この寺院は足助町にあります。香嵐渓の川のふちから階段を上っていくと、このような立派なお寺にたどり着くのです。階段数は150段近くあったような記憶です。
応永34年(1427)滅亡した足助氏の菩提寺として、足助氏の居館でもあった飯盛山城にの建立したのです。開基は関白二条良基と成瀬三吉丸(足助重範の孫)(犬山城成瀬家の祖)である。開山は白峰祥瑞禅師です。山門横には飯盛山城当時の土塁が残っていてそれがお寺の塀代わりをしていました。かっては学林として100名ぐらいの雲水が住んでいたと観光案内板に書かれています。
11代参栄禅師が楓を真下の巴川沿岸に植えて今日の香嵐渓がもみじで有名になった由縁です。
25代風外禅師の有名な絵もここに保存されているとのことですが見られませんでした。
応永34年(1427)滅亡した足助氏の菩提寺として、足助氏の居館でもあった飯盛山城にの建立したのです。開基は関白二条良基と成瀬三吉丸(足助重範の孫)(犬山城成瀬家の祖)である。開山は白峰祥瑞禅師です。山門横には飯盛山城当時の土塁が残っていてそれがお寺の塀代わりをしていました。かっては学林として100名ぐらいの雲水が住んでいたと観光案内板に書かれています。
11代参栄禅師が楓を真下の巴川沿岸に植えて今日の香嵐渓がもみじで有名になった由縁です。
25代風外禅師の有名な絵もここに保存されているとのことですが見られませんでした。