嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

善意の押しつけを回避するために?

2006年04月16日 21時13分18秒 | 駄文(詩とは呼べない)
落ち着いたら、少しあなたの話を聞かせてもらえませんか?

多分、あなたが指摘したように
僕はあまり相手の話を注意深く真剣には聞いていないような気がしますので。

もちろん、気が立っている時に、
あるいは落ち込んだ時に書かれたひとつの見解であり、
それ自身が全て真実や事実を語り尽くしているとは思っていません。
しかしそれを加味したとしても、
やはり僕は相手の話を耳をすまして聴くような余裕が
少し欠けているのではないかと思うからです。

視野狭窄、という言葉が今日気にかかりました。
ある意味では僕の事でもあり、
またある意味では、落ち込んだ時のあなたの事でもあるような気がします。
あまり自分と相手を重ねて考えない方がいいのかもしれませんが
余裕のない時には、誰かと話をして
少しエネルギーを充填する必要があるような気もするし
それはわだかまりを持っている相手と向き合うことでしか
根本的な解決にはならないような気がするからです。

あるいは単に、
僕が「なにがしか踏み込んできた相手」に対して
興味を持った、という事であれば
今しばらくは お互いに何も語らない方がいいのかもしれません。

今から書くことは、
ある意味で僕の邪推でもあるのですが。

もし、僕のブログを否定的な意味でしか捉えられなくなったとか、
mixiに書かれた日記を読むだけで吐き気がするというような事があれば
それは、僕があの頃書いた何かの言葉が、
あなたの心に突き刺さったままになっている可能性があります。

もし、そうだとしたら、
それは僕がその言葉を見つけ出して引き抜かなければ
もしかして、
あなたはずっと他者に対して恐怖心を抱いたままになってしまうのではないですか?

あなたが書いたように(?)
僕に都合の良い読者、僕の望むような読者というのは
多分居ないのだと思います。
そしてそのような読者が居たとしたら、
それは相手が僕を察して仮面を被っているのだと思っています。

例えばそれは、過去の僕にとってのアルエでした。
僕はアルエに対して、僕自身の抱えている問題を謝ってしまった。
その謝罪は、全く彼女に向けられたものではありませんでした。
誰でも良かった。
僕の話を聞いてくれる人でさえあれば、
謝罪の相手は誰でも良かったんです。

それでも彼女は。
僕に「許すょ?」と言ってくれました。
多分、そういうものが、人の持つ器とか、世界の広さとかに、
関係してるんじゃないかと、僕はその時思った。

昔話はやめよう。
時間は刻々と流れているように見えて、
じつは全く流れてはいないのだし。

今、君がこれを読んで何かを思うなら
僕に、連絡を下さい。
今日は、ただそれだけ。

新しい名前がつけられない

2006年04月16日 01時09分34秒 | 駄文(詩とは呼べない)
今、僕に問うこと

「例え親を殺しても、僕は君に会わなければならないのか」

鏡というのは、光を返してこそ鏡なんだと、かかしに問いかける行為は
はたしてどれくらい、かかしが鏡に語りかける行為になっているのだろう。

同じようにして
不在の問題と 記号化の問題は、そこにあるような気がする
もちろんそこには、散りばめられた名前や、縮められた名前や、
名付けられ、切り取られてしまった、
雲散霧消の刹那からの乖離があるのだけど
だけど人は、名前を付けることによって
定式化という長時間を手に入れる

「変化が嫌いなんだ、本当は永遠なんだって誰も気付きたくない。」

僕の中にある言葉は、ほとんどが借り物で作られている
だけど競争はしない。著作権なんて、信じてはいないから
赤信号を渡るのと同じ
濁流と奔流は、結局源泉が同じ物だから

だから僕はいつだって透明な存在に語りかける
話を聞くよ、と。

本当は聞いてない
耳をすましたりしなくとも
いつだって僕は幻聴に苦しめられているのだ

何が聞こえていて
何が聞こえていないのか
それは僕にはわからない
聞こえている僕にも
聞こえていない僕にも
本当は、相手が何を話してるのか、
最初からずっとわからない

だから話しかける時には
結局何かを言ってるんだと、信じるくらいしか、
やることはない。

異文化の地域で歩く僕にとって
言葉は道具でしかなかった
けれどその道具が無ければ
僕は生きられなかったのだろうか?
そんなことはなかった。

指をさすこと、
金を払うこと、
笑うこと、
目を見ること、
歩こうとすること

それらを組み合わせているだけで
僕はじゅうぶんに生きているフリが出来た
人が本当に生きているかどうかなんて
死んでいる人には関係がないことなのだ

「変化は痛みの記憶なんだ。」
「本当はここに居ないことも、死が救いのフリをして鍵をあけることも」
「真っ暗な場所でもがいていることも、痛みがある時は忘れていられるから」

苦痛はいつだってある
どんな場所にだってある
もしもそれがないとしたら、
それは何も感じていないんじゃなくて
何も思い出せないくらいに
既に死んでしまっているということだから

だから僕は、
現在地を確かめるように
何度でも死を思い出す

抗うことは出来るよ
運命に逆らうことだって出来る
従順な自分というシステムと
崩壊ギリギリの宇由は
因果律という嘘の海の底でだって
空気の底を感じて呼吸するから

始まりと終わりを超越する事が難しいわけじゃない
むしろ大変なのは
意識を自分の中に閉じ込めて永遠にすることなんだ
それは自然に行われる

君がただ名前を名乗るだけで
その嘘に言葉は騙され始めるから
いつだって延々と解釈され続ける

「君はそこに居るはずだ、」いるはずだ)イルハズダ ilu-ha zu-da

うんぬんぬん…

吐き気がしてくるんだよ
自分が保てないと気付く時
もう少しで自分が壊れそうだと気付く時

少なくとも僕は。
「吐き気がしてくるね」

そんな時、必死で僕は

君と僕の名前を思い出そうとして だそうとして
して、思い出せない。

いや、まだ諦めたわけではないけど

けど、君の名前が、よくわからない

すごく切ない
会ったことがない人の名前は、思い出せない事の方が多いってこと
そのことを思うと、
すごく切ない

たぶん、心の世界は無限に広がる狭さの中にあるから
だから、その閉じられた自分に気付いて

名前がないことに、嫉妬する。

「透明な僕のために」

今はまだ、呼ばないで欲しい
首を切断し続ける釜を、振り落とす力も緩めずに、
それでも決して忘れないように
僕の名前を呼び続けて欲しい

透明な僕で居られるように
嘘でもいいから名前を付けて欲しい

そんな事を思って
僕は空気を吐ききるように。