霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

豊橋駅

2010-06-30 13:15:28 | 歴史/古文書
 この豊橋市は人口約38万人と愛知県第2に都市です。駅前は比較的綺麗になっています。

 豊橋で有名なのは幕末、民衆運動で「ええじゃないか」「ええじゃないか」のお札が最初に降った場所といわれています。牟呂八幡社にそのお札を貼ったといういわれがあります。

              

豊橋鉄道市内電車

2010-06-29 13:06:14 | 歴史/古文書
 豊橋市内を探訪するには観光案内所の若い女性の話しでは市内電車がいいそうです。「行き先はどれに乗ればいいんですか?」と尋ねると「行き先は一つしかありませんのでどれでも乗っていただいていい」とのことでした。

 電車はすでに役割を終えたものが第二の仕事場として活躍してます。ちなみのこの乗車した電車は780形といって名古屋鉄道岐阜市内線・揖斐線で活躍していた車両でした。私も何度が乗っているので懐かしさを覚えました。

安住熊野社

2010-06-28 12:50:51 | 歴史/古文書
 この神社はコンクリート造りでした。しかし歴史は古く今から974年前の1136年(保延2年)の創建されています。この神社の面白さは魚売買の口銭を取って社の修繕費に当てていたというのです。

 したがってこのあたりに最近まで豊橋魚市場があったそうです。また街の町名に魚町というのも近くにあります。漁船の安全祈願もしているとのことで漁業に関する神様なんですね。

 ここにはほかに室町時代の能面や狂言・能装束が保管されています。幕末に藩主から譲られて保管されているとのことです。神社前の案内板にそのことが書かれていました。

駅構内の観光案内所にもここの能面が飾られていました。

ちくわ・カマボコの店

2010-06-27 11:50:30 | 歴史/古文書
 吉田宿の魚町にある昔からある豊橋名物ちくわ屋さんです。その前を通るとランチセット1500円とかの紙が張ってあるのです。

 戸をあけて入りランチありますかと聞くとそれは豊橋駅前の系列店のことですのでここではありませんと、説明されがっくりしました。

 この店で一番よく売れているちくわを購入していきました。江戸時代からの老舗ということです。

吉田宿本陣跡

2010-06-26 11:42:12 | 歴史/古文書
 吉田宿の本陣跡です。ここは札木町という場所です。ここに「清須屋」東隣りに「江戸屋」という本陣があったのです。本陣は大名、幕府役人、公家、宮家など身分の高い人の宿泊施設でした。吉田宿の中心地で本陣2軒、脇本陣1軒、問屋場1か所、65軒の旅籠があったそうです。当時の総人口は5277人、男2505人、女2772人と女が多いのです。飯盛り女がいたからでしょう。

吉田宿問屋場跡

2010-06-25 11:15:13 | 歴史/古文書
 江戸時代、主要な宿場町には公用荷物の継ぎ立てを第一の目的として問屋場(とんやば)が設置されていたのです。この問屋は宿駅として人足100人、馬100匹をそなえていたとのことです。街道の集落に問屋(とんや)という家が良くあります。それはこういった機能を持っていたのでしょう。