ついに靖国参拝 10月17日

モーニングも着ていない・羽織袴も着ていない・本殿に昇殿もしていない・記帳もしていない・2礼2拍手1礼もしていない、そして小銭の賽銭・・・8月15日に参拝するとの遺族会との公約に対して、8月13日の参拝は姑息だと言われたが、それよりももっと・もっと姑息、極めて中途半端な参拝だった。先日の大阪高裁の判決に従い、小泉流に「私的参拝」を強調したつもりなのだろう。

郵政法案でのイケイケドンドンに比べると、急に周囲に耳を傾ける態度を示す小泉総理の姿勢に、私たち国民は、「あらっ」と感じるが、現実には、中国や韓国の反発は従来と変わりはなく、外務省高官が事前に北京入りし根回しをしたことも無意味、まったく効果なしだ。韓国メディアは、「参拝方法に考慮の跡が見られた」的なニュアンスの報道をしたが、結局、12月のノムヒョン大統領訪日の中止を示唆したところを見ると、やっぱり相当な怒りをかったらしい。当然。

いかに気を遣ったとしても、靖国参拝は靖国参拝であって、対アジア諸国に対する配慮には決してならない。総選挙で圧勝し、日本国民の心は惹き付けたと錯覚しても、外交面では、そうは問屋はおろさない。大阪高裁の判決を理解できないと言っていた過日の小泉総理の態度からすると、半端な参拝に見られる今日の「弱気」は、いったいどういうことを意味するのか・・・。お賽銭の小銭チャリンには、総理の靖国参拝反対の立場の私でも、さすがにまいった。

今日の小泉総理の参拝を、喜ぶ人は、おそらく殆ど居ないだろう。先の中曽根元総理が、参拝の仕方で時の宮司の反感をかったこと以上に、靖国神社側の神経を小泉総理は逆なでしたに違いない。靖国神社の反感をかうことには、何ら問題はないが、あらゆる立場の人々がまったく喜ばない参拝を、公務の時間の最中に行う意義が、私にはさっぱりわからない。

あれほど強気だった小泉総理が、大阪高裁の判決を考慮して、今日のような形で譲歩しても、「私人としての参拝」というわけにはいかない。絵に描いたように半端な参拝に、遺族会の支持は到底得られないだろうし、マイナスばかりが目立つまったく意味のない参拝と化してしまった。

先の大戦での日本のアジアへの侵略を、反省するどころか正当化する靖国神社の主張は、国際社会の一員として先進国を自負する日本のアイデンティティに反し、アジアのリーダーを目指す日本の足を引っ張り兼ねないものだ。国連P5入りを目指す立場にある我が国が、一宗教法人たる靖国神社に翻弄させられては本末転倒だ。アジア諸国のみならず、東京裁判に参加した連合国サイドの国々の心象を損ないかねない愚挙であることに、アメポチ小泉総理は気付いているのだろうか。

いつまでも同じ議論を繰り返すことのないように、誰もがわだかまりなく参拝できるような国立追悼施設を、一刻も早く造る必要がある。その為に税金が投入されることに、国民の一人として私は賛成する。
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