霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

山口アーツ&クラッツ

2007-10-31 19:09:46 | 交流/講演
 10月27日と28日に両日、山口情報センターの中央公園広場で、全国から132人のアーティストが集まりそれぞれ作品の発表と即売会がありました。

 陶芸、木工、ガラス、金属など、各作家がそれぞれの作品を演出する西日本最大のフエアである。作品は1万点程度展示され個性豊かな作品群が見られて非常に刺激を受ける良いフエアである。

 また作家同士が交流を持てる場ができて非常にプラスアルファが期待できるのではないかと思いました。

 今後も第3回とかズート続いてもらいたいものである。

鰐鳴八幡宮(わになきはちまんぐう)

2007-10-30 10:03:45 | 歴史/古文書
 この社殿というか八幡宮は宇佐八幡宮から勧請されたものである。平安時代中期に勧請されたが、そのとき山口湾をさかのぼりふし野川を登り御堀の鰐石にたどりついたとき従者である鰐が別れの寂しさで泣いて惜しんだといういわれがあってこの「鰐鳴八幡宮」と名がついている通称小鯖八幡宮といわれている。

 本殿は貞亨3年(1686)9月に改造の記録がある。向拝付三間社流造りである。

 拝殿は寛政3年(1791)9月6日の建立との記録がある。楼門形式の入母屋造りで左右に切妻造りの翼廊をもうけ、正面に当時を反映した向唐破風の向拝がある。山口地方独特の神社のつくりであり特色がよく出ています。

うあーなんで

2007-10-29 18:59:31 | 園芸
 クラインガルテンに行ってみるとこのように躑躅の花が10輪ぐらい咲いていました今は10月27日です。

 なんでこんな寒い秋に躑躅が咲くのですか???おかしなことが毎年続いています。地球温暖化が現実に起きているといえるのでしょう。皆さん無駄なエネルギーの消費はできるだけ避けるよいうにしましょう。

トンボのこと

2007-10-28 18:53:57 | 随想
 このトンボ、今の季節に陽だまりで止まって暖を取っていると思い。

 そっと後ろからカメラを持って撮影を行う、遠くから一枚近くから一枚それでもっと近くで一枚取ったときこれはおかしいと思いました。

 こんな水色の綺麗なトンボはいるのかな・・・・とーーー思いましたがよく見るとプラスチック製であると判断できました。

 てっきりだまされました。細君に後で聞くと細君の兄が仕組んでいたそうだ。細君は私が引っかかったのでケラケラ笑っていました。

 残念ながらしてやられました。

クラインガルテン記20

2007-10-27 18:27:15 | 園芸
 今日はホームセンターに二ヶ所行きどちらが安いか比較しながら畳を買いましたこのように小屋は少し畳がしかれ和風に変身しました。

 確かにこれから寒くなるとどうしても板敷きの上にゴザを敷いているのは寒い感じがします。これで寒い冬でもなんとか耐えていけそうです。

 少しリッチな小屋となりました。みなさまも遊びにお出でくだいませ。

小鯖の板碑

2007-10-26 10:26:52 | 歴史/古文書
 この板状の石碑は、かなり古いが今でもしっかりと刻字文字が読み取れる貴重なものである。阿東町にあったのは板状であったがこれは角柱状である。普通は板状のものが南北朝から鎌倉、江戸期にかけて作られていたのである。

 板碑は塔婆の一種で亡き人の供養のために立てたものです。五重塔が最たるものです。

この板碑は角柱状で高さ約2メートルの自然石である。正面上部に3つの梵字がある。これは上部が阿弥陀如来右は聖観音左は勢至菩薩である。

正面の下には貞冶年丁未9月26日と刻まれているのがはっきり分かる。南朝年号であるが西暦1367年に当たる。

 しないでは記念日のあるものでは最も古い物らしい。

愛宕社(菅内)

2007-10-25 09:59:32 | 歴史/古文書
 この小さい社は大内弘世の時代、山口屈指の旧家安部氏(一説では遠祖安部光包という説もある)が大内氏の命を受けて京都の愛宕神社から勧請している。長年火除けの神様として崇拝されていた。

 永禄12年大内輝弘の乱(1569)で焼失している。貞享元年(1684)旧正英寺の和尚により復旧され昭和6年には里人により修復されている。平成11年秋の台風で倒壊し平成13年にこの地に移され復旧した。

 日吉神社の境内にひっそりと建っている元はどこにあったのか定かではない。

小鯖の日吉神社

2007-10-24 19:04:18 | 歴史/古文書
 この神社は仁平寺の創建のときに同じく造られたものである。仁平寺の鎮守社として建てられている。建立したのは大内氏家臣の河野氏が比叡山から勧請して建てたといわれている。したがって仁平元年(1151)の造られ幾星霜を経て今日に来ている。

 明治4年に日吉神社と改名されましたがそれまでは山王社と呼ばれていました 見てもお分かりのようにこの神社は大内氏時代の特色をよくあらわした楼門形式のつくりです。

 この社殿は寛永6年(1666)に領主益田氏のよって再建されている。現在の社殿は宝永元年(1704)12月23日益田緒彰従高の建立である。

 目に付く楼門は延享2年(1745)の再建である。このように幾時代も継続できたのは大内氏はもとより毛利氏からも崇敬があったということであろう。

 大内時代は山口三社と称せられ(今八幡宮、古熊天神、山王社)盛大な社として権威を誇っていたといわれています。

 ここに来て思うが本当かなと不思議なぐらい田舎で人家もまばらなところです。社の後ろの山からは蛇がこちらの方向へ向かって出てきていまして私と出くわし御互いにびっくりしました。

 

仁平寺跡

2007-10-23 19:45:02 | 歴史/古文書
 山号を菅内山といい、仁平元年(1151)の創建である。江戸時代の風土注進案によれば、当時は五重塔があり、本堂にいたる左右の道には本坊、東蔵坊、蓮池坊等七堂伽藍があって、隆盛を誇っていたという。

 このことは「本堂供養記」にも記されているという。供養は舞楽舞踊が行われるなど盛大であったといわれている。

 五重塔の礎石が残っていたというがため池の建設のため取り壊されてしまったといわれています。
 今ではまさに栄枯盛衰という言葉がぴったりの風景となっています。

クラインガルテン記19

2007-10-22 19:16:53 | 園芸
 昨日は雲ひとつない秋晴れでしたが蜘蛛はたくさんいました。タマネギを植え付ける準備のため、土壌改良培養土を一袋750円で購入し鶏糞と一緒にタマネギ用の畑に蒔いて耕しておきました。

 サツマイモも[紅東]を掘り出ししましたがこれも元肥不足で土は硬くて手でも掘り起こせないほどでした。小さい芋ばかりで収穫量は少量でした。やはり何を措いても土作りをしないと手を抜いて植えたらやはりしっぺ返しが来ます。野菜の栽培も子育てもみな同じことですね。

 それはさておき風呂ができました。ホームセンターで風呂用配水管がぴったりのが見つかり取り付けたとこら風呂がまから配水管を通じてうまく排水できるようになりました。この段階で夏の水風呂はOKです。

 後はいかに風呂のお湯を沸かす方法を考えるかです、木材か、灯油か、ガスか、電気か、いずれかの方法でやるかあるいは太陽熱でか、とこれから考えて行きたいと思います。

 今農園はクモの巣だらけになっています。こんなに色の綺麗な大きなクモが5匹か6匹います。