霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

泉涌寺楊貴妃観音堂

2012-02-29 13:10:18 | 歴史/古文書


 かの絶世の美女といわれる楊貴妃観音が建長7年(1255)に湛海律師により請来されたのが始まり、女性は美人になるといわれ男性は美人と出会うといわれまた良縁にも恵まれると名高い観音様です旅の終わりはいいことを拝んで終わりましたうれしい日日でした。

御座所庭園

2012-02-26 13:04:15 | 歴史/古文書

この庭園は皇太子の間と玉座の間の前にあります。今上天皇はすでに4回訪れされているとか、特にこれからは紅葉が美しくなるとのことであった。玉座は一人しか座れないので今は使わず皇后も一緒にテーブルと椅子によってここで安らいでいただいているとのお話でした。

 また奥には海会堂といって土蔵造りの殿舎があります。御所の御黒戸を移築したものです。そこには歴代天皇の持仏が祭ってある、今も皇族の方が巡拝されているそうです。また廊下には古文書も展示されていました。御座所内は撮影禁止となっていました。

泉涌寺本坊と御座所

2012-02-24 12:56:58 | 歴史/古文書
この御座所は明治17年に御所内にあった文化15年(1818)上棟の御里御殿が移築されたものである。

 御座所内は撮影禁止。柱の各所に菊の紋の鉤隠しがつけられている。16枚の花弁は皇室のものである。女中の間、侍従の間などを通って庭に通じるのであるが襖絵は烈女伝の絵や女性のきれいな絵もある。禅寺に女性の絵の襖絵はないのであるが御所の建物什器一切を移転したためそのようなことになっているとのこと。

泉涌寺仏殿

2012-02-22 12:53:07 | 歴史/古文書
仏殿とは本堂のこと、応仁の乱で焼失していたが再建。総ケヤキづくりである。柱はすべて原木を4分の一に切り、樹木の芯は用材として弱く材木の芯は使われていない堅固な作りである。寛文8年(1668)に徳川家綱によって再建されている。中に入ると天井の高い仏殿である。

 殿内撮影禁止。お坊さんの説明があった。天井には大きな幡龍図がある、大きさ畳8畳、高さはビルの4階、年に1度は白衣観音像がその幡竜図の前からたらされ壮大さが感じられるとのこと、写真で見る。正面には伝運慶作の三尊仏があるが阿弥陀は写真が飾ってある、これは今文化庁で文化財調査のため持ち出されているとのこと。真ん中には釈迦、その右は弥勒仏が安置され現在、過去、未来の幸福を祈り永遠の平和を願っているとのこと三尊とも本尊であるとの説明であった。

 天井の木組み・組木が白く見えるのは貝入りの白い塗料が塗られているとのことこれは蜘蛛除けのためであると昔の人の知恵が入っているのであった。

泉涌寺下り参道

2012-02-20 12:50:39 | 歴史/古文書

御寺の大門をくぐるとびっくり参道が下り坂なのである。普通は寺社が山の裾にあるのでのぼりの参道である。地形的に必然的なものであるがここは下り坂しかも比較的急な坂である仏殿がこんなに下に見えるのである。

 順徳天皇の時代(1219)に泉涌寺と寺号を改正している。開山とされる月輪大師が宋の法式を取り入れ大伽藍を作り始め1226年に大伽藍が完成したと述べられている。