医療のムダを省く! 5月26日

膨らむ高齢者医療費を、どう分かち合うか、喫緊の大きな課題だ。歳を重ねれば、体もあちこちガタがきて病気も増える!?それが当たり前の概念になっていない?確かに、若い頃に比べれば疲れやすいと思う。加齢による体力の減退は、嫌がおうにも感じるところだ。ただ、自己負担1割の高齢者が、日課のように病院を受診し、はっきり言って飲みもしない痛み止めやビタミン剤や胃薬をもらって帰る風潮には、薬剤師の私であってもチト首をかしげる。

高齢者に限らず、例えば風邪ひきさん。家でおとなしく寝ているのが一番なのに、わざわざ病院に出てきて体力を消耗する。数種類の薬を持って帰るが、いったいどれほどの効果があるのか疑問に思うこともしばしばだ。地域医療にも、実際、かなりのムダがある。公共事業のムダは、そろそろ周知の事実になりつつあるが、医療のムダはいまだ聖域、なかなかスポットが当たらない。

高齢者医療を別枠で各自治体に委ねるという案は、自治体が了解するのなら、是非そうすればよい。でも、自治体がネをあげる日が、遠くない将来必ず訪れる。問題は、そんなことでは解決しない。これほどまでに発展した(!?)社会的通院という現象、日本にしか見られない光景だろう。病院は、本当に病んでいる人が行くところであって、暇つぶしや裏づけのない不安やある種の使命感で行くような所ではない。立派な赤ひげドクターであっても、尋ねて来る患者を拒むことはできない。病院側が、「あなたは加療の必要がないから来なくてよい」なんて、とても言えるわけがない。そうやって少しずつ、ムダな医療が蔓延することになるのだ。問題の解決には、緊急を要さない「社会的通院」を控えること、つまり私たちが賢い患者になることが肝心なのだ。

現状を一歩打破して、病院は、医療のみならず地域の保健の中心的存在になる必要がある。たとえば、生活習慣病を診察するだけではなく、その予防についても地域住民をしっかりと啓発することが、病院に与えられた重要な使命の一つであるはずだ。訪れる患者を鍛えることも、病院に課せられた社会的責任の一つだと私は思う。勿論、ドクターだけではなく保健師・看護師・薬剤師などの「コーメディカル」の活用も有効かつ重要だ。病院のみならず薬局も、地域の保健の拠点となるべきなのだ。

一方では、生死をさまよう重大な病気をかかえた患者さんが、望みを託し病院の門をくぐる。生きるか死ぬかの病気なのに、保険適用にならず全額自己負担というケースに遭遇して矛盾を感じる患者さんも多いことだろう。日本の医療には、本気で医療を必要としていない人に甘く、本気で医療を必要としている人には厳しいという、極めて不合理な一面がある。この矛盾を解決しない限り、膨らむ医療費の抜本的な解決策は見出せないのだ。

高齢者医療を自治体の役割とする政策は、結果的に高齢者医療制度の抜本的改革の呼び水になるかもしれない。自治体は支えきれず高齢者の保険料を引き上げることになるだろう。その結果、高齢者医療保険は破綻してしまう可能性がある。反面、民間の医療保険が台頭し、本当に医療が必要な時にだけ病院の門をくぐる患者が増えることにつながるかもしれない。社会的通院をなくすには、それくらい思いきった転換が必要なのかもしれない。いずれにしてもキーワードは、「賢い患者になる」ということだ。
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