霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

成瀬仁蔵誕生地

2008-06-30 16:45:50 | 歴史/古文書
 ここは今は宅地だけが残っており建物はなくなっている。宅地跡は小さな公園となっていて、当時使っていた手水鉢が残っている程度で何も痕跡は無い。

 手水鉢だけが当時のしのぶものとなっています。公園には日本女子大の同窓会や卒業生からの植樹が植えられています。桜とカエデの植樹が目立っていました。校章との関係でしょう。

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梅雨の晴れ間

2008-06-29 18:20:45 | 健康
 梅雨の晴れ間となった午後ですが、午前中は梅雨でした。8時34分から歩いてスポーツジムへ行きました傘を差しながらです。

 自転車での傘差し禁止となり止む得ず歩いていくことにしました。ウオーミングアップもかねてのことです。歩くと30分もかかりました。

 しかしウオーミングアップができているためスグに1000mのスイミングができました。今日は左足を重点に力を入れて泳いでみましたがまあまあでした。

 1000m水中ウォ-キングをして。また30分歩いて帰るとちょうどお昼時間となるのです。いい運動ではありますが、時間がもったいないようでもあります。

 自転車の傘差し運転は5万円以下の罰金が下されるそうです。最初は指導・警告らしいですが、いつから罰金となるか、スグになることもあります。「風が吹けば桶屋が儲かる」とか言ってカッパ屋さんが儲かりますね。

記念樹

2008-06-28 17:38:07 | 園芸
 こども達の結婚記念に植樹した桃の木からこんなに可愛い桃が生まれました。今年植えたばかりですので一個限りです。

 すくすくと大きく育ちこんなに赤くなりましたので袋を取り収穫してみました。まずは仏壇におそなえして、それからじっくりと味わいたいと思います。

 きっと子供達の新婚家庭のように超甘い味、桃蜜の味がするでしょう。

成瀬仁蔵生誕地

2008-06-26 16:39:42 | 歴史/古文書
「成瀬仁蔵生誕地」この石碑が建っているのは吉敷赤田という場所で、国道から少し入った行き詰まりにある。車で行くと駐車場が無く駐車に少し困る。

 前々から知っていたが最近はじめて訪れてみた。いや初めてかもしれない。多分初めてだろう。

 成瀬仁蔵は安政5年(1856)6月23日にこの地で生まれている。わが子の誕生日6月23日と同じでありルンルンです。

 成瀬仁蔵は幕末維新の息吹を感じながら当地の郷校憲章館で学び、明治9年(1876)に上阪して、先輩の沢山保羅(ぼーろ)を助けてキリスト教の布教に当たった。そのとき大阪の梅花女学校を沢山保羅(ぼーろ)が開校しそれに協力しながら女子教育(校長職)に力を入れたという。

 明治23年(1890)米国に留学して最初はアンドーバー神学校つぎにクラーク大学に学び女子教育、教育機関、社会事業など幅広く学び明治27年1月に帰国しています。

 帰朝後は日本最初の女子高等教育の振興の尽力され、有志の協力を得て東京目白に明治43年(1901)4月、日本で初めての女子大学を創立し校長として高等女子教育を発展させた人です。今の日本女子大学です。

 62歳で病死されている。大正8年3月4日のことであります。

観光案内板を参照しました。

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クラインガルテン記44

2008-06-24 19:59:17 | 園芸
 先週の日曜日には、ぶどうの房がたくさんできましたので一部袋がけをしました。

 まだ袋が足りませんので、次回は袋を作ってやってみようと思っています。

 桃は実が一個ついています。袋の穴から除いて見ますとすでに赤くなっていました。もうすく食べられます。

 一方トウモロコシは虫が幹に入り込んで幹が折れたり虫の糞(のこくず状)で汚れています。これは「アワノメイガ」という蛾の幼虫で今から薬剤散布しても効果は無く幹ごと引き抜いて害虫をとり除くほかは無いようです。

 自然と接するといろいろなことと出くわしますがそれらを乗り越えていくことが大事なんですね、こればかりは自分のしたことですので自分で責任を取るといった当たり前のことをやっていくのですね。

吉敷毛利家館跡

2008-06-23 10:57:59 | 歴史/古文書
 今は何の変哲もない老人介護施設が建っています。ただ少しだけの名残は写真に見える石組みぐらいであろうか、石組みの下の堀池の跡のようなものもその名残りであろう。

 わずかにその場所であるという石碑があってはじめて分かるのである。

 毛利元就の第9子毛利秀包の(子は元鎮)孫元包が寛永2年(1625)のこの地を領し居館を造ったのがはじまりですが今はその痕跡はわずかしか残っていません。1万8百余石を知行していたといわれています。

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茶摘

2008-06-21 21:23:30 | 園芸
 梅雨の合間の中、学習会にいった帰り農園に立ち寄ってみました。お茶の葉が繁茂していましたのでクコの葉と一緒に葉摘みをして水で洗って干しておきました。野菜類も水が雨で多くあるせいか良く育っているようでした。

 プールでは1000m泳いで1000mのウオーキングをしてきましたので心地よい疲れができました。

地域の活性化

2008-06-20 19:54:54 | 経営/法律
 いつも選挙のたびに地域の活性化が叫ばれている。地域の活性化というと工業団地や流通団地を造成し他地域から工場誘致をしていく手法が一般的であるが最近はグローバル化の進展でなかなか国内に企業立地をしてくれる企業は見当たらず。工業団地等への進出は減ってきているのでしょう。

 これからの地域活性化策としては外部誘致型や公共工事に依存するのでなく内発型地域活性化策を目指す方向にあるのであろう。農工商連携による。新しい業態の開発とかもその一例であろう。

 しかし折角農村地域で株式会社等による新しい業態で農場や体験型の牧場や牛乳・チーズ製造など幅広く営農と食品製造と販売を一手にやっている大規模法人の営業活動に対して、「あれは百姓のやることではない」「あんなのに任せられん」「田んぼを預託すれば畦クサを刈ってもらえん」近所迷惑になるとか批判をする人が多く異端児扱いで見られているのである。

 本当はそういった大規模営農法人等が雨後のタケノコのごとく発生して若い従業員たちが住みつき村の総生産額や所得も向上し消費も活発化するなど村の活性化への貢献が大なのであろう。

 そういったチャレンジする法人にエールを送り第二の農商工合体法人が生まれてもいいはずなのだがなかなか出てこないところに活性化につながらないところがあるのでしょう。

 成功事例を参考にしながら、今後の農漁村のあり方を村民の目線に降りていってみんなで考え、何を栽培し、加工し、販売して、お客様に来てもらうか、等々ちいさなアイディアや改善を積み重ね、知恵と汗と資源と資金をうまく融合させてコーディネートさせていかなければならないのであろう。

バカ中間管理職論?

2008-06-19 21:27:14 | 経営/法律
 どこにでもある話しであるが。儲からない会社にはこんな中間管理職がいるからかもしれない。原因はトップと中間管理職のデタラメ・いいかげんさが原因でしょうか?????。第2弾として「バカ中間管理職論?」を考察してみました。

1、常にトップにいいなりになっている。服従している。
1、グループ・部の長として責任感が無い。
1、相談しても、良きに計らえと無責任。
1、どうしましょうと伺いを立てても、自ら判断しない。
1、ミスばかり怒鳴って、注意ばかりしている。
1、性格が暗い、いつも不機嫌である。
1、些細なことで呼びつけて、「書類が届いた」と云うだけ、など部下の仕事時間を食っている。
1、部下には仕事をせよといいながら、諸中ミーティングを開いて自己満足している。
1、仕事の指示がなっていない。部下に対して具体的こうすれば業績が向上するなどしていない。
1、部下とのコミュニケーションをとっていない。努力していない。
1、部下を親身に指導しない。
1、自らすべき仕事を部下に振る。
1、トップに次いでえらいと思っている。

 これで株式会社として利益をあげて行けといっても苦しいですね。もっとも中間管理職やトップが稼いでくれればよいのですがトップも中間管理職も営業はせずガミガミばかりいって一日を過ごしている会社なんて儲からないですよね。

 意識改革・自己改革せよといいながら全然改革は進んでいないのもこのあたりが原因でしょうかね。この会社の課題は何か、この会社の存在価値は何か、この会社の底力は何か、現場力はあるのか、いろいろ分析していくことからはじめなくてはならないでしょう。

 かってはみんなで小さなことも改良し・改善しながら自律的に考えながら仕事をしてきた風土があったのに、いつの間にか瞬時に消えていくものなのですね、「良い風土を作るには10年かかるが悪い風土は1年で出来てしまう」。 この株式会社の末が思いやられますね。