嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

いつも何かに怯えながら。

2012年02月05日 23時34分34秒 | 再考
正しいことのために生きている人間と
面白いことのために生きている人間がいる。

正しいことをしている人と話していると
正しいことをしなくちゃいけないような気がしてくる

面白いことをしている人と話していると
面白いことをしなくちゃいけないような気がしてくる

損得勘定で生きている人間と話してると
自分の損得について計算しはじめてしまう

問われているのは主体性だったはずなのに
結局僕は流されて生きているだけなのか。

正しさの中にいて
正しい呼吸をしていると
グッと息が詰まる
そんな正しさのためだけに生きている人に
僕の正しさを話したところで
結局否定されて傷つくだけなのだ。

ただ、目先の面白さだけを追い求めて
快楽のために生きていると
夢中になれない自分を思う。
時間の辛さを自覚する。

僕は正しい時間の中にも
面白い時間の中にも居られない
一人で生きていくことは出来ないけれど
一人でいる時が一番落ち着く

水の中で
あるいは
水に包まれているときが 一番こころが落ち着く

熱を伝えるのが水だからなのか

僕は何のために生きているだろう
死ぬためだけに生きていた時間は終わった
生きることをただただ恐ろしく感じていた時間も終わった
生きることが辛さと痛みだけの時間も終わった
孤独からずっと目を逸らすことが出来なくて苦しい時間も終わった
僕の中でさまざまな命題が終わっていく

これが死に近づいていくことなのか。

今はきっと責任が怖いのだと思う。
生きることの責任は、自分でしかとれないと、
知ってしまったから。

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2 コメント

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命って 生きるって? ()
2012-05-05 17:13:37
人間死んだら何になるのでしょうか?
生きる事ってどういう意味なのでしょう?
やっぱり生死って難しいです。
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そうですね … ? (はにゃ)
2012-05-10 07:51:50
犬さん初めまして(?)
こんなさいはてのブログの走り書きを真剣に受け止めてくれてありがとう。

たしかに「生きる事」は難しいです。
活き活きと生きることの壁にぶつかったとき、
生きることの難しさから、
死について考えはじめ、
それを通して自分の生を反省します。
死生観を露出し、自らの欲望と葛藤を露呈し、
過去の自分を漂白し、
すべての問題を書き出し、書き起こし、
様々な人の意見を集めたとしても、
まだたどり着けない真理のようなものかもしれない、
と思う事もあります。

グダグダ考えても結局最後は土になるだけだと
想像力を巡らせてみても
自分がばらばらの粉々に散って
意識が限りなく分散していくことを考えるのは
私にとってはかなり困難な作業です。

「私」たるアイデンティティが崩壊していくことを
観念的に【死】と捉える自意識の活動もありますが、
体細胞組織が消滅するわけではなく、
はてしなく再利用されることを前提にすれば、
私たちはもっと物理的な「宇宙の死」について
もっと今までよりも真剣に考えなければなりませんし、
社会との関わりの中で自分を想うときは、
「自分の死」について考えなければならない流れがあります。

ですから、私は考え始める時の主体をいくつか想定し、
その方向性と成長の中で、
始まりへ回想として向かいながら、
「世界を知りたい」と逆方向の死について考えます。

具体的なプライベートの問題と
抽象的な観念をごちゃごちゃに混ぜるということでもあります。

ここで考えて書かれたことが、
あなたにとっての鏡として作用することができれば、
…さいわいです。
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