霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

09大晦日

2009-12-31 17:16:57 | 健康
 朝目覚めてみると、なんと写真のように積雪がありました。中央公園に歩いていってこの写真を採りました。

 山口市では3センチの積雪でありましたが、県北の阿東町徳佐では10センチ積雪があったようです。31日の夜にはまた20センチの積雪が県北のほうではあるとの予報です。
公園の新雪にはもう元気な子供たちの足跡がついていました。親子で雪だるまを作る人、子供たちどうして雪だるまを作っている光景などがお昼ごろには見られました。

朝の10時前でしたかまだこのように車のうえにも新雪が積もっていました。寒い大晦日となりました。

聖運寺のイブキ

2009-12-31 11:57:44 | 歴史/古文書
 このイブキは別名シンパクといいます。樹齢は書いてないですが200~300年はあるのではないかと観察したところ思えます。樹高は高く15m、根回り4.1m、胸高囲2.45mと解説板には書いてあります。

 お寺にはイブキを植えるのが多いですね。この跡自転車で天満宮や追羽門跡を探訪して西尾城祉に向かいました。

スイミングぅ~091225

2009-12-30 15:06:22 | 健康
 先週の金曜日25日に朝からスイミングに行きました最近は久しぶりが多くいけないのですが一通り1000mのスイミングと1000mのウーキングをこなしてきました。

 どうしてもプールの水で鼻水が出るのですが呼吸方法を変えてチャレンジしていくつもりです。 通算134キロ進みました。

聖運寺

2009-12-30 11:44:40 | 歴史/古文書
 これも西尾市の中町どおりで縁心寺のとなりにあります。山門の構えが大きく境内も大きいお寺です。

 元は城内八幡宮六坊の一つであった宝光坊であったのですが慶長8年(1603)聖運寺と改称しています。一時期は米津というところに移った時もあるそうです。

 本堂は嘉永元年(1848)に建立、山門は大正8年に現在の中町通りに面したところに造られました。それまでは裏の天神どおりにあったそうです。どうりで山門は新しいのですね。

 

勝山寺

2009-12-29 09:59:11 | 歴史/古文書
 このお寺は愛知県西尾市瓦町にあります。真言宗のお寺です。特に特徴といったものはないのですが本堂裏にある抱き大師は抱えたときの軽重の感覚で軽く感じれば吉で願いが叶うといわれている。・・・・確かに重たいとマイナスに感じるより軽いとプラスに感じる人が何事も前向きに動くので願いも叶うのですね。

 また節分には護摩の焚かれる中で豆まきがあり厄除け効果が大きいと男女の参詣が多いといわれているそうです。上町森下にあったのを寛延元年(1748)西尾城主三浦義理がここに仮堂を建てたことから寺院となったとのこと。

 西尾市を自転車で探訪していますがあまり観光客には出く合わせしないです、観光客は私一人とさびしい限りでした。次の観光地に向け自転車で乗ってブラりです。

旧瑠璃光寺跡2

2009-12-28 18:35:06 | 歴史/古文書
 瑠璃光寺というお寺は元は安養寺という名の寺であったのです。創建は文明3年(1472)になります。この所から約1.5キロ南の山口よりのところ小高野地区にあったのです。

 菩提されている人は陶氏6代弘房という人物です。弘房が応仁の乱で戦死したためその妻が創建したのです。

 なぜこの仁保地区に建てたかというのが不思議なことです。陶氏の本拠地は周南市富田であるし、そこには歴代の菩提寺もあるはずです。普通は富田に葬るはずです。

 なぜかの理由のひとつは陶弘房の夫人は仁保氏13代盛郷の次女であったからではないかと思います。未亡人となった夫人は実家の仁保に夫の菩提寺を建てたのではないかと思われます。

 その夫の25回忌のときにこの地に移し夫の法名をお寺の名に変えたのです。ここには初代開基の住職から20代までの住職のお墓が残っています。21代以降の住職のお墓は今の瑠璃光寺にあるそうです。

しめ縄作り

2009-12-27 21:18:26 | Weblog
地域交流センターでしめ縄作りがありました。30人ぐらいの参加でした。はじめてのしめ縄作りはなかなか難しく、またおもしろい、手作業でした。しめ縄はなんとか二個作りました。出来はつたなくも自汗はみごといる。

旧瑠璃光寺跡

2009-12-27 18:33:01 | 歴史/古文書
 いつかは行って見たいと思っていたのですが先日曜日(27日)に一人で探しながら行ってきました。

 もう境内はどこにあるのか分からないのですが寺の周辺に墓地や寺領の跡のようなかたちが見受けられました。

 探して開山他の住職らの墓を見つけたらそこが瑠璃光寺の跡地でした。跡地には瑠璃光寺の五重塔のミニチュアが建てられていました。

 思わず笑ってしまいました。何で瑠璃光寺の五重塔があるのです。五重塔は香積寺(こうしゃくじ)の五重塔なのです。

和歌の碑

2009-12-26 12:01:50 | 歴史/古文書
 禅昌寺境内は春のまっさかりのなかでいろいろな花が咲き誇っています。

 また禅昌寺川が奥の院から参道を伝わり萩往還道近くまで続いていて水音の絶えない静かな境内があります。そういった環境でのできた歌なのでしょう。

「参りきて 心澄みゆく 禅昌寺
            木のま 明るき 玉の水音」
                         作 赤松老翁

と静寂感のある落ち着いたいい寺でした。一度は参詣してみるとよいと思います。