「天才絵師 河鍋暁斎」 成田山霊光館

成田山霊光館(千葉県成田市土屋238 成田山新勝寺境内 平和大塔後方)
「天才絵師 河鍋暁斎」
1/1-2/11



成田山新勝寺内で開催されている河鍋暁斎の展覧会です。境内二つの施設を用いて、表記の展示と、もう一つ暁斎の書画会に関する企画が同時に開かれています。(書画会の展示については次の記事でご紹介します。)



霊光館とは成田山の広大な境内の最奥部、高さ58メートルの平和大塔のすぐ傍にある小さな歴史博物館です。一階フロアの二つの展示室にて、平常展にあたる「成田山の歴史」と、今回の暁斎展が開催されています。展示数は約30点ほどでしょうか。絵馬をはじめとして、成田山信仰にも関するものなど、なかなか見応えのある作品が揃っていました。ちなみにそのうちの殆どが、暁斎コレクションでは日本随一の埼玉県川口市にある河鍋暁斎記念美術館の所蔵品です。



まず圧巻なのは霊光館所蔵の大作絵馬「大森彦七鬼女と争うの図」(1880)でしょう。縦約2メートル超、縦も2.5メートル近くはあろうかという大画面に、太平記の説話によるという主題が何とも猛々しい様で描かれています。獣のような爪や牙を剥き出しに、彦七へ覆い被さるかのように襲うのが鬼女です。隆々とした筋肉を見せる彦七など相手にならんとばかりに、烈しく喰らいついています。ところでこの作品は、制作年に暁斎本人が成田山へ奉納したものです。実際、暁斎の日記には、成田山の僧侶と交際したという記述も多く残っています。関係は親密だったようです。



暁斎というと、今触れたような非常に荒々しい作品が思い浮かびますが、この展示に接するとそれは彼の画業の一端しか触れていないことが良く分かります。まず挙げたいのは南画風の「霊山群仙図」です。爪楊枝の先よりも細いのではないかと思うほど精緻な筆にて、深々とした山奥に広がる仙人の里が極めて写実的に表現されています。松などの木、そして岩場を流れる水流などが、それこそ単眼鏡でないと確認出来ないほどに細やかに表されていますが、緑青なのか、それらを彩る緑色の葉の点描にも見入るものがありました。また上の画像の「鯉魚遊泳図」(1885)は暁斎の写実力が光る作品です。水墨の陰影の巧みな沼に鯉が数匹、まさにたゆたうかのように泳いでいます。ただ一匹、こちらを見つめて威嚇するかのような顔を見せる鯉にどこか暁斎の遊び心をも感じさせますが、この作品は彼に弟子入りした外国人画家のために描かれたものなのだそうです。北斎かと見間違うかのようなこの絵に、おそらくは師の稀な才能に舌を巻いたことでしょう。

鴉といえば右に出るものがいなかったそうですが、それは確かに「柿に鴉図」を見ても納得出来ます。書のような即興のタッチにて描かれているカラスが、朱色で示された柿を力強く見据えて枝に止まっていました。また暁斎ともいえば、鴉と並んで蛙でも有名です。ヒキガエル軍とアマガエル軍の戦う姿をコミカルに描いた「風流蛙大合戦之図」(1864)は見応え満点でした。武器を手に持つ蛙たちが、一騎打ちをしたり水鉄砲の大砲を放ったりするなど、ともかく無数に入り乱れて戦っていますが、着ている鎧が水草の葉であるというのが何とも微笑ましく感じます。また大将が冷静沈着に指揮をとっている様も何やら滑稽です。細部まで見入ってしまいます。



常設展の「成田山の歴史」では、その信仰の隆盛を伝えるような博物館的な展示の一方で、芳年の「弁慶図」や国芳の絵馬「火消千組図」などが紹介されていました。中でも谷文晁の「繋馬」は見応え満点です。首に繋がれた鎖を引きちぎろうともする黒毛馬が、実に力強い様で描かれています。また、地の木目を生かした薄塗りの眼の描写も秀逸です。潤んだ馬の目を巧みに示していました。

別会場、成田山書道美術館での「河鍋暁斎と幕末明治の書画会」の感想に続けたいと思います。

*関連エントリ
「酔うて候 - 河鍋暁斎と幕末明治の書画会 - 」 成田山書道美術館
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