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カジノ

2016-12-07 13:37:00 | Weblog

メルボルンに住んでいた1994年、あの町にカジノがつくられた。カジノをめぐっては当然賛否両論があった。つくったのは当時のヴィクトリア州首相ジェフ・ケネットである。このカジノが現在のメルボルン・クラウン・カジノの前身である。

草創期のメルボルンのカジノは客集めのために市内に無料送迎バスを走らせた。そのころメルボルンの新聞『エイジ』で以下のような記事を読んだ覚えがある。「カジノは送迎バスをチャイナ・タウン周辺に集中させた」。チャイナ・タウン周辺の住民はカジノのねらい目だった。

ある日、私がそのチャイナ・タウン周辺の簡易食堂へお昼を食べに行くと店が閉まっていた。ローストダックを製造販売し、店内のテーブルでもローストダックが山盛り入った汁そばを食べさせてくれたお気に入りの店だった。しばらくのちに店に行ったが、閉じられたままだった。カジノですってんてんになり夜逃げするチャイナ・タウンの店主もいるという『エイジ』の記事を思い出した。

すべての利益は他人の損失から生じると、モンテーニュの随想録にある。若者の濫費で商人は繁盛し、家屋が倒壊すれば建築家が儲かり、医者は友人の健康さえ喜ばず、軍人は己の町の平和さえ喜ばない、とモンテーニュは例の辛口で書いている。競馬・競輪・宝くじ・パチンコなどなど、興行主体が取り分をとったあとの残金を分け合うのがギャンブルの仕掛けだ。人の世にはそうした事例が多い。ウィン・ウィンの関係など例外的に存在するだけだ。加えてギャンブルはAの懐からBの懐へ金が移動するだけで、その移動に伴って付加価値が生み出される性質のものではない。

西側世界の金融システムがカジノになってしまったとスーザン・ストレンジが『カジノ資本主義』で書いたのは1986年のことである。その12年後、ストレンジはカジノ資本主義がさらなる暴走を続けていることを『マッド・マネー』(1998年)で書いた。

カジノ資本主義の中心ないし中心部周辺にいる人々と、周縁にいる人々の格差に起因する現象が世界の政治のあちこちで噴出していると時事解説者は説明してくれる。米国のトランプ現象やイタリアの「五つ星運動」、ヨーロッパに吹き荒れる右寄りの風、みんな根っこにカジノ資本主義が生み出した所得の極端な不平等がある。

そういうことなら、パイを大きくすることばかりに狂奔しないで、パイの分配をいま少し道徳的にする方向を模索すればよいのだが、これまた貧者の幸せは富者の不幸ということになり、実現は困難である。2011年のニューヨークの「オキュパイ・ウォールストリート」運動も問題提起をしたのみで一過性の話題に終わった。

経済学はモラル・サイエンスだとケインズは言ったが、そういう時代はとっくの昔に終わっているのだろう。

(2016.12.7 花崎泰雄)

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