒔いたりして正午まで過ごしました。

 午後は昼寝と読書でした。のんびりしたいい日でした。

 今農園は写真のようにコスモスでいっぱいです。綺麗で豪華な気分になります。

200928

足るをしらざれば

2008-10-20 09:10:19 | 仏教/宗教
「足るを知らざれば
    富めども貧し」

 今回の世界的金融危機はアメリカのサブプライムローンに端を発し、リーマンブラザーズ証券の破綻等によりさらに拍車がかかり100兆円いや200兆円に及ぶ損失が発生すると危惧されている。
 

 そもそも個人消費が日本の4倍の1000兆円と大量消費国アメリカでは富裕層(全体の20パーセント占める)は消費の4割を占めるなどお金使いが荒いというかどんどん買ってくれているのである。

 しかも貧困層等においてもサブプライムローンやクレジットカードなどを使ってどしどし融資をしてもらって、物を買わせているのである確かに物品が増えて豊かにはなりますが、借金を重ねてまで豊かになることは悪くいえば砂上の楼閣にもなりえるのであります。まさにサブプライムローンがそれであります。今回の世界的同時不況の一因といえましょう。

 「足るを知りお金にあまり依存しない、収入に応じた生活を楽しんでこそ本当の豊かさ」=「足るを知るという心の豊かさ」というものが大切になってくるでしょう。これからは大量消費ではなく地球環境に優しい消費へと変革が求められるのではないでしょうか。