本人が否定しても肯定しても、誰にも醜聞があります。ここでは最近の「中国の醜聞」を集めてみました。必要な方のために出典も明示し、あればリンクも表示しています。
米空母の活動に不快感=「主権に損害」-中国
【2月21日 時事通信社】中国外務省の耿爽・副報道局長は21日の記者会見で、米空母が南シナ海で活動を開始したことについて、「航行・飛行の自由を名目に国家の主権と安全に脅威と損害を与えることには反対だ」と不快感を表明した上で、「南シナ海の平和と安定の維持に役立つことをしてほしい」と訴えた。:2017年02月21日 18:01 時事通信
もう言い尽くされたかと思いますが、中国がいつも犯している
自己矛盾という初歩的なミス
が見られます。
尤も、矛盾など気にしていたらあの広大な領域を一党独裁で維持できるはずがありませんね。
しかしそうでなくても為政者として矛盾の整理整頓に悩むことが多い中で、「矛盾だらけの中国」「矛盾を覆い隠す強弁が多すぎる」と言えます。
中国共産党は、巧言(こうげん:レトリック)をどのように使っているのでしょうか。
中国による「自分勝手な領土宣言」に各国が拒絶感をもっているにもかかわらず、中国はその拒絶感を生む原因である「自分の領土」を前提として語るため、「領土(主権)に損害を与えるのに反対する」となります。
巧みに論点をすり替えているのが分りますね。
違法であり、周辺国の反対を無視してまで、中国の領土であるという前提であの不可解な声明を出していることになります。
落語のようにおもしろいとは思いませんか。
乳幼児が、
一度言い始めたら人の話など聞かずに言い続け、理解してもらえなければ泣き叫んで言い分を通そうとする
のに似ているでしょうか。こんな幼児に武力支配されている中国の国民は、たまったものではありませんね(笑)。
もっとわかりやすく言えば
- 勝手に「ここは自分の陣地だ」と言う。これが「主権」の主張。
- 他人が「そんな勝手な主権など認められない」と異論を唱えると、「主権に損害を与えるな」と言う。
- 「中国の主権」を認めない、と言っているのに「中国の主権を侵害するな」と言う。
「主権」を論点にせずに、「主権の侵害」を論点にしようとすりかえています。
思い込みとはなんと恐ろしいことか。
だましの2000年を地で行く中国でした。
こんな怪しげなレトリックを駆使するヤクザを放置しておいていいのでしょうか(笑)。
こんな中国からでも、金儲けを考えてきたのがオバマまでのアメリカでした。
しかし結局もうかったのはほんの一部の大企業だけで、超富裕層を生んだ反面、アメリカに多くの失業者をもたらした不満を巧みに利用したのがトランプでした。
アメリカは今まで、理念を通すために現実を犠牲にしてきたとも言えます。
アメリカとしては、中国とロシアの両方を敵視すると、間違いなく両国が接近し始めるため、それを避けるためには、どちらかを敵視し、他方に対しては寛大にならざるを得ません。
オバマ時代には、概して中国に寛大でロシアに敵対していましたが、トランプになってからはその逆で、中国を敵視しロシアに寛大になりつつあります。
たしかに中国・ロシアが接近すると何をするか分らないため、ある意味でこれは正しいのかも知れません。
何でもかんでも、オバマの正反対をいくトランプ。
反論を覚悟して極論するならば、アメリカから見て・・・・・・
- 反中国・反ロシア:中国・ロシアが手を組むため最悪
- 親中国・反ロシア:オバマの手法
- 反中国・親ロシア:トランプの手法か?
- 親中国・親ロシア:邪悪な両国との共存は無理?
発足してまだ1ヶ月そこそこですから
トランプのアジア政策は明確ではありませんが、中国はオバマより新しいトランプのほうが扱いやすいとにらみアメリカを制御できると夢みているようです。
いずれ近いうちに、中国の夢は破れそうですが。
中国は、もうどうしようもない自惚れ国家と言えます。
いずれ崩壊する中国共産党ですが、それまで中国人が耐えられるかどうかというところです。
最後に賢者が語る「レトリック」を並べてみました。
歴史を通して見ると、どんなに残酷で恥ずべき方策でも、崇高な意図の宣言がなされ、自由と独立を与えるというレトリックがともなっているものだ。:ノーム・チョムスキー「お節介なアメリカ」大塚まい訳 ちくま新書
自由と独立は大切すぎるほどですが、だからこそ巧言ではないかと疑う必要があります。
纏足と宦官は、すでに克服された。文部省の体罰厳禁の措置は、数少ない正しい決定の一つである。ところが思いも寄らず、二十世紀80年代の今日、この決定は奴隷根性の挑戦に直面しているのだ。恥辱はあくまでも恥辱である。奴隷根性に脳髄を侵されている人だけが、巧妙な技術(レトリック)で恥辱を栄誉に変えることができるのだ。勇敢でけんか早い人びとが、その結果ひどい目にあっても別におかしくはない。呂誨(りょかい)のような人びと、甘んじて列をつくって掌を打たれるのを待つ人びと、こんな人びとの存在こそ、中華民族の本当の危機なのだ。・・・・・・
うかがいたいものだが、教師が学生を1回殴るのは愛情か。十回あるいは百回殴るのは愛情か。適当な体罰は必要だというが、何を基準にそれを決めるのか。傷害を与えなければいい、と言う人もいる。いったい、傷害を与えない体罰があるのか。:柏楊(ポーヤン)「醜い中国人」張良澤・宗像隆幸(共訳)光文社
いかにも
「愛情たっぷりのしつけ」のように見せかける「悪質なレトリック」に注意したいものです。
上記が、中国大陸についてなのか、それとも台湾での中国人についてなのか、詳細は不明ですが、私は「人権」「しつけ」などを根拠にした暴力主義を放置していいとは思いません。
簡単そうですが、これが実に難しいですね。皆様はこれらを克復できる自信をおもちですか。
よって私は
現在の中国共産党のやり方を基本的に間違っているとみています。
中国と仲良くしようという日本人が暴力を肯定している、とまでは言いにくいのですが、「見て見ぬふりをし、中国の腐敗に関してまったく触れないで済ませられる」と確信している人が多過ぎるのをみていると、彼らがまるで「中国の弾圧を認めている」と思わざるを得ません。
たとえば、鳩山由紀夫・大江健三郎・翁長雄志などなど、どこが「進歩的」なのでしょう。「進歩」とは一体何なのか、この言葉に浮かれる人が多いようです。
ジョンソン自身はかつて「過激でなく、進歩的でありたい」、また「反動でなく、慎重でありたい」と私たちに語ったが、これは私の感じでは、中道に立ちつつすべてを手に入れようとする哲学である。:P.51 ヘレン・トマス「ホワイトハウス発UPI(素顔の大統領)」新潮社・トマス 新潮社
「極端に振れることを嫌った」人は、「すべてを手に入れようとしている」という非難に打ち勝たなくてはいけないようです。
二元論に走る場合に克復すべきことなのでしょうが、これを克復できないがために、二元論に魅力を感じてしまうのでしょうか。
さてさて、皆様はどう思われますか。