霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

陶製梵鐘

2010-07-31 11:09:19 | 歴史/古文書
 悲しい話ですね、第二次世界大戦中、金属回収令(1942)により不急品適用拡大でお寺の仏具、梵鐘類も軍への供出対象となりほとんどのお寺で供出され代用の陶製梵鐘が作られたのですが残っているのは日本ではここだけとなっているのです。

 他にもこの瀬戸では貨幣の代用品として陶貨も作られました。資源の少ない国の特長が見られますね。

 この陶製の梵鐘の大きさは高さ115センチ、直径79センチです。刻文の一部に「武器製作のため、第二のご奉公に応召せり、両人に依頼しこれ作成けり」製作者佐藤、清水の両名と観光案内板には書かれていました。

宝雲寺

2010-07-30 10:55:23 | 歴史/古文書
 尾張瀬戸の街中にあります深川神社を西へ50メートルばかり行きますと一段高い台上にこの神社がありました。ここには戦時中に鉄類の供出でお寺の鐘がなくなり陶製で作った鐘があるので有名です。浄土真宗のお寺です。


陶彦神社

2010-07-29 10:31:01 | 歴史/古文書
 ここは陶祖藤四郎を祭っています。鎌倉時代(1220年ごろ)に南宋にわたり陶業技法を学んで帰り全国を放浪した後、瀬戸村に伝えたとされる。加藤四郎佐衛門景正(しろうざえもんかげまさ)が祀られています。4月の第3土日は陶祖祭りだそうです。

深川神社

2010-07-28 10:18:11 | 歴史/古文書
 陶祖公園を見て歩きながら西へそうですね、約2キロ歩くとこの深川神社にぶち当たります。ここは結構観光客が来ていました。

 この深川神社はこの土地の産土神でむかしから信仰が続いていた神社です。創建は771年(宝亀2年)ですからずいぶん古いものです。

 社伝によると陶祖藤四郎が参拝した折、ご霊験により辰巳の方向(東南)に祖母懐(そぼかい)の土(良質な土)を得たとされているとの伝えがあります。

 鎌倉時代の陶祖藤四郎(13世紀)の作成といわれている灰釉陶製狛犬が保存されています。また織部燈籠もあるとのことです。初見でビックリすることは神社の屋根が緑色なのです。鮮やかな織部焼の緑色の瓦が目に焼きつきます。

六角陶碑

2010-07-27 15:04:20 | 歴史/古文書
 これは陶祖公園を登りきった高台にこの陶碑がありました見晴らしはすこぶる良好です。
慶応3年(1867)に作成されたものです。作者は当時瀬戸の名工、加藤岸太郎という作陶家です。この陶碑は当時瀬戸村に伝承されていた陶祖藤四郎の功績をたたえ作られたものです。
 基部から4.1メートルと日本最大の陶碑です。いや世界最大級のものです。志野焼でできており黄瀬戸釉や志野釉など使ってあり重厚感を出していました。藤四郎の由来も書かれているのですが読み取れませんでした。

志野焼燈籠

2010-07-26 14:53:44 | 歴史/古文書
 陶祖公園の登る途中にありました。この燈籠橋の焼で昨冬してある国内最大教の燈籠です高さ285センチあります。作者は陶祖碑を作成した加藤岸太郎という陶芸家です。明治5年(1872)の製作と古いものです。

 白っぽい燈籠です。普通の石燈籠のような歴史の重さはありませんが焼き物として白くて奥ゆかしさはあります。珍しい燈籠です。

本業焼

2010-07-25 14:35:13 | 歴史/古文書
 本業と呼ばれるいわれは江戸時代以前からここでは陶器を焼成していたのです。磁器を焼成し始めて瀬戸焼は隆盛していくのです。その磁器を新製焼といい、もともとあった陶器を焼く仕事のことを本業焼きといったため本業という言葉が残っているのです。陶器と磁器の違いで呼び名が変わっているわけです。
 
 本業焼で有名なものは文化・文政の頃から大正期まで盛んに焼かれた馬の目皿や石皿があります。

洞の本業窯

2010-07-24 13:51:38 | 歴史/古文書
 瀬戸市の指定文化財となっています。築造は昭和24年、形式構造は連房式(4連房)登り窯、縦狭間。全長14m最大幅7m。本業製品を焼成する窯として江戸時代後期から使用されている様式の窯です。磁器を焼成する丸窯とともに瀬戸市を代表する窯だそうです。この本業窯は本は13連房と巨大な窯であったそうです。奥洞窯の窯材を使い昭和24年に再構築されたものが現存しているのです。3つの焚き口と4つの部屋と煙道からなっていて水甕、水鉢、紅鉢、こね鉢などが昭和54年まで焼成されていました。
本業窯の二の間、三の間、四の間が見えています。
これは焚き口です
窯の内部の写真です。