霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

市民講座

2009-11-08 10:00:00 | 講演
 こういった講座を10年前にいったことがあります。今年は時間的に余裕がなるので参加してみましたが、10年前に比べると聴講する人が少ないのにビックリしました。

 なぜ減ったのでしょう。確かに人口構成が65歳以上の市民がおおくなり余り出かけなくなってきたということもありましょう。若い人が少なくなったのでしょう。また官庁が市民のニーズ汲み上げて企画をしていくのも、もう時代遅れとなっているのかもしれません。文化活動が市民の中の生活に組み込まれていて、それらの中で自由に選択しながら情報が得られることもあるかもしれません。またネット社会で手軽に知りたいことが知りえる時代でもあるかもしれません。

 いずれにしても聴講者が少ないということは官庁側のニーズの把握が不十分か、それとも予算的なことか、それとも不要と思っているのか、検証していくことも一つの手かもしれません。

地名の由来について

2006-09-09 17:02:31 | 講演
 今日は山口史「史料編」編纂講演会に参加しました。

 地名は文字のなかったころから、語られてきていると。縄文時代の始まりのころから矢は使われており、この矢という言葉は水の流れをさすのであって「矢切りの渡し」など水の流れを切って渡ることを意味しているのである。

 日本の苗字も地形や土壌や川や清水や植物から出ている苗字が多いとのことである。柿木は昔から境に植えてあるもので境に垣があるとも書くようになった。

 いわゆる文字を持たない言葉である口コトバ、民俗コトバに地名の解釈をする上でのヒントが隠されている。従ってそういった口コトバ、民俗コトバを多く収集するとともに現地に行って古老の話を聞きながらフィールドワークをしていくことが地名の研究に欠かせないことである。

 山口・・・防府から萩を結ぶ山越えの道の入口をいう。
 椿・・・坂の登り口の地名を言う。
 船越・・・丸木船の船形のように緩やかな谷のことを言う。
 桜畠・・・桜の花のようにぱっと開けたところ。
 梅ノ木峠・・・山あいの浅い谷のこと。UMEからUBEへとかわる
 松江・・・花崗岩の土壌真砂(マサ→マツに変化)のあるところ。
 油川・・・川底が段々状の地形がある。
 湯田・・・地下水があふれ出て水溜りのある低い地形
 芋が迫・・・暗い山越えの入口、芋=忌み
 十楽・・・楽市楽座の楽市のあったところ。山口市吉田(山口大学の東北)と問田(山口市大内御堀の南部)の峠の吉田側の坂、坂は中世、既存の支配があまり及ばなかった処といえよう。

 など山口での地名の形成の仕方がわかり昔の地名に対する文化とか民俗学的見地からもそのいわれが面白く、できれば市町村合併の時においても旧来の意味のある地名は温存していくほうが日本文化を継承していくうえでもよいのではなかろうか。
 ただ文化は時代によりいろいろ新しく進化するのであっていつまでも昔にこだわることもなく、どうしても残したほうがよいものとの峻別は必要であろう。

低山は里山

2005-02-20 20:52:32 | 講演
 山口山岳会40周年記念講演会に行く、講師は医学博士で、日本山岳会員京都支部所属、山口県由宇町で開業医をしておられる中島篤巳先生の話である。
 
 山登りは最初は息を切らして登るがそれを過ぎると血圧は下がり息も楽になる。平家谷に登ると平坦なところが続きクールダウンができる。体力の限界は体が教えてくれる。歳を取ると良く転ぶこれも体が教えてくれる岩の上に登ってもも覗けなくなるのはバランスを取る能力が落ちていることで体が教えてくれる。過去を忘れることがストレスを作らない、60を過ぎて社会的役割を終えたと思ったらスーとしてストレスの原因が減った。欲がなくなればストレスもなくなる。 

 山登りはマイペースで登ることが極意である。グループで行ってもマイペースでばらばらに登って良いといわれる。それほど健康にはマイペースでの運動が重要とのことである。

 忍者は甲賀三郎伝説があるが、甲賀、伊賀は発祥のところで、望月家などはその頭級で薬を造りそれを売っていたりもした。その末裔が近江製薬として残っている。忍者の生き方は非常に合理的である。伊賀に黒田の庄といわれる所がある黒田悪党と呼ばれるがこれは権力に反抗する勢力を悪党といっているのである。東大寺領が多くそこへ収めたものを略奪したりするのでそういわれているのであろうと。それと忍者は関係しないが忍者は何でも流してしまう、強いと思えば逃げてしまう、実と虚を使い分けている相手が隙を作ったとき一気に迫るなど虚虚実実な態度である

会社は価値観を共有するからストレスが生じるのである、共有させるから落伍者やノイローゼになる人がいるのであるが、忍者は価値観を共有しない。固定観念を放下してしまう。自分の価値観で生きるのが忍者である。だますことも目的のためなら正しいと考えて生きている。酒、色、欲、の三つの戒めをもち固定観念を放下し自分の価値観のみで動くといった生き方をしている。

 親の死に目に会えないとかよく言うが、抵抗を感じる。死ぬ直前にじっと見られるって冗談じゃない、早く死んでくれとか、何とか言われてみとられるって冗談じゃない、死んだ後から来てくれればそれでいい。

 登山は自分のペースが一番いい。体力には防衛体力と行動体力がある防衛体力はばい菌から守るとか病気にかからないとかのことであるが歳をとると精神面が最初になえる。行動体力は疲労を回復すること、よく寝ること寝れば体力は戻るがこれは精神疲労を取ることでもどるのである。運動してちょと息切れするぐらいの運動をすれば運動能力はある程度維持できる。

 3週間寝ていればすぐに骨そしょう症になる寝ていればカルシュウムはとんで行きなくなってしまうと、山で出血したときはまずハンカチかタオルで押さえるのが一番、綿は引っ付くのでやめてほしい。
 
 低山は中高年者でものばれる高山は酸素も薄くなりいろいろ装備がいり金がかかる、低山は里山でそこには伝説や歴史、神社、仏閣、風土などいろいろ新しい発見があって好奇心を顕現させてくれる面白い。

在宅緩和ケアについて(講演会の話)

2004-11-14 18:47:20 | 講演
 第1回在宅緩和ケア市民講座に参加した。山梨県甲府市のふじクリニック 内藤いずみ医師の講演「あなたを家族で看取りたい」を聞いた。ホスピスとはもてなすことで、ホステル、ホステス、も同じような意味になる。在宅で看取るには、本人の小康状態と、家族が見える居間にベッド、トイレは自分で歩いていける。家族が今後に対する看取る意識が強い、不安なく支えられる意識が強い、医師とのホットラインが24時間常にできることが大事といわれた。
 在宅で看取ることは、医者としてその家族とのつながりがふとまり、今でも親戚づきあいがあると 。
「頑張らない」・・・著書 鎌田諏訪中央病院院長」、ホスピスについて「永 六輔氏」も応援していると3年前、生命余後6ヶ月の妻を家で看取られた。

永六輔氏のいい医者の10項目
1話をよく聞いてくれる医者
2分りやすく説明する医者 
3俺に任せろという医者が好きな人はそれも良い
4薬に頼らず生活上の注意をしてくれる医者。
5必要があれば専門医を紹介してくれる医者
6地域の福祉、介護、在宅ケア、の機関を良く知っている。
7医療の限界を知っている医者、人間としての尊厳を大事にする。
8セカンドオピニオンを紹介してくれる医者
9本当のこといってくれる医者
10かかりつけ医の活用

いい患者の10か条

1ミスや誤診に驚かない
2遠くの医者より近くの獣医
3職人風の医者を選ぼう。学者風より
4医者の前で気取らない。痛いと思えば痛いという。
5生老病死のうち、生きることがつらいと思えば何事も乗り越えられる。
6命に期限をつけづ、先の先まで計画を立てる。
7同病の医師を探す。
8看護師を懐柔し医者の弱みを握る。
9「ご臨終」と医者がいえば、死んだふりをする。
10希望を捨てず。新しい希望を創る

緩和ケアでの患者のあり方
3つのH ヘッド、ハート、ハンド、で意思表示ができるようになるといい。
又辞世の句を残すのも一つの方法

目でありがとう      手でありがとう     合掌でありがとう
口でありがとう      心でありがとう     体でありがとう
と表現できるようにする

家族で家で看取るには苦しいけれどユーモアの心が必要。
又、他人は何でも言う、なんで入院させないのか病院に入院させればもっと生きられたのにとか、あの医者はだめとか色々言われるが家族の意思、決断の強さが必要である、当然本人の意思が強いのが大前提であるが。本人の強い意志、家族の強い意思がないと家庭での看取りは難しい。

ホスピスの目標
 痛みの消失が維持され
   平常の生活に近づく。・・・これが理想であるが平常生活が思い出せる段階に維持できることが目標である。       
 家族で看取ることは、家族で看取ると患者が食欲がなくなり、点滴を進めるが患者は拒否する、そういった軋轢も孫が頼めば点滴を了解する。子供がかえってくれば元気になる。とか家族が入り混じることで患者も元気を取り戻すことができる。家庭で看取れば患者への愛情が目いっぱい尽くせる。臨終のときも第三者がいないので抱きついて号泣することもできるのである。

 家庭で緩和ケアをしていくには時には家族が看護師であり、医師であることもしなければならない。点滴は500mlでも100k㌍しかないのでできるだけ自分で食事ができるのが一番いいのである。生きる上でも家庭で緩和ケアすることは子供、孫、にとっても看取っていく体験は大事なことである。最後に患者の全人生を肯定して看取る姿勢が看護・緩和ケアの王道である。


わが国の課題(危機管理)

2004-10-15 22:53:13 | 講演
 現代のわが国風土は604年に制定された聖徳太子の17条の憲法を踏襲している。1条の和を持って尊しとする。17条の独断はしてはいけない。1400年たってもこの基調が続いている。進歩がないといえばそれまでだが実は、マッカサーが占領後二度と独裁国家を作れないよう憲法と内閣法で規制したままなのである。憲法は9条は衆知のことであり、内閣法は総理大臣は衆・参議員の解散権と大臣の任命権があるのみで閣議の決定権もないただの司会者で各大臣全員の賛成がないと閣議は決定しない(満場一致)。どうしても閣議決定しようとすると罷免し総理が代理の大臣となり閣議決定しないとできないのである。

 わが国は危機管理の体制が整備されていない、たとえば、警察の権限は知事に、消防は各市町村長に医療は医師にゆだねられるなどまちまちとなっている。

 阪神淡路大震災のときも政府は6時間後に動くなど遅く、またどこが指揮命令するか統一が取れていない。ヘリコプター所有台数は世界で3番目の国だが民間機が2000台弱あるも航空法で地震時の時は航空はしてはいけないことになって居り。救助活動ができなく多くの人が死んだ。医師も「とりあえずドクター制」で黒は死んだ人、赤は重傷者、黄色は入院治療者、緑は軽傷で包帯を巻けばよい人、と分類をして一人を助けるより10人を助けようという精神で動けるようには法体系ができていないから縦割り医療となっているといわれている。
 
 わが国外交の4つの課題といわれているのは、北方領土、北朝鮮との国交樹立、国連常任理事国入り、沖縄返還であったが、沖縄返還はできたが他はできていない。日本は戦後復興のため経済ばかりが強調され経済大国とはなったが、外交、防衛、治安、防疫といった危機管理の整備は進んでいない。たとえば領空侵犯があっても自衛隊は発砲できない、領海侵犯があっても海上保安庁の取り締まり船は発砲できないよう法律はなっている。したがって尖閣列島に中国人が上陸しても「立ち退け」と拡声器で呼びかけるしかできないのであり武力で立ち退かせることができないのである。
 
 外交にしても、9.11のテロでアメリカは国内を重点にした軍事態勢を引くため、海外の米軍基地を縮小する計画を持っており日本としては基地返還を交渉する絶好の時期なのに外務省は何もしていない。やっているのは石原都知事が横田基地を民間併用交渉や尖閣列島は沖縄返還時日本の固有領土であることを米国に再交渉に行ったり、池子弾薬庫問題で神奈川県知事が直接米国と交渉し改善したりしているが本来外務省が行うべきなのに外務省何もやっていない。

 防疫にしても、鳥インフルエンザでも鳥の死骸は保健所、病気は農林省とか縦割りで右往左往して25千羽も死なせてしまい。養鶏業者の自殺者までも出たのである。

 サリン対策。細菌テロ対策など国際保健機構で天然痘は撲滅されたことになっているが、米国とソ連が、今後の研究材料として世界で二国間だけ菌を保管していたがソ連の解体で天然痘菌が流出しテロ集団に渡れば3から4日で100万人が死亡するといった武器になる。米国では軍隊・警察・消防の職員を優先し予防接種をしているというのに日本は何もしていないという。
 
 治安にしても一昔前は検挙率が60から80パーセントもあったのが20パーセント台に低下しています。

 この3年間は総選挙がない黄金の3年間でありぜひともそういった国民の生命財産を守る危機管理の法体制をぜひに確立してもらいたし、テロの発生や犯罪の発生の多い時世に憲法改正を含めた改正が必要であると。聖徳太子の17条の憲法や明治憲法の万機公論に徹するといった農耕型の考えでなく、危機が発生したときは狩猟型の上意下達で一気に命じる体制が必要になってきているのである。そうさせていきたいと講師の佐々淳行さんは述べていた。

風呂敷の正体

2004-10-02 18:01:09 | 講演
今日数学者の秋山仁先生の話を聞いた。先生は8年前から網走の廃校を活用し数学ワンダーラウンドを創設し年間1万人の人が見学に来ているとのこと。

 12面体の体積の出し方は難しく考えるのでなく、いかにみやすく計算できるかを考えるのが数学の極意といわれた。これは直方体になるので体積の計算は簡単にできるのである。

 昨年はは風呂敷がなぜ正方形なのかに挑戦した。10c㎡の多面体でつくった立方体でどの立方体が一番多くのものを包めるか実験したところ六面体以下では6とおり~3通りと包み方が出来るが七面体より上は百面体でも百一面体でも一つ次は2つ次は一つ次は二つの繰り返ししかないのが定理であるといわれた。そういった実験の中で正方形をした形が一番ものを包みやすいということが言えることが分かったといわれた。

 今年は座布団は何面体で作ることが出来るのかを実験したが七面体以上は絶対包めないことが証明できた。いずれにしても数学に興味を持って、なぜという気持ちを持つことが重要であることが良くわかった。

 今日は第1回まちと大学サミットが開催された。北は秋田の本庄市、南は熊本、ほか八王子、山梨の都留市、岐阜市、庄原市などからも参加して意見交換、事例発表が行われたのであるがいかに大学を活用しまちを活性化するかに目的が置かれている。大学も独立行政法人として自らの収入を得る途を考える必要があり地方の衰退化の阻止のためにいかに役立てるかが問われている。学生には迷惑な問題かも知れない。しかし産学共同開発など成果が出ているのも事実である。これからはサービス産業等においても大学との共同イベントなどを通じて、あるいはいろいろな知恵を相互に出し合い何らかの成果を出していきたい願望がサミットに集まった人たちにはあるのでないか?。学生も学ぶことは多いといえるが、学生にもメリットを出せるようアプローチを忘れてはいけないと思えるのである。