ブランド卵へのこだわり 1月12日

卵一個、いくらまでなら許せる?

各スーパーの安売りチラシは、必ずと言って良いほど、卵の値段の安さを競う。10個入り1パックが100円を切ることはざらだ。でも、その卵、本当に大丈夫?養鶏場というと、隙間無く鶏が横一列に並んだ光景が眼に浮かぶ。それが当たり前だと思っていたが、しかしよく考えてみると、隣の鶏とピッタリとくっつき、殆ど身動きできない状態におかれ、鶏舎の照明により睡眠を左右され、出来る限り多くの回数の産卵を要求される鶏を、果たして健康と言えるだろうか。

抗生物質やホルモン剤を使用せず、海草からとったミネラルのほか各種栄養素たっぷりの飼料やイオン水を用いて飼育していると言われても、私はやっぱり平飼い(放し飼い)にこだわりたい。特別な根拠はないが、昔のように雌雄が一緒になって農家の庭をよちよち歩き飛び交う姿が、鶏の理想的な生育環境だと思えてならないからだ。窮屈な鶏舎の中で、24時間監視され、殆どの時間照明によって起こされ産卵を強要される環境は、鶏とってストレスでしかないだろう。

両脇の鶏とほぼくっついて暮らすケージでの生活は、当然、伝染病の恐怖と隣り合わせだ。鳥インフルエンザの発生は、鶏の成育環境に対する重大な警鐘だと思うが、ケージで量産している生産者は、とにかく鶏が伝染病に罹患しないように抗生物質を投与したり、鶏の成長を加速するためにホルモン剤を投与したりしと薬物を乱用してしまうのだ。そんな卵が健康に良いとはとても思えず、たとえ1パック10個入りが100円を切っていても、手を出す気には到底ならないのだ。

BSEや鳥インフルエンザが話題になって以降、食品のトレーサビリティには敏感になった。卵についても、パッケージとじっくりにらめっこをするようになった。理想的な卵は、そうはいっても高価だ。1個50円から100円と、スーパーの安売り卵の5倍から10倍の値段だ。しかし、それでも、横一列で身動きとれず睡眠さえも管理された「不健康」な鶏の産んだ卵を食する恐ろしさを思えば、少々値が張っても代えがたいものを感じるのだ。質の良い食材は、生活習慣病やガンのリスクを少しでも抑える。際限なく膨らむ医療費の抑制には、食の安全は不可欠な要素といえるのではないか。

本当にこだわるなら、パッケージの細かな文字を一言も見逃さずチェックする必要がある。たとえ平飼いで有機飼料を使用した「高価な卵」だとしても、よくよく読まないと落とし穴が隠されている。鶏の飼料に多く用いられる「とうもろこし」や「大豆」の原産地が、米国や中国のケースがあるからだ。これらの国々から輸入される農作物は、農薬や防腐剤にまみれにまみれている可能性が非常に高く、「遺伝子組み換えでない」と標榜していても、どこまで信用できるのかは怪しいものだ。

飼料のトレーサビリティを詳細に表示していない卵の場合、名称の付いている卵なら生産者はブランド卵を自負しているケースが殆どで、「素性」はインターネットで簡単にリサーチできる。膨大な数のサイトが提供する情報のすべてが正しいものだとは限らないが、少なくとも生育環境や使用している飼料については、虚偽記載にならない範囲で情報開示しているはずだ。それらの情報を元に、私たち消費者が賢く判断すれば良いのだ。

卵は生で食することも多い、日本人には非常に馴染みの深い食材だ。だからこそ、健康に与える影響も小さくないわけで、できる限り質の高い「健康卵」を摂取したいものだ。少子化と膨らむ医療費のダブルパンチをくらう21世紀、「食材の質」が日本人の存亡を左右すると言っても過言ではない。BSEの疑いの晴れない米国産牛肉を、あえて輸入許可する日本政府の言い分は、「消費者に選択権がある」ということだ。言い換えれば、「質の悪いものも置いてあるが、良いものも置いてある。どちらを選ぶかは消費者の自由であり責任だ。」ということなのだ。

まずは卵から、こだわってみよう。窮屈なケージの中で24時間管理された鶏の産む卵など、健康卵であるはずがない。食の安全への意識の高まりが、ひいては日本の文化の向上へとつながっていく。特に次代を担う子どもたちが、安心安全な食材を摂取できるよう、真の地産地消を目指し政府は全力を尽くすべきだ。農業の意義が正しく理解されれば、ドーハラウンドにも屈しないたくましい日本の農家が育つはずだ。そして私たち消費者が、良いものを見極める力を磨き、正しい選択をしていくことが何よりも求められているのだということを忘れてはならない。
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