>「未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴なる死を選ぼうとする点にある。それに反して、成熟した人間の特徴は理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある。」
というヴィルヘルム・シュテーケルの言葉があります。
攻殻機動隊のTVシリーズ(笑い男事件)にも出てくる引用文ですので
知っている方もいるかもしれません。
僕はついさっきまで、この文章を誤解していました。
成熟した人間は、理想よりも現実を、
卑小な生を選ぶことで理想を捨てるのかと思っていましたが、
「理想のために」→「卑小な生を選ぶ」という風に繋がっていたのですね。
この世界に子供を託すという行為と、繋がっているのかもしれません。
今、悩んでいる問題が解決したら、僕は少しだけ大人に近づくのかもしれない。
それと同時に、今度はもっと新しい、重い苦しい問題を背負うのだと思う。
それをわくわくする出来事だと受け止めるか、
どよどよとつらい出来事だと怯えるかで、
僕の出す答えは違って来るのかもしれない。
心構えを、もう少し前向きに改善したいと思う。
流されていく日常の中で、せっっかく自分を振り返っているのだから、
その振り返って悩んだ時間は、自分を改善する時間にあてていきたい。
未成熟であることだけを見て自分を恥ずかしいとは思わないけれど、
人と話せなくなっていく自分を見つめるのは恥ずかしい。
もう少し、もう少しだけ力を振り絞って前にでよう。
あと一歩、あと一歩だけ前に出れば、毎日の繰り返しで、
少しずつ進んでいく。
心にブレーキをかけ続けて鳴いている時代が終わっていく。
僕が泣くときの涙は、誰かのために使いたい。
そう、感じて進んだ。
というヴィルヘルム・シュテーケルの言葉があります。
攻殻機動隊のTVシリーズ(笑い男事件)にも出てくる引用文ですので
知っている方もいるかもしれません。
僕はついさっきまで、この文章を誤解していました。
成熟した人間は、理想よりも現実を、
卑小な生を選ぶことで理想を捨てるのかと思っていましたが、
「理想のために」→「卑小な生を選ぶ」という風に繋がっていたのですね。
この世界に子供を託すという行為と、繋がっているのかもしれません。
今、悩んでいる問題が解決したら、僕は少しだけ大人に近づくのかもしれない。
それと同時に、今度はもっと新しい、重い苦しい問題を背負うのだと思う。
それをわくわくする出来事だと受け止めるか、
どよどよとつらい出来事だと怯えるかで、
僕の出す答えは違って来るのかもしれない。
心構えを、もう少し前向きに改善したいと思う。
流されていく日常の中で、せっっかく自分を振り返っているのだから、
その振り返って悩んだ時間は、自分を改善する時間にあてていきたい。
未成熟であることだけを見て自分を恥ずかしいとは思わないけれど、
人と話せなくなっていく自分を見つめるのは恥ずかしい。
もう少し、もう少しだけ力を振り絞って前にでよう。
あと一歩、あと一歩だけ前に出れば、毎日の繰り返しで、
少しずつ進んでいく。
心にブレーキをかけ続けて鳴いている時代が終わっていく。
僕が泣くときの涙は、誰かのために使いたい。
そう、感じて進んだ。
実を言うと、コメントするかどうかかなり迷った。
でも、がんばれはにゃ。どうか伝わりますように。
確信はあったけど、確かめようがなくて怖かった。でもやっと安心した。
ありがとはにゃ。いてくれてありがとう。
たぶん、お互いに、あまり望んではいないやり方だろうとは思うけれど。
僕自身も、もうこのblogは更新しないつもりで居ました。
ときどきアクセスIP数を見ては、下がっていくのを見て
心を落ち着かせようとしたりとか。
もちろん、僕が死ぬと決めつけて読む人や
死ねるはずが無いという見方を持ちながら、一抹の不安を自分とリンクさせる人や
死ぬはずないじゃん、という冷めた見方や
なんだかんだで、はにゃんは大丈夫だと思うな。
と割と安心しきったような見方とか、
いくつもの見方があったんだと思います。
少なくとも僕は、僕自身が死ぬはずは無いと思っているだろう人とは、
接点を絶たないようにしてきました。
あるいはもちろん、つながりの位置において、
僕の存在を隠せない人は居ました。
たとえば家族とか、たとえば親友の親友とか。
だけどそもそも僕は、日常の全てを投げ出して、
雲隠れしようとか、こっそり目立たないように死んでしまおうとか
メディアを通して強烈な死を投げかけるようなやり方は、
できなかったんです。
問いを立てる事が精一杯で、
答えを出すことはできなかった。
覚悟が足りなかったのかもしれないし、
自己愛が芽生えなかったのかもしれません。
そもそもそんなもの、なかったのかもしれないし、
僕は僕自身を騙しおおせるような強烈な嘘は、自分に差し込む事はできなかった。
僕にとって、僕の目線と解釈を保持していられるような強烈な嘘は、
思い込みのレベルでは無理だったとか、
志を欺くことはできないとか
そもそも一人の個人に意志なんて無いんだとか
いろいろと、自分への言い訳は浮かんできます。
もう少し簡単にかけば、
まだ僕の存在力では、生も死も決められない
印象を自分自身に支配的に投げかけるような独立した客観性をも、
持ち得ないという少しぶっ飛んだ自己との繋がりにおいてでしょうか。
もし、僕がとうに僕自身を諦めていて、
遙か遠くから寂しく僕を見下ろしていたなら、
きっと結果は変わっていたんだろうと今は思います。
あるいは僕が、すでに小さな少女に命乞いをした恥ずかしい過去があるとか、
そういうプライドの崩壊とも、関係があるのかもしれません
僕は僕だけの物語では、
まだ僕の未来を真っ黒に塗りつぶして遠い目をする事はできなかった。
そしてまた、自殺しようとしたいくつかの過去も、
思い出すばかりが精一杯で、そこからもう一度踏み込んで、
あの扉を開くことはできなかった。
感情が時を超えるとしても、
あのときできなかったことは、今の僕にもまだできない
そういう成長の弱さかもしれないし
形をずっと保持しようとし続ける頑なさが、
僕の存在の証明なのかもしれないという
おかしな仮説のそばに寄り添っているのかもしれない。
でもきっと僕は、今よりも多くの人と、
一人でも多くの人と、話をしたいという真剣さは持っているつもりです。
それを持ち続けている間は、
僕は変化の世界と、リンクを絶つことができません。
私自身にも、じわっと沁み込んでくる感じでした。