霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

桶狭弔古碑

2010-04-30 14:18:32 | 歴史/古文書
 この碑は文化6年(1809)5月に建てられたものです。桶狭間の戦いを回顧する文と漢詩が書かれているらしい。

 暗くなったのと時間の余裕がなかったのでじっくり読み取ることができなかったです。建立者は案内板に寄れば津島の神官氷室豊長という人です。

 津島の神官とは名古屋市から16キロほど西にある津島市の津島神社の神官のことといえましょう。

桶狭間古戦場伝説地(豊明市)

2010-04-28 12:03:39 | 歴史/古文書
 有松から普通電車で一駅の中京競馬場前を降りてうろうろしましたが古戦場跡らしきものは見えないのです。しばらくというか500m南へ行くと公園がありました。そこには和歌の碑が建っていましたので写真を撮っておきました。

 近くを散歩していた御婦人に古戦場跡はどこにありますかとたずねたところ「ここです」といわれビックリするやらほっとするやらでした。

 その歌は「あと問えば むかしのときの声立てて 松に答うる 風のかなしさ   風樹」と書かれています。香川風樹という江戸時代の歌人で江戸に出て門人の下で歌の修業を志したのですが受けてもらえず失意のうちに帰途の途中ここで昔のことを思いながら歌ったものらしい。尾張名所図会に載っているとこの案内板に書かれていました。
         

桶狭間戦評の松

2010-04-27 20:13:11 | Weblog
 桶狭間の大池のあたりのバス停そばにこの戦評の松があります。なぜ戦評の松といいますかというとこの松の基で、義元公の家臣瀬名氏俊という武将が大松の下で戦評を行ったといわれ伝えられている場所です。

 おそらく大高城近くの鷲津砦、丸根砦を落としたときのことか、高根、幕山、巻山に陣を張ったときにしたものかわかりませんがいずれにしても桶狭間の合戦前のことと思います合戦後は敗退して退くばかりですのでそんな余裕はないと思います。
 
 今の松は3代目なので小さい松です。初代は伊勢湾台風で、2代はマツクイ虫でだめになったそうです。

桶狭間神明社

2010-04-26 09:25:05 | 歴史/古文書
 この神社は南朝の落ち武者がこの村を開拓して後1340年代頃に創建されたのではと伝えられています。

 桶狭間の合戦のとき今川氏の家臣瀬名氏俊が戦勝祈願の酒樽を寄進したその酒樽が残っているとのこと、それが社宝でもあると、写真の両端に見える杉の木は尾張藩主が寄進したものです。

 慶長13年の慶長検地のときにはこの神社はあったのでそれ以前からあった神社ではあります。今は村の氏神様で観光客は一人もいなく静かなたたずまいを保っています。
          

刈谷ハイウェイオアシス

2010-04-25 14:00:55 | Weblog
いまいるのです。ここは刈谷市の北、豊田市との境にあります。遊園地や野外コンサートがあるのです。地元野菜の即売、美術展もあります。もちろん複合商業施設、公衆浴場、足湯があります。ヤングファミリーで大賑わいです。お金のかからないレジャーとして人気のようです。

義元の首検証のお寺

2010-04-25 09:02:26 | 歴史/古文書
 ウム ますますここが桶狭間の激戦地だという気がしますね。義元の討ち取られたところとさほどの距離のないところの(200m)お寺で義元の首検証も行われているのです。そのお寺は長福寺です。

 写真のように首検証のした場所に杉の木がったっているのです。伊勢湾台風で倒壊したので写真のものは2代目だそうです。

 証明者は義元公の茶坊主を勤めていた「林阿弥(りんあみ)」という人です。首検証後林阿弥はこの寺で義元公の供養をし首検証の場所も供養しこの杉も供養杉と呼ばれています。
 
 何か当時の模様が浮かんできそうでした。
写真に見えるのは本堂です。写真の真ん中の杉の木が首検証跡の杉の木です。

境内のおくには池がありました。なかなか広い池のようでした。神仏習合の流かどうか池には祠が祭られています。

桶狭間の長福寺

2010-04-24 11:25:48 | 歴史/古文書
 このお寺は桶狭間の中にあります。合戦場のすぐ近くにあります。桶狭間の始まる12年前に創建されましたので合戦のときはまだ新しいお寺であったと思われます。

 天文7年(1538)に創建されています。寺伝では永禄3年の合戦のとき「開祖・善空南上人は今川勢が当地につくと聞くや住民の先導者となって率先して食糧・酒などを提供して軍旅の労をねぎらった」とある。
 このお寺の本尊は今川義元公を供養のため義元の茶坊主であった林阿弥が阿弥陀如来像を奉賛している。また義元とその家老今井氏の木像も納められています。
 今お寺は改修中でした。