霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

常徳寺庭園

2006-05-31 21:10:26 | 歴史/古文書
 常徳寺庭園はこの地方で雪舟作と昔から相伝されている庭園です。

 平成8年9年10年の発掘調査をしたところ室町時代の庭園であることが判明した。池泉観賞式庭園である。

 鍾乳洞からの水を引き入れている。観光案内板によれば自然の岩盤を主景とし、裾部を巧みに掘削して、力強い渓谷風の滝石組みに仕上げられているのを特徴とし中島を通って回遊して池尻より排水する庭園となっている。

 こんな山深い本当に寒村の中であるが中世室町時代はかなりの人々が暮らしていたという証でもある。もともとこの蔵目喜というところは、大同年間(806から809)年発見され大内氏が採掘していたのではないかと思われる。奈良の大仏に鋳造されたとも言われているが定かな実証はなされていないようである。

 いまはこの地では銅は採掘されていないが露天掘り跡が農村公園となっていて観察することはできるようになっている。

 5月28日にドライブして蔵目喜の民族資料館や露天掘り跡を訪れたが資料館は鍵が懸かって閉鎖されていた。また露天掘り跡はどこにあるのかわからず案内板はあったがどちらの方向にどのぐらいの距離を行けばいいのか書いてなく、探したがわからなかったので見学せずに帰った。何か心残りのドライブであった。

農園記26

2006-05-30 22:02:11 | 園芸
 一昨日27日に日曜日は歴史ドライブに生き帰りに農園に立ち寄り農作業を行った。主に草取りであったが。隣地との石組みの堺の草をとっているとなんと「まむし」がいるではないか。すぐには逃げずこちらが騒いだすきににげてしまった。

 土色をしていて黒っぽい文様があった。勤務先の人に聞いてみると「そうだといっていた赤や黄色とかの派手な色でなくまむしの色は地味であるといっていた。」 まさにその人の言うとおりの蛇であった。

 空には電線に4羽のツバメが雛から巣立ち飛行の練習をしたり親鳥から餌をもらったり楽しく過ごしていた。またウグイスも「ホーホケキョ」と何回も繰り返し鳴いているのどかな農園でも、一歩涼しく湿度のあるところへ行けば毒蛇がいたり、やぶに入れば蜂がいたり、自然は危険と癒しとの共存であることがよくわかった一日であった。

奥阿武宰判勘場跡

2006-05-29 20:29:57 | 歴史/古文書
 奥阿武宰判勘場(おくあぶさいはんかんばあと)は江戸時代、享保4年(1687)から明治11年1月まで192年間奥阿武郡内諸村の統治府なりしところである。

 ここにある説明板ではいわゆる藩の出先機関で代官を置く館であった。ここには代官は常時は住まず、萩の郡奉行所に普段は勤め春と秋と冬に来て宰判をしていた。奥阿武郡内諸村とはむつみ村、阿東町、田万川町、須佐町、阿武町(奈古を除く)を統治範囲としていた。

 勘場には普段代官の下役である下代役(しもだいやく)、勘定役、などのほか農民から選任された大庄屋や恵米方(えまいがた)など勘場役人が詰め宰判事務を処理していたといわれている。

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