あつしが行く!!

日本共産党前福島県議会議員・長谷部あつしが日々の活動を綴ります。

職責者/かんかんがくがく

2007年08月21日 | 日々の活動


病院の職場責任者会議にオブザーバーで参加し、「後期高齢者医療制度」の勉強会に最後の30分だけ、時間をもらいました。

小名浜生協病院は、2階に療養ベッドと一般ベッドがそれぞれ40床、3階が一般ベッド49、合計129ベッドの中小病院です。

とくに一般ベッドが空かないようにするため、医師だけでなく、介護事業所の職員をふくめ、職員あげての努力が必要です。
療養ベッドは国が削減を前提に、老人保健施設転換誘導策を強めており、療養ベッドを持つすべての病院がその対応にせまられます。

夕刻からは、医療生協組織の強化方針をめぐり、私の提案文書に基づいてかんかんがくがくの議論を2時間半にわたってしました。なかなか気持ちがいいモンです。



3cmあるかないかぐらいのセミの抜け殻が枝にしっかりつかまっていました。


営利性と公共性

2007年08月20日 | 日々の活動
介護福祉部の会議にオブザーバーで参加しました。
介護事業の拡大と事業整備はどこの事業所でも大きなテーマになっています。

それにしても訪問介護事業大手だったコムスンをめぐる事態は深刻です。
7年前、介護保険制度を国が始める際、「多様な供給主体の参入」を口実に営利企業に介護サービスをゆだねるしくみを国は強引につくりました。

営利法人が、営利の追求と株式配当を目的とするのは当然です。
そのことは誰も否定できませんが、市場原理に基づく営利性と、介護に求められる公共性は両立するのでしょうか?

市場原理のもとでの競争は、介護の質を向上させ、介護サービス利用者の選択の幅を広げるのでしょうか?

けっきょく、公共の介護保険サービスを誰がになうのか、という制度の根幹が問われています。

介護・福祉・医療の現場に「規制緩和・民間開放推進」の名のもとに「構造改革」を押しつける誤りが浮き彫りになったと思います。



けさ、玄関を出ると、おとなりの家にアブラゼミ。



ついでに、先日不評だったツクツクボウシの写真の撮りなおし。





天下御免のムダ使い/90式戦車・イージス艦

2007年08月19日 | 日々の活動
先日、医師と政治談議をしていたら、「日本の軍事費ほどムダ使いはないのに、このことを指摘する政治家は少ない」との話。
私もまったく同意しました。

とくにソ連崩壊後、対ソ戦用シナリオに基づく武器購入が続いていることは、天下御免の大規模ムダ使いというほかにありません。



上陸するソ連軍を迎え撃つことを想定した90式戦車(1両が約8億円)は、1990年度の調達開始後にソ連が崩壊。それなのに今年度も7両買い足して、総計324両、本体の購入価格だけで約3,000億円。

重さが50トンもあるので、特別な道路と橋をつくって、ソ連が上陸する恐れがあるという北海道を中心に配備し続けているのです。



同様に、ソ連のバックファイアを迎撃し、海上交通路を守るために発注したイージス艦(1隻が約1,200億円から1,400億円)。
建造予算が最初に組まれたのがやはり1990年で、竣工は93年、ソ連崩壊の2年後。

シナリオはなくなったのにその後も買い続けて6隻造り、購入総額約7,600億円。

日米の軍事大企業、これらと結ぶ「国防族」の圧力や暗躍が透けて見えそうですが、大企業にモノをいい、アメリカにモノをいう姿勢をもった政治家をふやしてもらうほかにないと思います。
(日本共産党のホームページ「税金のムダ遣いに徹底したメスを」の「対ソ戦想定の戦車や軍艦」など参照、写真もそこから)

ホームページに「医療改革」でどうなる? のレジュメを補充掲載しました。

ボランティア/手づくりパン/85周年/ペロの寝顔

2007年08月18日 | 日々の活動
浜通り医療生協のボランティア・ユニセフ委員会がありました。
私もオブザーバーで参加。
10日の市役所出前講座「地域の福祉を進めるために」に参加されたかたから、「医療生協がしてきたことを行政が後追いしているような感じがした。実のあるものにしていかないとならない」と感想が出されました。



毎週、金曜日と土曜日、病院には手づくりパン。
売りに来るのは、東京生まれの東京育ち、大学卒業後はコンピュータ会社に7年間勤め、その後、農業に目覚めていわきに移り住んで19年になる、変わり者といえば変わり者の村山敏明さんです。

午後は「党創立85周年のつどい」。
日本共産党に入って30年、50年、そして今年100歳になった党員のごあいさつもありました。
みなさん、ほんとうに元気です。



ペロの寝顔を撮ろうとしてデジカメのスイッチを入れると目を開けられるので、これまでのところ、貴重です。



世界大会報告と勉強会/衝撃証言/被爆者の苦しみ

2007年08月17日 | 日々の活動



原水爆禁止世界大会に参加した2人の若い職員による報告会と、「『医療改革法』でどうなる?」の職員勉強会がありました。勉強会では私が講師を務めました。

報告会では、長崎の被爆者が「若いみなさんが語り部になってほしい」と訴えていた話が紹介されました。
その話を聞き、私も15年前、広島で被爆者から聞いた話を紹介しました。

「あの時、倒壊した家と火の中から逃げるしかなかった。いっしょにいたおばを殺したのは私なんです」。
その胸のうちを47年間、誰にも話せなかった、という、私にとっては衝撃的な証言でした。

原爆は、生き残った被爆者一人ひとりをずっと追いかけて苦しめている事実をそこで見たのです。

選び直す現憲法/セミと抜け殻

2007年08月16日 | 日々の活動



職員の「平和委員会」がありました。
月に一度、職員休憩室で開催しています。

きょうは、日本の侵略戦争を、「自存自衛の戦争」「正義の戦争」として描き出そうとする「靖国派」の野望をやめさせる学習をする、というので私も参加させてもらいました。

侵略戦争の徹底した反省を基盤にしている憲法を彼らは敵視しており、私たち自身が現在の憲法を選び直す大切さをこれから学ぼう、と私からも話しました。



病院のまわりではツクツクボウシが盛んに鳴いています。
なかなか見つけにくいのですが、白い矢印の先です。
赤い矢印の先にはセミの抜け殻。


回転やぐら/最後の盆休み/フカヒレ

2007年08月15日 | 日々の活動



きのう、きょうとJR内郷(うちごう)駅前広場では、53回目をむかえた「いわき回転櫓(やぐら)盆踊り大会」がありました。
内郷の生まれ育ちの私は、小学生のころに友達どうしで来ていましたが、40年近く前の当時は、盆踊りといえば内郷駅前の回転櫓、と相場は決まっていたんです。

今年の櫓も、内郷にある国宝の白水阿弥陀堂を模し、2500個の電飾櫓が回転します。高さは9m、紅白の幕の上の踊り場は9m×7.2m。

今では「いわき夏まつり」の一環に位置づけられてはいますが、広いいわき市をムリにまとめるのではなく、それぞれの地域振興に目を向けたほうがよほど地元の人にとってはよいと思います。

盆休みの最後なので散髪し、自家用車の燃料も満タンにし、ついでに洗車もして明日を迎えることにしました。



昼食はひさしぶりに息子と2人。ご主人が私の同級生のラーメン屋さんで、息子は「一度は食べてみたい」が売りのフカヒレラーメンを注文。
たいへん満足していました。




新盆/じゃんがら

2007年08月14日 | 日々の活動
今年の県議選投票日直前に亡くなった中学同級生宅、先日の高校同窓会で「応援演説」をしてくれ、昨年お父さんをなくされた高校同級生実家、小名浜・四倉の地域でお世話になり、またお世話になっているお宅の新盆にたずねました。

どこでも思い出や近況やこれからのことで話はつきませんでした。



亡くなった中学同級生宅では夕刻に「じゃんがら(ぢゃんがら)念仏踊り」。

同級生たちが彼を供養する踊りに加わりました。彼の長男(私の長男の同級生)も、真ん中で太鼓をたたき、この伝統芸能を受け継いでいます。



じゃんがらはいわき市内一円で行なわれています。かつてはそれぞれの地域の祭りなどにも奉納されたようですが、今ではこの時期に新盆の家を供養して回ることがほとんどです。

江戸時代初期にいわきに伝えられ、明治初期には「男女が徒党をなし、夜遅くまで遊び歩き…文明開化の今の世の中にあってはならない」と禁止令が出され、明治中ごろに復活し、成年男子のみによって踊られるものとして今に至っているようです。


日本固有の祖霊祭/お盆/稲

2007年08月13日 | 日々の活動
日本には、1年を2期に分け、正月とお盆の時期に先祖のたましいをむかえて生活の繁栄を祈り、祝った固有の習俗がありました。

たまたま7月15日の仏教のならわしが、日本固有のこの祖霊祭と結びつき、お盆は仏教的色彩の強い行事に見られるようになったようです。

「盆」というのも、仏教の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の略とも言われるし、供物を載せる容器の「ボン」から来ている、とも言われているようです。

妻がお盆中は休みがないので、私のいとこ宅の新盆と、父の墓参りに母親と2人で行ってきました。
街中の道路は、県外ナンバー車も加わって、墓参りや新盆まわりと思われる車でどこも混んでいます。



先週8日に病院3階テラスから見た田んぼ。5月24日とくらべると、稲の成長ぶりがわかります。

東北総体/吾妻小富士/磐高同窓会

2007年08月12日 | 日々の活動
東北総合体育大会の女子サッカーの試合を観戦する娘を、朝早く、福島市の「あづま総合運動公園」へ送りました。先輩が出場しているので応援する、とのこと。
磐越道から東北道に入ると、「交通集中」のための速度規制。世間は帰省ラッシュでした。



県庁屋上からながめる機会が多かった吾妻小富士(あづまこふじ)を少し近いふもとから見ることができました。



「第5回磐高(ばんこう)30回卒同窓会」がありました。ちょうど30年前に磐城(いわき)高校を卒業した同期の集まりです。472人の卒業生のうち、60人がつどいました。

10クラスあって、各クラスごとに参加者が一人ひとり自己紹介。
私は7組ですが、一人残ってクラス最後にごあいさつの時間をさいていただきました。



2次会、3次会と、恩師を含めみなさんからたいへんな励ましをいただき、ありがたいばかりです。