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news commentary

笑門来福?

2006-10-03 20:54:26 | Weblog
こういっては何だけど、歳をとっても軽口の技術は衰えないもんだね。2006年10月3日(火曜日)の朝日新聞(東京)朝刊23面(文化総合)に載った丸谷才一氏の月一連載エッセイ『袖のボタン』の「政治と言葉」には、抱腹絶倒のちょっと手前まで行った。

近代民主政治は言葉によっておこなわれる慣わしだが、安倍晋三著『美しい国へ』の読後感が朦朧としているのは、どうも著者に言うべきことが乏しいからだろう。しかし民衆が政治家に言葉の発揮を要求することが少ない日本の政治では、言葉以外のものがなお効果をもっている。以上のような、なんてことはない道理が丸谷氏のエッセイの結論で、それに、安倍首相の場合は、祖父岸信介、大叔父佐藤栄作、父安倍晋太郎という血筋に頼っているので、言葉などは大事ではない、というオチというか、蛇足のようなものがついている。

実はこのエッセイでもっとも笑えるのは、その前半で、日本のワンフレーズ・ポリティックスの伝統を茶化した部分なのだ。それは満州事変の「五族協和」に始まって、「国体明徴」「万世一系」「八紘一宇」のきな臭い時代、「聖戦完遂」「本土決戦」「一億玉砕」という焼糞時代、続いて、戦後の「曲学阿世」「所得倍増」「列島改造」「不沈空母」と、四文字熟語を中心に解き明かす昭和史のカンどころ、なのである。

丸谷才一って才子なんですね。『笹まくら』『横しぐれ』『年の残り』から『たった一人の反乱』『女ざかり』にいたるまで、みんな読んで楽しかった。なぜ楽しかったかというと、語り口にほどよい工夫がされているからだ。言ってみれば「のどごしの良さ」がこの小説家の売りだ。

話が脱線した。それにしても、このところの朝日新聞の安倍晋三攻撃はすごいね。安倍首相そのものは政治家としては軽量級だ。だから、新聞は安倍首相をスパーリング・パートナーにして、気軽にジャブが出せるのかも知れない。それに自民党のアナクロニズムのすべてを安倍首相が体現している。それを小ばかにしていれば、ともかく一日一日の紙面をつないでいけようなところもある。

安倍ネタで笑わせていただくのは、読者としては、それはそれで結構なことだ。政治指導者を白昼公然とあざ笑うことができるのが、民主政治のうれしいところである。そのむかしホノルル市長のオフィスを訪ねたことがあった。彼のオフィスには地元新聞が市長をネタにしたかなりキツイ風刺漫画の原画がずらりと掲げられていた。お互いに、笑う門には福来る、ということなのだろう。

だけど、笑っているうちに、ふと気がつくと、「国体」が国民体育大会の略語以外で堂々闊歩する時代になっていた、なんてのはいやだね。そこんとこは、ジャーナリズムに早め早めに警報を鳴らしてもらいたい、などと書いて、こっちも退屈な結論になってしまった。

(2006.10.3 花崎泰雄)
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