霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

本刈谷貝塚

2010-03-31 17:07:51 | 歴史/古文書
 本刈谷神社の境内にこの記念碑があります。このあたりはずいぶん海岸から離れた陸地ですが太古は海岸沿いであった証です。

 昭和44年にこの境内から西隣あたりが発掘されその発掘品は刈谷歴史資料館に陳列されていました。

 鉢、カメの土器はもとより骨格貝製品や少し変わった品も発掘出土されていました。そういったものの一部は県の指定文化財になっているそうです。

ブルーベリー

2010-03-31 16:26:30 | Weblog
ラビットアイ系のブルーベリーか゛テイフブルーの一本のみです。実を着けるためには同系ブルーベリーが必要なのはです。ホームセンターへ行きウッタードを買いガルデンに植え付けました。今年はブルーベリーは期待出きるかな!?

刈谷古城

2010-03-29 16:49:38 | 歴史/古文書
 海会寺を南へ15分も歩くと暑くて汗がいっぱい出ます。しかし自転車でもなく歩きですので無駄な歩きをすると消耗しますので地図を見ながら南下です。

 地図ではこのあたりだと思うのですが、近くにそのような案内板は見つからないのです。念のためそのあたりをぐるっと回ってみましたが古城らしきものは見当たりません。写真を撮ったのもこのあたりだろうと推測して取ったものです。

 刈谷古城逢妻川の西岸に居(城)を持っている水野貞守が刈谷に進出し文明8年(1476)頃築城したといわれています。貞守の後竪正、清忠と支配しましたが忠正のときに今の刈谷守城を築いたのでここは廃城となっています。

刈谷市観光パンフレット参照

桃満開

2010-03-28 18:01:00 | Weblog
桃のはなか゛満開となりました。桜も八分咲きで徳佐八幡宮のしだれ桜のトンネルもきれいに見えます。ガルデンでは土づくりです。里芋の種を津和野のとなり町で買いました。植え付けはもう少しあとになります。

海会寺

2010-03-28 16:40:48 | 歴史/古文書
 専光寺を出て西へ少し行くとこのお寺があります。小川沿いを少し坂道を登るとこのお寺につきますが。誰も人の気配がしません。ひよっとすると無住のお寺かもしれません。

 ここも創建年代は不詳とのことですが室町時代の応永年間に(1394~1427)遠州浜松の和尚がここに逗留し、そのときこのお寺に和尚が帰依して曹洞宗に宗旨を変えたとのことです。それまでは天台宗か真言宗であったとのことです。

 本尊の聖観音菩薩像は平安末から鎌倉頃の作だといわれていまして県の有形文化財に指定されているとのことでした。

専光寺(刈谷市)

2010-03-27 16:05:29 | 歴史/古文書
 真宗大谷派のお寺でした。寺伝では創建年月は不詳とのことです。元は天台宗であったのですが室町時代に蓮如上人が当地を訪れた際に宗旨を変えたとのことです。「往生要集」「美濃国鍛冶系図」は県指定文化財他に市の指定文化財も3点あり写真の楠の大木も市の指定文化財となっています。樹齢は何百年といえるほど幹周りは大きくでっかいクスの木でした。

十念寺(刈谷市)

2010-03-26 15:31:34 | 歴史/古文書
 宍戸弥四郎生誕地からすぐに、このお寺があります。刈谷市駅からも近いです。浄土宗のお寺で阿弥陀如来像を本尊としています。元禄15年(1702)阿部伊予の守正春が刈谷に転封の際寄進された十一面観世音菩薩立像は市の指定文化財となっています。
境内には延享4年(1747)に刈谷に転封してきた土井家の廟所があります。写真奥がそうです。
   この写真は天誅組総裁 松本ケイ全の墓です。

宍戸弥四郎生誕地

2010-03-25 15:21:27 | 歴史/古文書
 秋葉神社を商店街どおりを南へ下っていくと2キロぐらいのところにこの石碑があります。ここに宍戸弥四郎が1833年天保4年1月14日に生まれ嘉永6年江戸藩邸に仕え、山鹿流の兵法を学んだ。

 安政3年国に帰り小姓となり10月には山鹿流練兵世話係を命ぜられた。

 安政3年に職を辞し関東各地を歴遊し、勤皇の志士と交わった。父が危篤のとき江戸から3日で帰り葬列に参列したいといわれている。文久3年天誅組に入り戦死している。