霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

クラインガルテン記9

2007-08-30 21:35:38 | 園芸
 25日、26日とクラインガルテンに宿泊し26日朝5時に起き、涼しいうちに畑を耕したのですが、ブト(他の地方ではブヨともいう)に目の上まぶたに2箇所も刺され、一時間後には番町皿屋敷の「お岩」のような顔に腫れあがった。

 今日は腫れも引かないので朝すぐに医者に行くがいつもの「かかりつけ医」は休日表示がしてありセカンドオピニオンの医院に行く。かゆみや湿疹に効く飲み薬をもらい今飲んでいるところであるが、自然をなめると飛んだ災となることがよく分かりました。万全の対策を採って畑仕事はすべきですね。

 「災害は忘れたころにやって来る」と高知出身の理学博士・寺田虎彦の弁です。

190827

なす

2007-08-29 21:26:29 | 園芸
 クラインガルテンで26日/日曜日にナスが10本も収穫できた。義兄や叔母におすそ分けをしました。収穫の中には写真のようなグローブ型のナスもできとても面白く楽しいです。人の手のように指が5本あるように見えます、いや実際に5本あるのです。記念に写真にとっておきました。

トンボ

2007-08-28 21:21:58 | 園芸
 クラインガルテンの畑の中でトンボが蝶を採り食べているのである。トンボはそういった生き物をとって食べているのを目の当たりにしたことは少年期には体験したことがあったがこの時代に見たのは改めて感動した。

 人間は加工された食品を食べているが、自然は生き物を自らの手で殺して食べ生命を維持しているのである。その生に対する厳しさ尊厳を人間はややもすると忘れてしまうのである。生きることの本当の厳しさをトンボは教えているようである。

(生きると言うことは他の生物を殺して生きることである。)

田舎へのUターン

2007-08-27 21:13:50 | 随想
 最近は田舎暮らしが団塊の世代のリタイアもあってひそかなブームのようでもある。この要因としては小泉内閣で顕著になった構造改革が進展するほど規制緩和が進みアメリカ型社会・弱肉強食型社会というギシギシした社会となってきているようだ。職場でも勝ち組、負け組みといった色分けが段々目に付くようになってきている。正社員、契約社員、パート、いろいろな層の人が働いているが同一労働同一賃金といえない状況もある。格差が見られるのである。

 弱肉強食の競争社会よりも年功序列の日本型経営もまんざら悪くはないのではと思うのである。高度経済成長を遂げたのも日本型経営の寄与があったのではないか日本型経営のよさまで捨て去りたくはないものだ。

 話はさかのぼるが江戸時代の長屋の生活では「八さん」「熊さん」と気楽に呼び合いながら貧しいけれど決して貧困生活ではない心の豊かさがあっといえるのではないか、明治初期の外国の外交官は日本の伝統の助け合い、分限者は困っている人に援助したりし人間は平等であるといった社会風景を見て外国のシステムを入れて壊したくないと云ったそうだ。

 今田舎暮らしが増えているのはこの弱肉強食の社会からポット抜け出てひと時の安らぎを求め、生気を取り戻してまた都会に帰るといった週末の田舎暮らしが楽しまれているのではないか。これからの時代は地球環境を大切にしながら自然と接する人間の原点が求められているといえよう。

週末田舎暮らし

2007-08-26 15:26:21 | 随想
 週末田舎暮らしのメリットは空気が冷たくておいしいのである。夜は星空がキラキラ輝いて綺麗である。近くに山が迫っていて山の起伏を感じながら寝ることができる。といった癒しの効果があることである。

 最近仕事の部署が変わりまだ仕事を覚えきれなくて若い人から印がもれているとかチエックもれとか指摘を受けて直しながら仕事をやっている。

 仕事がまだ飲み込めず時間が空いているときは仕事の進め方の書類を読み理解を深めている。昔のように持ち帰りができないので仕事を習得するにも時間が掛り、自分でも困っているができるだけ時間を作り仕事の手順書を読んで行き理解しこなしていくしかないであろう。分からないことは若い人に教えて貰う。今は老いては若者に従えと堪忍するときであろう。あわてず、あせらず、じっくりと正確にやることが大事でしょう。堪忍・・・堪忍である。

旧山口電信局舎

2007-08-25 20:36:13 | 歴史/古文書
 時々通勤途上に見かけているのであるが近代化遺産に出会うのである。これは県登録文化財である。今は民間人が居住中である。

 明治6年4月建築と134年前の建物である。

 山口下関間の電信に使われていた。

 明治10年西南の役のとき前原一誠を中心とした萩の乱の残党が呼応することを防ぐため西南の役の前線情報を県当局が収集して対処したという電信の歴史を秘めた洋館である。

じゃがいも

2007-08-24 14:59:34 | 随想
 昨日は、道の駅に行き売れ残っていたジャガイモを買い、ガルテンに苦土石灰を撒いて堆肥をひいてその芋を植え付けしておいた。

 ジャガイモはジャワ島から日本に1600年前後にオランダ人から長崎に持ち込まれて広がった。ジャワから来たのでその名前になっているが原産地は南米のアンデス山脈に沿ったペルーやコロンビア近辺が原産地である。荒廃地でもよく育つので便利な植物である。本当は芽が出始めてから植えるのが一番よく少しおいてから植えるといいのであるが休日の関係で昨日買ってすぐに植えました。

 今日はスイミングです約2週間ぶりでしたがプールが変わっていました水温も低くまた飛び込み台も低くなっていてわれわれは大変使いやすいように改修していただいた。うれしい限りである。2週間ぶりでやや不安であったが1000m泳いだ。そして1000水中ウオーキングができてほっとして帰るところです。まだ気温は36度と猛暑が続いています。クーラーなしで絶えていますが、我慢我慢の暮らしです。

190819

小さな戦争展

2007-08-23 09:51:24 | 交流/講演
 近くの某テレビ局で戦時中に生後間もない子供に向けて軍事郵便葉書で近況や家族・親類の人々を気遣うハガキによる音信をしていた人がいて、その遺族からハガキの展示会があった。

 この人は東部ニューギニアの離島ニューブリテン島ツルブに出征しそこからハガキに鳥や動物あるいは捕虜の姿などの挿絵をハガキに書いて○○チャン新聞と名をつけてフイリッピンからの44通を含め都合143通ものハガキを出している。

 子供の成長や今は○○チャンは言葉を話すようになっただろうかとかよい子に育っているかとか親が子の成長を楽しみにまた自愛に満ちたはがきの内容である。

 武運つたなく戦死され愛児には二度と会えなかった。ほかにも戦時中に使われた筆記用具や写真や陸軍病院の絵とか子供の書いた当時の巻き絵など数多く展示されているが。2度とこんな戦争は起きて欲しくないものである。

金子みすず記念館

2007-08-22 18:53:28 | 人生・文学
 明治36年仙崎に生まれ先崎書学校に入るその後大津高女を2番の成績で卒業し答辞も読んでいる。

 20歳過ぎまでこの仙崎に住んでいた。20歳のころからペンネーム「みすず」を使って童謡詩を雑誌に投稿し西条八十氏に「若き童謡詩人の巨星」といわれ期待されていた。

 梅毒で26歳の若さで夭折したがその童謡や詩のモチーフは宇宙と対話をしているような広大な詩と自然にやさしい、また当然人にもやさしい詩を読んでいる。

 没後50年以上を経て矢崎節夫氏によって遺稿集を発掘されこの世にデビューした古くて新しい詩人である。

みすずの部屋

2007-08-21 20:54:42 | 人生・文学
 天才童謡詩人金子みすずの部屋、みすずの実家跡に、みすずが20歳過ぎまで住んでいた実家の書店「金子文英堂」を再現している。

 この写真は2階の通りに面した部屋でみすずが通りを見ながら本を読んだり勉強した部屋である。

 小さな鏡台や小さい机が印象的です。みすず記念館にはみすずの足跡とみすず直筆の詩集が展示されている。私は直筆の展示童謡詩を全部読んで非常に満足した気持ちでした。