常徳寺庭園はこの地方で雪舟作と昔から相伝されている庭園です。
平成8年9年10年の発掘調査をしたところ室町時代の庭園であることが判明した。池泉観賞式庭園である。
鍾乳洞からの水を引き入れている。観光案内板によれば自然の岩盤を主景とし、裾部を巧みに掘削して、力強い渓谷風の滝石組みに仕上げられているのを特徴とし中島を通って回遊して池尻より排水する庭園となっている。
こんな山深い本当に寒村の中であるが中世室町時代はかなりの人々が暮らしていたという証でもある。もともとこの蔵目喜というところは、大同年間(806から809)年発見され大内氏が採掘していたのではないかと思われる。奈良の大仏に鋳造されたとも言われているが定かな実証はなされていないようである。
いまはこの地では銅は採掘されていないが露天掘り跡が農村公園となっていて観察することはできるようになっている。
5月28日にドライブして蔵目喜の民族資料館や露天掘り跡を訪れたが資料館は鍵が懸かって閉鎖されていた。また露天掘り跡はどこにあるのかわからず案内板はあったがどちらの方向にどのぐらいの距離を行けばいいのか書いてなく、探したがわからなかったので見学せずに帰った。何か心残りのドライブであった。
平成8年9年10年の発掘調査をしたところ室町時代の庭園であることが判明した。池泉観賞式庭園である。
鍾乳洞からの水を引き入れている。観光案内板によれば自然の岩盤を主景とし、裾部を巧みに掘削して、力強い渓谷風の滝石組みに仕上げられているのを特徴とし中島を通って回遊して池尻より排水する庭園となっている。
こんな山深い本当に寒村の中であるが中世室町時代はかなりの人々が暮らしていたという証でもある。もともとこの蔵目喜というところは、大同年間(806から809)年発見され大内氏が採掘していたのではないかと思われる。奈良の大仏に鋳造されたとも言われているが定かな実証はなされていないようである。
いまはこの地では銅は採掘されていないが露天掘り跡が農村公園となっていて観察することはできるようになっている。
5月28日にドライブして蔵目喜の民族資料館や露天掘り跡を訪れたが資料館は鍵が懸かって閉鎖されていた。また露天掘り跡はどこにあるのかわからず案内板はあったがどちらの方向にどのぐらいの距離を行けばいいのか書いてなく、探したがわからなかったので見学せずに帰った。何か心残りのドライブであった。