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霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

定年後8万時間

2009-12-01 17:52:31 | 人生・文学
 定年後の生活ですが、朝6時に起床して20時まで活動しますと一日14時間のなります。休息日をとると年間300日となります。20年間生きると仮定した場合8万4千時間もあります。サラリーマンで勤めた時間が10万3千時間ですのでそう遜色ないのです。

 1、定年後再就職をして引き続き10年間勤務し年老いてやめて余生を送る・・・2期作型

 2、定年後すぐから趣味の打ち込み余生を送る・・・濡れ落ち葉型

 3、定年後自分の好きな生業(なりわい)を始め打ち込んでいくいき方・・・2毛作型

 私は今3の2毛作型の人生を求めて楽園生活といいいますかクラインガルテン作りにまい進をしているのです。

 野菜と果物を自給自足して里山や自然と対話をしながら自らも自然の中の生き物と認識し畑を耕したり、虫と戯れたり、花と和んだりした生活を少しでもできればという思いは持っています。現実はどうなんでしょうか???

吉良町散策

2009-04-17 15:30:55 | 人生・文学
 昨秋の小春日和のある一日、名鉄西尾線に乗り吉良町めがけて切符を買いました。駅名で吉良と名が付いているのは吉良吉田しかなくおそらくここが吉良町の中心地だと思いその切符を買って飛び乗りました。

 30分も乗っていると吉良吉田駅に着きましたが、駅舎は小さく人の乗降も余りないのです。駅の改札の下で500円玉を拾ったので駅に届けたついでに吉良町に観光に来たのですがどこを周ればいいのでしょうかと尋ねると。

 駅員さんは「この駅ではなく一つ手前の上横須賀駅で降りるといい。一駅返られますか。もしくは自転車でも30分ぐらいでいけないこともないですよ。」といわれたので貸し自転車を借りていくことにした。

 駅の斜め前の食堂で住所氏名を記入して自転車を借りて乗るも方角が分からず北に行くべきを西に行ってしまいまた戻ってから北上した。

 北風が強く自転車はあおられてなかなか進まないときもありましたが何とか吉田町の観光スポットを巡りました。

 吉良吉田駅→尾崎士郎記念館→尾崎士郎誕生地→源徳寺→福泉寺→華蔵寺→花岳寺→岡山陣屋跡→黄金堤→白瀬隊長墓→瀬門神社→東条城址→藤波畷古戦場→伴五郎地蔵→大通院→小牧陣屋跡→上横須賀駅と一日中漕ぎ・歩き周りました。

 上横須賀駅で降りておればもっと楽に周れたのですが無鉄砲・無計画で行くというものはこういうものでしょう。

死別すること

2008-01-11 17:28:48 | 人生・文学
 久しぶりにラジオ深夜便を聞く。京都の某医師の話であったが、年を重ねるごとに人間は段々死に近づいていくのであるが死に方はいろいろ千差万別であるという。若くして急に死するもの、無念の死をするもの、大病して大迷惑をかけ死するもの、安楽死をするものとさまざまな死があるといっておられた。

 死はみんな怖いものである。人間、生をうけて20歳~24歳ぐらいが一番、生のピークであって死の怖さが強い時期である、それから徐々に怖さのピークが下っていき60歳を超えると段々死について考えるようになって行き、死生感も段々感じてくるのだそうだ。そういった年寄りが75歳代になると早くお迎ええが来てほしいといいながら医者には薬をくれとか栄養剤をくれとが生きることに執着する人が多いとのこと。しかも医療費をケチるとか言ってました。

 そういう早く死にたいという人ほど卒中寺とガン封じ寺に行ったり、ぽっくり寺に参ったりとお金は使う。医者では良い医療を受けてもケチるといっていました。

 人間はなかなか死にたいという人ほど生きることにこだわっているといえる。老いるとともに死に対する恐れは薄まっていき段々死に近づくのであって生きることにこだわることよりも自分の与えられた人生を精一杯生きることが大切で一生懸命生きることが安楽死につながると言っておられた。

 また死に際して介護してくれる嫁に感謝の言葉を述べて死を迎える習慣を常日頃からつけておくことが次世代の人のためにも大事な生き方であるとも言っておられた。

 肝に命じることではあるが常に【ありがとう】という言葉を使う習慣をこれからは着けないといけないなとつくづく感じるのである。

0071125

金子みすず記念館

2007-08-22 18:53:28 | 人生・文学
 明治36年仙崎に生まれ先崎書学校に入るその後大津高女を2番の成績で卒業し答辞も読んでいる。

 20歳過ぎまでこの仙崎に住んでいた。20歳のころからペンネーム「みすず」を使って童謡詩を雑誌に投稿し西条八十氏に「若き童謡詩人の巨星」といわれ期待されていた。

 梅毒で26歳の若さで夭折したがその童謡や詩のモチーフは宇宙と対話をしているような広大な詩と自然にやさしい、また当然人にもやさしい詩を読んでいる。

 没後50年以上を経て矢崎節夫氏によって遺稿集を発掘されこの世にデビューした古くて新しい詩人である。

みすずの部屋

2007-08-21 20:54:42 | 人生・文学
 天才童謡詩人金子みすずの部屋、みすずの実家跡に、みすずが20歳過ぎまで住んでいた実家の書店「金子文英堂」を再現している。

 この写真は2階の通りに面した部屋でみすずが通りを見ながら本を読んだり勉強した部屋である。

 小さな鏡台や小さい机が印象的です。みすず記念館にはみすずの足跡とみすず直筆の詩集が展示されている。私は直筆の展示童謡詩を全部読んで非常に満足した気持ちでした。

かぐや姫伝説

2007-06-06 08:29:30 | 人生・文学
 富士市には「かぐや姫」伝説がある。竹取物語ともいう。10世紀初頭のもの、作者不明、かな文学の祖であるが、各種説話と貴族社会の腐敗とを巧みに統一した風刺的な物語という。

 臨済宗中興の祖白隠禅師「無量寿禅寺草創記」の竹取の塚の存在が記されているという。また「東海道名所記」「東海道名所絵図」などや浮世絵にも紹介されているという。私は竹取物語を読んでいないので今度読んでみたいものである。

中也生誕記念日100年

2007-05-01 21:35:41 | 人生・文学
 今日は中也生誕記念日100ということで私の家の前でコンサートが挙行された、歌手、作家、評論家、詩人とかいろいろ多芸な人で且つ酒豪の友川かづきのコンサート、中也の歌も数曲唄ったがいづれも男らしく力づよい歌声であった。

 次は福島泰樹、この人は坊さんであるが中也にかなり傾倒している人である。中也は宮本武蔵と同じようの独行道を歩いた人といっていた。確かに早熟だけでなく自分を確立し自分の尺度でものを見また苦しんで作詞をした人であるらしい。

 また恋人を亡くし弟を二人亡くし子供を亡くし死んだ後にも子供を亡くしと失くす人の多い人である。しかしそういう出来事にもくじけず一生懸命詩作という困難な作品に力を注ぎ戦って死んだ人のようである。

070429

伊藤左千夫

2007-04-14 19:21:23 | 人生・文学
 朝の散策の中で普門院というお寺の中で伊藤左千夫の墓を見つけました。お墓のサイズは普通サイズであり大きくはない。また派手ともいえない。

 「野菊の墓」という小説が有名ですし、正岡子規の後継者とかアララギ派の中心人物とかいわれています明治時代の歌人で小説家である。

 千葉県山武市の出身、豪農の出、元冶元年(1864/9/18)8月18日に生まれ大正2年(1913)7月30日に49歳の若さで脳溢血で死亡した。