「成瀬仁蔵生誕地」この石碑が建っているのは吉敷赤田という場所で、国道から少し入った行き詰まりにある。車で行くと駐車場が無く駐車に少し困る。
前々から知っていたが最近はじめて訪れてみた。いや初めてかもしれない。多分初めてだろう。
成瀬仁蔵は安政5年(1856)6月23日にこの地で生まれている。わが子の誕生日6月23日と同じでありルンルンです。
成瀬仁蔵は幕末維新の息吹を感じながら当地の郷校憲章館で学び、明治9年(1876)に上阪して、先輩の沢山保羅(ぼーろ)を助けてキリスト教の布教に当たった。そのとき大阪の梅花女学校を沢山保羅(ぼーろ)が開校しそれに協力しながら女子教育(校長職)に力を入れたという。
明治23年(1890)米国に留学して最初はアンドーバー神学校つぎにクラーク大学に学び女子教育、教育機関、社会事業など幅広く学び明治27年1月に帰国しています。
帰朝後は日本最初の女子高等教育の振興の尽力され、有志の協力を得て東京目白に明治43年(1901)4月、日本で初めての女子大学を創立し校長として高等女子教育を発展させた人です。今の日本女子大学です。
62歳で病死されている。大正8年3月4日のことであります。
観光案内板を参照しました。
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