仏殿とは本堂のこと、応仁の乱で焼失していたが再建。総ケヤキづくりである。柱はすべて原木を4分の一に切り、樹木の芯は用材として弱く材木の芯は使われていない堅固な作りである。寛文8年(1668)に徳川家綱によって再建されている。中に入ると天井の高い仏殿である。
殿内撮影禁止。お坊さんの説明があった。天井には大きな幡龍図がある、大きさ畳8畳、高さはビルの4階、年に1度は白衣観音像がその幡竜図の前からたらされ壮大さが感じられるとのこと、写真で見る。正面には伝運慶作の三尊仏があるが阿弥陀は写真が飾ってある、これは今文化庁で文化財調査のため持ち出されているとのこと。真ん中には釈迦、その右は弥勒仏が安置され現在、過去、未来の幸福を祈り永遠の平和を願っているとのこと三尊とも本尊であるとの説明であった。
天井の木組み・組木が白く見えるのは貝入りの白い塗料が塗られているとのことこれは蜘蛛除けのためであると昔の人の知恵が入っているのであった。
殿内撮影禁止。お坊さんの説明があった。天井には大きな幡龍図がある、大きさ畳8畳、高さはビルの4階、年に1度は白衣観音像がその幡竜図の前からたらされ壮大さが感じられるとのこと、写真で見る。正面には伝運慶作の三尊仏があるが阿弥陀は写真が飾ってある、これは今文化庁で文化財調査のため持ち出されているとのこと。真ん中には釈迦、その右は弥勒仏が安置され現在、過去、未来の幸福を祈り永遠の平和を願っているとのこと三尊とも本尊であるとの説明であった。
天井の木組み・組木が白く見えるのは貝入りの白い塗料が塗られているとのことこれは蜘蛛除けのためであると昔の人の知恵が入っているのであった。