「レオナール・フジタ展」 上野の森美術館

上野の森美術館台東区上野公園1-2
「レオナール・フジタ展」
2008/11/15-2009/1/18



2年前の大回顧展の記憶も蘇ります。上野の森美術館で開催中の「レオナール・フジタ展」へ行ってきました。

展示ではお馴染みの「素晴らしき乳百色」の諸作群が比較的初期の頃より紹介されていますが、それよりも見るべきは、1929年に日本で一度公開されて以来、長らく行方不明であった「構図」と、対になる「争闘」(日本初公開)の超大作4点、または最晩年、キリスト教改宗後に『フジタ』として手がけた礼拝堂のためのフレスコ壁画諸習作群です。特に縦横3メートルにも及ぶ作品が横一列に並ぶ前者の姿は壮観です。実は藤田はそれほど好きな画家ではありませんが、立ち位置を変え、細部にじっくりと見入ってしまいました。





いわゆる群像表現とも呼ばれる「構図」と「争闘」を前にすると、直接的な主題こそ異なりながらも、かつての回顧展でも非常に印象的であった藤田の一種のスペクタクルな戦争画をどうしても連想してしまいます。隆々とした肉体を披露し、殆ど各々が無個性的に絡み合い、戦い、そして乱れる様は、まさに「血戦ガダルカナル」などにおける激しい修羅場の別の形であるように思えてなりません。もちろん「構図」と「争闘」は彼の美しき乳白色で統一され、戦争画における血の表現も、また目を背けたくなるような惨状こそ封じられていますが、画面を濃密に埋め尽くすかのようにして動き廻る人々の様子は、かの地獄絵図へと通じる部分を見出せるのではないでしょうか。藤田は常に乳白色のオブラートを用いながら、人間の奥底に湧き出る卑猥で、またむさぼるような欲望を比較的ダイレクトに露にしました。晩年の俗っぽい宗教画、そして奇妙に色っぽ過ぎて挑発的な女性裸婦画、さらには無邪気だからこそから恐ろしい子供の絵などは、彼のそうした面を表してはいるのかもしれません。藤田は猫よりも人間にこそ「野獣性と家畜性」を見ています。烈しき群像に剥き出しの魂の格闘の痕跡が示されていました。



後半部分、晩年を過ごしたフランスの小村のアトリエの再現展示には臨場感があります。またランスの礼拝堂のための素描も見応え十分でした。上野の森という手狭なスペースを逆手に取っています。あえて画業の一部分にだけ焦点を当て、藤田の魅力をまた新たにする優れた展覧会です。

18日まで開催されています。おすすめします。

*東京展終了後、福岡市美術館(2/22~4/19)、またせんだいメディアテーク(4/26~6/7)へと巡回します。
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