人が人に親切にするのは――自分の手が届くからだと思う。
だから、過剰な親切さや、意識的な誘導は必要ないと思います。
あまりにも大きすぎる親切さは、偽善と呼ばれ始める矛盾したものへと膨らんでいくだろうし
また、かえって相手に迷惑がかかることも見て取れるし。
「樽を知る」って言葉の意味が、少しずつ砕けてきたような気がする。
樽がこけて、中の酒がこちらに寄ってきたような気がする。
飲むと酔っぱらう不思議な水で。
それが入ってる樽は等身大の世界で。
その樽は、君の側に置かれた言葉の手触りで。
やわらかい、と思う。
君の側にある水も、
君を満たしているその水も。
自分を守る必要は無いけれど、
僕はその水を飲む。
それが同じ樽の中で、ごろごろ転がるように
真っ平らな夢をぐるり取り囲む。
水が映し出す世界は、透明な輝きを、黒く白く閉じ込めるように。
僕は今、水を飲んでいる。
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