霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

豊橋公会堂へ

2010-05-31 16:26:34 | 歴史/古文書
 先ずは、観光案内所に行こうと看板を見ながら探すのですが矢印の方向には一向にないのです。駅を出て向こう側のビルにいくもそれらしき物はないのです。東の新しいビルがそれかなと行くもありません。

 もう一度駅に戻りお店の人に聞くとなんと新幹線乗降口のほうにあるとのことでした。ようやく見つけて豊橋市の地図や観光案内パンフレットをもらい路面電車に乗って出発進行です。観光案内所の女性は親切にいろいろ教えてくださいました。

 最初に下りたところは豊橋市役所前です。ここには大きな公会堂がありました。豊橋公会堂です。

豊橋と二川散策

2010-05-30 16:16:16 | 歴史/古文書
 1月という寒空のもと名鉄電車の特急に乗り入り一路豊橋駅に向けて出発しました。豊橋探訪を行うためにです。

 豊橋は愛知県第二の都市といわれ人口は約38万人と多く自動車関連産業でにぎわっています。といっておきましょう。というのもこのあたりはリーマンブラザース破綻のショックのことをトヨタショックといっています。それだけトヨタ社の売り上げがこの地域でもダウンしたのでしょう。今はややかげりが出ているのです。豊橋駅は新幹線と在来線と名古屋鉄道本線と田原が終点の渥美線との乗換駅で混雑しています。

 写真は豊橋駅前の風景です。

信光明寺観音堂

2010-05-26 10:13:20 | 歴史/古文書
この観音堂は文明10年(1471)に松平信光によって建立されています。棟札あり。信光明寺は信光が初代親氏、2代泰親の菩提を弔うために宝徳3年(1451)この地に建立し、自己の名を寺名につけている。
入母屋造りのこけら葺き、斗組や垂木、花頭窓、桟唐戸など唐様式を備えたものでこの岡崎ではここが一番古いものです。
本尊は芭蕉天神が祭られているそうです。
信光明寺についての説明板です。

岸津城祉

2010-05-24 09:52:26 | 歴史/古文書
 岸津天満宮の前の東名高速道路を渡るとすぐ右手の小高い山が岸津城址です。岡崎観光文化百選によれば、ここ信光明寺(しんこうみょうじ)の裏手の丘は第3代信光が築いた城でこのちほうの勢力を伸ばす基点として活用した城である。この城の眼下、円福寺より南にかけて、信光は母の菩提を弔うため、妙心寺を建てましたが1503年、今川氏の武将、北条早雲の兵火に焼かれてしまいましたと書かれていました。

 しかしこの丘は私有地となっていまして勝手に入ることはできず。その雰囲気だけを写真にとっておきました。

岸津天満宮

2010-05-23 08:06:21 | 歴史/古文書
 松平2代泰親と初代の次子信光は岡崎市の岩津を買い得して出て行きました。初代の長子信広は片足を戦で痛め、松平郷に止まり松平太郎左衛門家としてこの地で幕末まで続いたのです。一方信光は松平宗家となって発展をしていき家康など一傑が生まれ出たのです。

 その信光が開基となって岸津に信光明寺を建てました。この天満宮は宝暦9年(1759)信光明寺の守り神として第22世一誉上人の発願で建立されたのであった。

 明治の神仏分離により信光明寺所管が離れたのです。明治12年火災で焼失し明治44年に再建されました。1月ですので全国統一試験前でしたので名古屋や静岡からの参拝者もありました。