岸田文雄首相が夏休みの友に都内の書店で10冊の本を購入した。それらの本の中から、『地図でスッと頭に入る世界の資源と争奪戦』『まるわかりChatGPT&生成AI』『アマテラスの暗号』といったタイトルをあげて8月18日付の朝日新聞・天声人語が「やぼは言うまい。首相と言えどもすべての分野に精通できるわけではなかろう」と揶揄した。すると、同紙の8月19日付「朝日川柳」に「麻生氏が何読んでるか知りたいね」という句が載った。つい最近、訪問先の台北で血気盛んぶりを見せた八十翁の麻生太郎氏の元気の秘密となった本を知りたいね、というわけだ。麻生氏の現在の愛読書については情報がないが、以前は『ゴルゴ13』が贔屓だった。麻生氏とゴルゴ13の話は新聞に何度も載った。
読書歴は個人情報であり、図書館の貸出記録保存について何度もそのあつかいが議論されている。今はむかし、スハルト時代のインドネシアでは左翼関連の書籍は禁書に指定されていた。マルクスの『資本論』は大学図書館を含め、たいていの図書館で鍵のかかる本棚におさめられていた。資本論を読むためには責任者の許可が必要だった。したがって、前途ある若者は禁書には近づかず、留学先の英語圏の大学院で、社会科学の教師からインドネシアの学生はマルクスから詠み始める必要があり時間がかかる、と評されていた。
時と場所によっては、書物は危険物になる。ナチスの焚書、戦前日本の思想警察の暗躍などの例がある。いまの日本ではそうしたむき出しの危険はないが、ある国の首相が購入した本のタイトルをあげて、その人の読書傾向をあげつらうのは、趣味が悪い。
とはいうものの、岸田首相の書店巡りは人気とりのパフォーマンスの面もある。岸田首相は今年8月15日、夫人同伴で(もちろん秘書官や警護の警察官同道)で大名行列ふうに本屋へ行った。ついでに購入した本のタイトルを記者たちに披露した。昨年の12月には本屋にゆき、『忘れる読書』『80歳の壁』『カラマーゾフの兄弟』など約15冊の書籍を購入した。去年の8月にも本屋へ行き、『街とその不確かな壁』など10冊の書籍を購入した。
アジア太平洋地域の安全保障や新しい資本主義に取り組む岸田首相が、ツキディデスのペロポネソス戦争の歴史や、シュムペーターの『資本主義・社会主義・民主主義』といった本を購入すれば、なんとなく脈絡はある。だが、首相が『地図でスッと頭に入る世界の資源と争奪戦』を買おうが、ツキディデスを買おうが、結局はどうでもいい話しだ。新聞で首相の動静を見ると、平日は官邸で10分刻みで人に会っている。週末はどっと疲れが出て、本を読み始めると眠気が襲ってくるだろう。
岸田首相は8月18日(現地時間)キャンプ・デービッドで、バイデン米大統領、ユン・ソニョル韓国大統領と会談、日米間の安全保障協力関係の強化で合意した。中国・北朝鮮・ロシアのグループに対する新封じ込め作戦だ。既存の覇権国家と新興の大国との反目が戦争に発展することが多い、とする「ツキディデスの罠」論が数年前話題になった。だからといっていまさらツキディデスを読もうという気にならないのが政治家である。学者じゃない、実務家だと自負する人が、日本の政治家には多い。
(2023.8.20 花崎泰雄)